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時間との付き合い方

時間計測の話になると、私の場合、Personal Software Processから始まる。最初に入った会社ではこのやり方で入社前研修を行った。その時に、正確に時間を計測をすることは難しいのだと至った。弊害もあった。私の計測のチャンクはこれで固定化されてしまい、10分とか15分とかざっくりとした時間スパンでの予実管理ができなくなってしまった。

計測するにはある条件が必須となる。その作業が連続的に行われる状態であること。これがなくなると、私の中では計測したとは言い切れない。このことから、私の中では計測というものは、陸上の時間計測並みの状態を保持するべし、と意識が働いていることがわかる。

しかし、プロジェクトに携わるとそうもいかない。活発なプロジェクトだと、他の人に話を持ち掛けられたり、電話がかかってきたり、連続的な作業時間を確保することが難しくなる。なので、私が求める潜水のタイムトラッキングのようなことは、できなくなる。

 

意識は集中し、拡散する。私はこの流れを意識的に制御したいとは思わないし、制御できるとも思っていない。残念ながら私の意識というものは、時間に関してあまりよい印象を持っていない。何をどうよろしく思っていないのかはちょっとまだ解析していないがまぁとにかくそうなんである。

とにかく、私の意識には、きちっとだとか、みっしりだとかが、どうにも背中に怖気が立つほど苦手らしく、それは時間管理にも言える。切り替えには多少の時間が必要だ。浮遊する時間の中でゆらゆら動きつつ進められるなら、これよりうれしいことはない。

 

そんなんだから、一般的な時間管理というものが合わなかったんだろうと今にして思うわけだ。ならGTDはどうなの? というと、あんまり時間については細かく言わないところがすきだった。スケジュール、というか結局のところ、他の人と約束する内容を最優先すれば、あとは適当にやっても文句ないでしょ、というあの、しめるところはしめて緩めるところは緩めてもいい、手加減が好きだ。

 

私が予実をしなくなったのは、実績を取ったからといって、限界的な時間があることがわかったからだ。結局作業をするということには変わりはなく、その作業がなくならなければ、時間は極端に減ることはない。最適化する作業は私の場合自動的に行われるので、多分他の人よりかは限界値に近い状態にいるのだろうと思う。

 

自分コメント

  • 取り留めなくだらだらと時間関連について
  • あんまりまとまってない。
  • via 時間計測ツールの記事

書くこと・書いた後・そして過去現在未来

GTDでは、自分の考えている内容を出力することを重要視している。出力する、ここでは簡単な実装で言うと、書く、ということになる。

書くというのは、それ自身は非常に簡単な行為である。しかしながら、その行為を通じて、脳内の作用が大きく影響することは確かであろう。

人はどうやって過去・現在・未来を区別するのだろうか?

私の場合、過去はそれ自身がこれ以上変わることのない事実、である。過去に対して私は簡単に区別することができたのだが、残念ながら現在と未来について区別することが、難しかったし、今もそうである。

昔、未来について想像したり、思考のまな板上で現在と未来を、同じ土俵で陳列することは不可能だった。その理由は一重に、未来というものを信用していなかったからだろう。信用とは? ここでいう信用とは、信じて用いることができるかどうか、その言葉その文字のとおりである。結局私は未来というものは信じていなかった。信じていなかったので、不確定要素だと未来について捉えていた。その結果、私は未来を信用できずに、判断基準や判断材料や概念のひとつとして用いることはできなかった。

結局この未来の概念ができた理由に考えられる要素は二点である。

一つ、過去と現在のログを取ったこと。一つ、ウィークリーレビューなどで、振り返りの作業を繰り返したこと。いろいろ考えた結果、どうやらこの要素が非常に大きいものと思われる。

社会人に入って中堅どころになると、広い視野を、もっと先を見越した考え方を、と要求を受けるようになるのだが、少なくとも私の周りにその方法について開示することができた人は誰もいなかった。私の結論としては、原因と結果の関係のレンジをだんだんと広げていくことでできるものと思われる。つまり、想像できる未来というのは、過去のユースケースのバリエーションと組み合わせから組み立てられる結果であるだろう。

過去・現在・未来を決定付ける中で必要になる要素は、ある事象が発生した時系列である。事象と事象とが関係するためには、共通の項目がありその項目が遷移するための時間がある。その二つがあってようやく、原因と結果の関係性ができあがる。それをどうやって、理解するのか? 理解できるのか?

書くことの作業について戻ろう。書くことそれ自体は、やはり状態遷移の一種であろうと思われる。書いて、頭で考えていた内容を出力した場合、脳はどのようにその情報について判断するのだろうか?

GTDではオープンループという概念がある。脳のシナプスにずっとずっと情報が流れている状態を指し示す。通信プロトコルのブロードキャストのようだ。クリアに異なる点があるとすれば、おそらくシナプスにはその情報を止める機構とブロードキャストのメッセージを止める機構の性質がことなる点であろう。ブロードキャストの場合、あるノードに送られたメッセージは記憶され、他のつながっているノードに送る。次にそのノードが同じメッセージを受け取った時、すでに送られたものとして、そのメッセージは再送信されない。

ブロードキャストの再送制御機構が強固であるが、シナプスの再送制御機構は非常にゆるいものと思われる。脳の場合、どうすればこの再送をやめるようになるのか? 可能性と考えられるのは、今のところ次のようなことが考えられる。

(1)他の情報とマージされた
(2)中期or長期記憶層に移行した
(3)他の方法で保存された
(4)その情報がこれ以上流すに不要と判断された
(5)それ以上に重要と思われる情報に優先された

