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「時は流れず」読書ログ

時は流れず

(1)
私たちの考えている過去や未来といったものは、それは単に思考の産物である。時が流れているわけではない。時が流れている、と私たちが感じているだけにすぎない。

という要旨にいたく同意。

(2)
過去は変えられぬもの、と知っていながらも、すでに点数が理論上では変わらないのにも関わらず、テストの点数がわかるまで、やきもきしたり、いい点数でありますようにとお地蔵様に願ったりもする。私たちがそう願う対象は、過去そのものではなく、過去が作られる過程に対してなのである。

という要旨にも納得。

(3)
他我問題。簡単に言うと、あの人はこう考えてるんだよ、と軽い気持ちで他人の気持ちを憶測するその行動は、なぜするのかどうしてできるのかなどを真面目に意図や意義を考えること、と今のところ理解している。

***

(1)
私は過去についてはとりわけ考えることはなかった。今回のように、著者が懸念していた、「過去は本当に実在するのか」ということを考えたことがないぐらい。

「もし過去が~だったら」というようなことは、私もむかしはよく考えていたのだけれども、それを考えると、今の現状をすべて無に返すことになるのを知ってやめた。やめたのは、過去仮定もそうであるし、過去に希望振り返ることなども含む。もしくは過去に恨みを合わせることも。

私は過去に対していい意味でも悪い意味でも憧憬が少ない。過ぎ去った過去について、ひどく「ああすればよかった」「こうすればよかった」と過去シミュレーションしすぎることはない。その一方で、「あの時は本当にこうで楽しかったよねー」という気持ちにもあまりならない。

未来や過去は、概念の中から形成されるものとは、私自身も経験している。とりわけ、私は未来の概念がなかった。今でこそわかっていることだが、未来は、今現在がある程度安定しており、ある一定のルールに従っていることを経験した結果、未来への可能性を想定することができる。

ここで言うある一定のルールとは、たとえばある仕事がある時系列の作業に従ってゴールまで導かれた、といったようなことだ。何度もその道をなぞることで、私たちはその流れというものが、あるものだ、と存在を疑うことがなくなった時に、未来への道が開いた。

実際昔の私の今という状況は、安心ならないものだった。考えがころころと変わるものだから、おいそれと簡単に約束はできなかったりするのだ。今に振り回されている限りにおいては、未来など見えぬものだ。

(2)
過去物語への気持ちを寄せることは、私もある。卒業試験の結果前は、すでに決まっているでろうが、明るみでない結果に対してやきもきしていた。 過去が作られるとは言え、そこに採点のブレがなくもない(チェックシート式なら話は別だが)。ただ、自分が関与している状況ではないのだから、影響力の度合いが格段に違うのだろう。たぶん、自分が関与するのと、関与できないのとでは、100と0.00001もしくはそれ以下の度合いで。

(3)
他我問題も。先ほどの過去現実未来が考えることによって存在するならば、他我問題自体も、考えることによって存在するのに帰着するのではなかろうか。過去は、「自分」が経験した内容に基づき、再現しようと試みる方法であって、再現する要素の元となるものが異なるだけと考えてもいいのではないのだろうか。過去と自分以外の誰かの要素の違いは、精度の違いとみなして。

読書まとめ 「お金の流れが変わった! 新興国が動かす世界経済の新ルール」

お金の流れが変わった!
大前 研一
PHP研究所 ( 2010-12-16 )
ISBN: 9784569791630

概要

この本は、大前先生の最近の状況に関する傾向まとめ+それに向けての日本が行う対策を取りまとめた本である。目次は下記の通り。

    1. 第1章 超大国「G2」の黄昏
      アメリカ―「唯一の大国」はいかにして崩壊したのか
      中国―バブル崩壊はいつやってくるか
    2. 第2章 お金の流れが変わった!
      「ホームレス・マネー」に翻弄される世界
      EU―帝国拡大から防衛へのシナリオ
      新興国―二十一世紀の世界経済の寵児
    3. 第3章 二十一世紀の新パラダイムと日本
      マクロ経済政策はもう効かない
      市場が日本を見限る日
    4. 第4章 新興国市場とホームレス・マネー活用戦略
      新興国で成功するための発想
      日本経済再成長の処方箋

簡単にまとめると、第一章で、既存の登場人物であるアメリカと中国の現在の状況に関して。第二章で、現在表出してきた状況の「ホームレス・マネー」と、それから新規の登場人物である、EUと新興国について。第三章では、第一章第二章を踏まえての、現況における既存ルールがもはや通じないことと、日本が現状いかに危機的であるかを説明している。これにはどう対策すべきか、というのを書いているのが次の第四章である。対策のアプローチとしては二つ、金を稼ぐ部分を外部からとするか、それとも内部とするかである。外部については「新興国で成功するための発想」で唱え、内部については「日本経済再成長の処方箋」で具体的な内容を書いている。