とにかく、可能性として再送を止めるやり方はいろいろあるが、手っ取り早くオープンループをクローズループするには、(3)もしくは(4)が効果的であるだろう。(4)は要するには自分で判断することだ。これはいらない、そう決定するだけで、脳での情報は流れづらい。(3)は脳以外のいずれかの場所で保管された場合である。つまり、これが書く作業に相当する。

そもそもどうして、オープンループのような状態になるのだろうか? それが自分にとって必要かも不必要かもわかっていない情報だからである。よくある「いつか必要かもしれない」というような状態が、脳で行われているのかもしれない。それで、浅瀬の中で旋廻するイルカのように、何か新しい情報が更新されるまでは泳ぎ回っているのかもしれない。中期or長期記憶層になると、思い出す作業が困難になるので、すぐさま思い出せるように、頭の中である程度情報として励起状態を保っているような気がする。そう、情報の再現性という問題である。

書いた後はどうなるだろうか? たとえば紙に書かれると、その紙の紙片をなくさない限り、その紙を見れば自分の書いたものが見れる。これはつまり、再現性が確保されるということだ。単に再現性と書いているが、時間で言えば、ほぼ書いた後から紙をなくす瞬間まで、再現されていることである。この情報が継続してアクセスできることの素晴らしさは何たることか! 情報というものは、頭の中では重要である重要でないに関わらず、砂で作られた城のごとく、もろくも崩れ去って行く。城の塔であろうが城門であろうが、である。情報が、頭の中で固定化(名称がすぐに出てくるような状態と考えてもらってよいだろう)していない状態で、情報を保持することは難しい。

今回ここで非常に記述しておきたいことは、紙で書かれた状態を、頭の中で同じことを実現するには非常にエネルギーがかかることだ。そして、オープンループというのは、この非常にエネルギーがかかる状態であることだ。

このほかにも書くことの効果はある。もやもやした内容が文字という形あるものに収まるために、それ以外の情報を捨て去る点だ。まとめる作業も複数の情報のうち、必要な情報をピックアップすることなので、相関性はあるだろう。

自分コメント

  • とりあえず吐き出し
  • via 筆記療法

時間を捉えるということ

 

例:今ここで僕がやっていることの進捗管理記入例

  • 8:51~8:57 目標:時間管理表記入

進捗:表記入中(今ここ)

  • 8:57~9:03 目標:最後のパラグラフまで記入、見直し

進捗:(空白)

(中略)

こうして、本などで紹介されているものよりも、短いスパンでの時間管理を積み重ねると、最終的には週間や月間、ひいては半期や年間の目標もうまく考えていけるようになりました。最初は面倒ですが、ここを突破すると、うまく目標管理ができるようになったと思います。

時間管理例紹介 – FDmountwill_millsの日記

 

私もこのやり方が、いいと思う。

 

記録することから予測することへの展開パターン

  1. 日々の記録(上記のようなパターン)

  2. その日のまとめ

  3. その日にやること計画

  4. その週のまとめ

  5. その週にやること計画

  6. プロジェクトのまとめ

 

記録したり・計画したりすることの、現在を基点から見た時間的範囲は下記のように広がるんではなかろうかと思う。なんか、poicでこんな図を見た記憶がなくもないのだが。。

image

特にこの視点の変遷が見てとれたのが、体育教師の先生が陸上部の部員に毎日日誌を書かせて全国優勝に導いた人の、その日誌の取らせ方。

 

ポイントとなるのは、過去となるものを記録することから始まること。

思考スタイル考(時間の概念について)

昔、私には時間の概念がクリアじゃなかった時を知っている。今はそれに比べると、随分クリアになった。エマジェネティックスの思考スタイルによっても、この時間の概念の基準となるものは異なるんじゃないかなと思った。

どうして時間概念の基準が異なると思ったのか?

私が時間の概念の一つを得たと思った時は、未来に関してを、思考のまな板に置けるかどうかだった。GTDの以前では、自分の反応があまりに乱雑なために、未来を考えても私自身がそれを裏切る形となるので未来という概念自体が必要がなかった。

社交型でディテール型の強い友人Aの場合、人に関する記憶のスパンが非常に長く、幼少の頃の記憶も鮮明に覚えていたという。しかしながら、それがかえって友人に影響を及ぼしていたのは、過去を過去と取り扱えないことだ。過去を過去と取り扱えないことについては、別の友人から考えを受け取ったものだ。

私からして見れば、過去のデータはこれ以上の変化がないため、それに対してあれこれ考えても意味がない。その一方で、友人は過去の記憶に随分苦しんでいる様子をみて、それで、人によって、過去をどのようにみなすかが異なるんじゃないかなと思った。

時間概念があるということはどういうことか?

今回は、過去を揺ぎ無いReferenceデータと受け取り、現在をProjectデータ、未来をSomedayデータとして、正確に取り扱いができている時、時間概念があるとみなす。

例えば昔の私の場合、過去のみ正確な取り扱いができていた。現在と未来を混同している点においては、両方に取り扱いができていなかった。上記の友人Aの場合、過去と現在の取り扱いを混同しているような感じになる。

考える要素

自分自身の場合

自分の場合、時間概念の基準はどうなっているか? 過去については上記で示した通り、これ以上何の修正もできない場合のものが過去データとなる。次に現在と未来についてだが、自分が決めるかどうかによって分かれる。必要と思い、今それについて作業をするならそれは現在の事項のことであり、今それについては手をつけない場合、それは未来のこととなる。

友人の場合

社交型はもともとSocial Typeと呼ばれる。このSocialは人の関連性も考えられるが、物との関連性も含まれているように思う。

 

ーー

自分コメント

  • 15分くらい書いてその後失速。
  • おなか痛くてふんばるぐらいでないと書ききれないのはいかがなものか
  • というか、これなんで書きたかったんだっけ?
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