 

 

読者ターゲット

この本のターゲットとされる読者層はどちらかというと、社長とか仕事作ってくんべ、というタイプの人々に対してのようである。

というのも、第四章の施策がそういう大きな施策ばかりだからだ。例えば、新興国で成功するための発想としては、昔の日本で培った技術を新興国で展開するものだ。それ以外には、公共事業として鉄道と鉄道の周りを含めたビジネスモデルを一式提供することも提案している。それ以外にも法人進出や中間層・貧困層へのアプローチ等の、ここら辺を狙ったら儲かるんじゃない?といった当たり目を紹介している。

そういうわけで、一個人としてこれからどうしたらいいんでしょうか? という質問にはこの本からはうまい答えは、ちょっと導きだしにくかった。

 

お金の流れは変わった

お金の流れは変わった。とはいえ、ここでいうお金の流れは、なんとゆーか、市場とか株とか、上流で流れているお金の流れであるっぽい。一般人の消費傾向とかそういうことではなく、どちらかと言えば、どこに出資するかとかそっちの話。なんとなく第2章を見ていると、世界地図を賭けにしてBETするようなイメージが浮かんでくる。つまり、世界ギャンブルのようなイメージ。

今まではその世界ギャンブルでお金を積んでて勝ってたのは、アメリカと中国だった。が、アメリカは大国から崩れつつあり、中国はギャンブル性が高く、いつ値崩れしてもおかしくない部分だ。それ以外にも当たり筋が出始めてきている。それが、EUや新興国である。

世界ギャンブルのルールが、当たり率が変わってきたならばそれだけで問題なかったが、もう一つ大きな要素が加わってきた。それが「ホームレス・マネー」である。

 

イナゴの大群のような「ホームレス・マネー」

ホームレス・マネーとは、投資先を探して世界をさまよっている、不要不急で無責任きわまりないお金のことである。無責任きわまりないとは、このホームレス・マネーはウォール街を中心した600人程のファンドマネジャーによって組織的に運用されていて、しかも運用といっても、実際はアセット・アローケーション理論に基づいてプログラム売買されているにすぎない。そのプログラムの指針は、いかに儲けるかに定まっているため、儲かるであろうと思われる場所にはすぐさま飛びつき、これはもう儲からないと判明すると脱兎のごとくに過ぎ去る。

このホームレス・マネーは、世界ギャンブルの中でいつお金をかけるべきか手ぐすねひいて待っているのである。ので、このホームレス・マネーが投じられると、場が荒れるんである。

ホームレス・マネーのついた国や地域にはうるおい、一時的にバブルが生じるが、それがはじけるのも速い。そして、世界ギャンブルでは、このホームレス・マネーがどれだけいついて、その間にその恩恵をこうむることができるのか、というのが成功のポイントにもなりつつある。

しかし、ホームレス・マネーは言わば短期的である。だから、ビジネスとしての正念場は、むしろホームレス・マネーが去った後にどれだけ継続的にビジネスを存続できるか、ということだろう。

 

日本で実現させたくなるような、魅力的な物語を描こう

この本で私が魅力的に思ったのは、私たち日本が潤うには、ホームレス・マネーを含めて、お金をつぎ込んだりしたくなるような、魅力的な物語を提供することだ、という主張する点だった。そのためには、魅力的な観光地を作ったり、商店街の株式会社化を目指したり、というものである。しかも、地域的な広範囲での魅力的な物語である。

私たち日本人に足りないとすれば、そういうのを大きくとりまとめて話を進める進行役やファシリテータ―かもしれないし、そのファシリテータ―を助けて働くサポーターなのかもしれない。

 

最後に本を読んで

今回は、レビュープラス経由で読んだ本のまとめであった。ので、ちょっと内容にばらつきがあったと思う。個人的には、レビュープラスなど献本システムはオススメだ。ブログの宣伝になる、という以上に、自分が買わないであろう本を買う機会ができる、からだ。特にレビュープラスは傾向を見てオススメしてくれるらしいので、ちょっと背伸びして読んでみたい本を見る機会ができやすいと思う。

読書ログ 忘れる人の忘れるためのメモ 「忘れられない脳」

円城塔先生が読書メーターで褒めてた本を勝手にまとめた – 基本読書」から知った円城塔先生が読書メーターで褒めてた本シリーズその2。よい本でした。特に、、「偉大な記憶力の物語」と合わせて読むと、とても面白いです。同じ記憶力なのに、まったく別物と進化しているので。両方オススメです。

 

忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私
ジル プライス, バート デービス
武田ランダムハウスジャパン ( 2009-08-20 )
ISBN: 9784270005255

 

が、メモが多すぎくなったので、私の感想は箇条書き程度で終了です。

  • 記憶力のいい友人はよくフラッシュバックをして困るという話を聞いたことがあるが、この本の作者で驚異的な記憶力を持つジルも同じようなフラッシュバックを起こしていたのが印象的である。
  • そのときの、彼女の対応策が他の記憶と繋げることで制御するというのが興味深い。
  • 作中でもあったが、「偉大な記憶力の物語」のシィーとは別の部類の記憶力が異なるという点も面白い。
  • しかしながら、ジルとシィーの共通点もある。隆起する記憶によって思考を遮られる点だ。
  • この思考を遮られる点は、私も思い当たることがある。思考が別の思考で遮られる。私の場合は、脳内査問委員会によるツッコミ三昧。
  • 特に139ページ部分は、私にも思い当たる節がある!! 脳内ツッコミばっかりで未来を考えてる暇がなかった!
  • 書いたり、話したりすることによる形状変換は確かに私も記憶がある。ジルの場合は、記憶が強固で可変しないし、何か新しい形状に遷移しても、データ欠損がない。私の場合はデータ欠損どころか、他の記憶といっしょくたにして遷移し、データ変換が行われる。形が最初の状態で居続ける時間は少ない

ここ最近、思い出す方法や、記憶の形状は人によって異なるものだとは思っていたけれども、そのユースケースを見ることができたのでほくほくした。これが、乱雑な机でも手を出してはいけないことに繋がるんだろーな、と思うわけだ。

GTDの枠の取り方が非常にうまいのは、そういう枠の取り方が、一番適した方法が人それぞれであることを知っているからだ。そしてその枠の取り方のルールをGTD自体では、必要以上の部分は決めていない点である。

私は、ファイルはイベント毎のフォルダに入れておかないと落ち着かない人間だ。しかし、そんなフォルダも必要とせず、ファイル名と日付だけでファイルを特定できる人もいる。それを知ったのも2~3年程前のことになる。

詳細に関するメモが取った本人でしか役に立たないのも、想起パターンが人とで全く異なるから。想起する神経をなぞることで、それに合わせてその時のやわらかい記憶も引っ張ってこれるのだ。

彼女の記憶をてなづける方法は、PTSDなどの記憶フラッシュの強い人の対処方法についてもなんらかの示唆があるのではないだろうか。彼女の採っている方法は、別の記憶で記憶を押しやることだった。

 

以下読書メモ。

たとえば、10歳のときに家で子ども向けテレビ番組『愉快なブラディ一家』を見ていたときの光景が、ふと脳裏をよぎる。すると次の瞬間、いきなり17歳のときの記憶にとんで、私は仲のよい友だち数人とドライブを楽しんでいる。と思うと、その直後に、3歳のときに家族といっしょに海辺に行ったときのシーンが浮かぶ。

via 忘れられない脳 P11

 

長いこと自分の記憶とつきあっているうちに、私は奔放に暴れまわる記憶を少しだけてなづける方法を見つけだした。ある特定の日にちを思い浮かべて、同じ日付の記憶を時系列に順番に思い出すのだ。こうして記憶を少しでも秩序づけることで、気持ちがいくぶん落ち着く気がするのだった。

via 忘れられない脳 P44

 

いろんなことを覚えていて、それを自在に思い出せるという点では、私は自分の記憶力のよさをとても誇りに思っていた。
だが問題は、記憶が自分の意識を離れて勝手に走りだして、私の頭のなかを駆けめぐってしまうこと。これを制御できないことはとにかく苦痛だ。ランダムにさまざまなことが頭に浮かんでくる。抑えようとしても勝手に激しく動き出す。頭のなかに映画のスクリーンがあって、これまでの人生のことを小刻みに映写しているような状態。これをなんとかすることはできないのだろうか。

via 忘れられない脳 P51

 

落ち込んでいるとき、私は自分で”トラベリング(旅行)”と名付けた、記憶のなかの大好きな部分へ行く。そこは幼少のころにニューヨークとニュージャージーの郊外で過ごした日々で、そこでの年月はものにも替えがたい大切な記憶となっている。暴走する記憶に頭のなかをかき回されてつらいとき、私はその当時の記憶に逃げ込むのだ。余計なことをいろいろ知らなかった当時の記憶にひたっていると、とても癒される。

via 忘れられない脳 P54

 

当時の私にまだ「死」を理解することはできなかったが、お父さんがもう二度と戻ってこないというのは理解できた。それはつらく悲しく耐えがたいことだった。そのつらさから逃れるために、私は几帳面なお父さんという姿を強く思い描こうとしたのかもしれない。

via 忘れられない脳 P110

 

引っ越しでは、ほとほと疲れ果てた。ニュージャージーでの最後の日々、私は連日絶望的な気分を味わっていた。友だちもみんなとても寂しがってくれた。いよいよ明日引っ越すという日の前夜、母とマイケルと私は、母の部屋で3人して涙にくれたものだった。
この引っ越しによって、自分の世界が粉々に砕けそうに思えた。

via 忘れられない脳 P128

 

カリフォルニアに転居後しばらくすると、私の記憶は頭のなかで目まぐるしく暴れ出し、制御が利かなくなってしまった。その暴走は2段階で進行した。1段階目は私が11歳のとき、2段階目が14歳になったときだ。

via 忘れられない脳 P130

 

自我意識と記憶力、どっちが先なのかという点に、私の感心は強くそそられる。私は、より多くの自伝的な記憶を蓄えるようになるために自我の意識が発達してくるのか、それとも確固とした自我が確立されるために記憶量が増加するのか。

via 忘れられない脳 P131

 

私たちは、自分の人生をこんなふうにしたいとはっきり思い描いてそうしているわけではない。ある程度は意識するが、実際には思いどおりにいかないことのほうがはるかに多い。自己イメージのように人生が進まないことをあまり深刻に考えて反芻しすぎると、うつ病につながってしまう。悪くすると、生きている意味はないように思えて自殺を考えるようになる。思春期に自殺を図る人が多いのは、この時期に自我を獲得しようと真剣にもがくことが、ときに足かせになってしまうからだ。

via 忘れられない脳 P135

 

ところが、前向きに自己実現のイメージをふくらませていく年齢のときに、私は脳のなかで記憶が暴れまわるようになってしまったので、過去に引き戻されてばかりいて、未来のことを考えたくても考えられなかったのだ。

via 忘れられない脳 P139

 

ただ、はっきりわかっていることがある。通常、人は思春期の後半から20代にかけて、長期記憶すべき内容を自己のなかで取捨選択し、一貫性をもたせて自己イメージをつくる、ということだ。
そのプロセスが私にはなかった。

via 忘れられない脳 P158

 

そのとき私はこう答えた。
「なぜなのかは自分でもよくわからない。ただ、書くことによって記憶がほんものになるような気がするの。書くことで、その記憶の内容がほんとうにあったということを、体でも、心でも確認できるという感じ。実際に目に見え、手にとって触れられるものになっていないと、記憶だけではダメみたい」

via 忘れられない脳 P166

 

先ほど私は「日記をつけているときだけは、記憶が暴れまわる状態を自分でも驚くほど制御できる」と書いたが、つらく苦しい記憶の場合は、制御することがとてもむずかしい。

via 忘れられない脳 P172

 

自分史年表を作ってみて、私は自分の生涯で重要なできごとがわかるようになった。あらためて自分自身がどのようにできごとを把握し、記憶をどう分類しているのか、よく理解できた。

via 忘れられない脳 P178

 

私にとって、未来は過去の連続にすぎなかった。このことは、私が自分史に神話性をもたせられなかったことと表裏一体の問題だと言えるだろう。

via 忘れられない脳 P179

 

あのころのことを、父はのちにこう語っている。14歳のときから家族みんなの面倒を見、結婚してからは自分の家族の面倒を見てきた。一方、その間に仕事の道も自分で切りひらいてきた。責任ある地位に就き、、いろんな人が助けを求めて父のところへやって来る。それに対応するのは骨の折れることでもあった。せめて家に帰ったら家族と笑顔でくつろぎたかったのに、その家族が、もはや父の手に負えなくなってしまった。せめて家にいるときぐらいは、心の休まる平穏な時間がもちたかった……。

via 忘れられない脳 P203

 

ある意味では、この「話す」という方法は日記をつけることとよく似ていると思う。記憶をいったん言葉にすることにより、新たな方法で記憶を所有したことになるから。

via 忘れられない脳 P207

 

この書面のなかで私がもっとも元気づけられた言葉は、私の記憶力は明らかにふつうの人とは違っており、脳が受けた情報を通常とは異なる方法で認知し処理していることが確認された、という点だった。

via 忘れられない脳 P226

 

「まずは友だちとしてでいいんだけど、どうすれば君のことをもっと知ることができるようになれる?」
私はなんと答えたらいいかとまどったが、そう聞いてくれたことをうれしく思った。

via 忘れられない脳 P235

 

ジムは私の胸が早鐘を打っていると言った。さらに、私の不安な気持ちを見抜いて安心させるかのように、「きれいだ。セクシーだ」と言葉をかけてくれた。これはそれから私がジムといっしょに過ごした日々に、ジムが毎日言ってくれた言葉でもある。

via 忘れられない脳 P244

読書ログ 鬼の心のうち「マイナー力」

桜井章一と言えば、雀鬼と呼ばれる雀士だ。渋い、かっこいい! 「R-style » 書評 「マイナー力」(桜井章一)」で見かけて気になって読んでみたところ、身につまされることがいっぱいあった。以下に気になった文章を抜粋した。

 

精神と身体のバランス

そういう意味では、「知」と「行動」のバランスを取ることがとても大切です。「知」だけが肥大化して、「行動」が伴わずにバランスが崩れると、ウツ病などの心の病になりかねません。

via 「マイナー力」 P33

行動をするとそれに伴うフィードバックが起こる。身体の行動は、その刺激と反応のサイクルは割と守られてるんだけど、精神の場合はこのバランスが崩れやすい。そうすると、フィードバックのない精神世界は、現実とますます解離してしまい、自分のみぞ知る世界となってしまう。もしくは、行動の多い世界にまみれてしまうと、それに対応しきれずに、自分の世界が崩壊してしまう。

 

好きな言葉、嫌いな言葉

ところで、私は麻雀を打ったり仕事をしたりするとき、努力をしている感覚は一つもありません。私は努力という感覚が嫌いです。

私にとって「努力」は、あくまで「工夫」なのです。何事も工夫だと思えば、「努力している」という重いは消えて楽になる。「努力、努力」なんて思っていると自分自身が辛い師、その辛さから「私は努力しているんだ」と人に訴えた句なるかもしれません。

しかし、努力を工夫に変えると面白さが入ってくるから、努力すらも楽しみになってくる。「努力することを楽しみなさい」ということではなく「努力を工夫にしちゃえば楽しみになる」ということです。

via 「マイナー力」 P41

人によって好きな言葉嫌いな言葉がある。馴染むというか馴染まないというか。私は「努力」という言葉は半々。ただ、努力という言葉を使っている場合は、私の場合、無理をしている状況ではある。

 

表現と内省

外に向かって広げることばかりを考えるのがメジャー感覚だとすれば、四里四方の中で生きようとすることはマイナー感覚でしょう。しかし、今はグローバルなどと言って、あまりにも外に向かって広がり過ぎていると思います。だからこそ、なおのこと四里四方という感覚は重要な意味合いを持ってくるのです。

via 「マイナー力」 P47

広げれば広げる程、薄まっていく。

 

グローバルとローカルとの付き合い

肝心なのは、自分の中に無意識のうちに形成された常識を疑ってみるということ。そうやって常識をふるいにかけ、非常識との狭間でうまくやっていくことです。

常識と非常識の狭間で揺れながらやっていくからこそ、人生は面白いのです。それこそが自分で考えて責任を取り、自分自身の足で立つという「生き様」になります。

via 「マイナー力」 P58

やったもん勝ち。

 

結びついてるものをばらけると力は弱まる

なぜならテクニックと引き換えに、もっと大切なものを失ってしまうような気がするからです。

その大切なものとは「自分」。テクニックを身につけることで、かえって自分というものを素直に表現できなくなるような気がするのです。自分が感じることや思うことを、自然に出せればそれでいいのです。

この感覚が、「ありのままに生きていられる」ということです。ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、そして「自分を占いこと」。テクニックや力に頼らず、等身大の自分をさらけ出す生き方こそがマイナー感覚です。

via 「マイナー力」 P64

あるプロゴルファーが詳細なゴルフの解説本を書いたそうな。書き終わった後、ゴルフが下手になったのだという。とは言え、テクニックの話は、それはもとから感覚があるものに対して言えることであって、やっぱり全く素養のない場所では、そういったテクニックから吸収していく必要はある。

最終的には、そういったものを超える必要はあるけれど。

 

確証のない世界

「愛」や「お金」「宗教」「出世」「学問」など、「他」に求める「確証という名の依存の種」は、さまざまなところに転がっています。しかし、そんなもので確証を得た気になっても、それは一時の気休めにすぎません。

(中略)

安全や安心をやたら求めるメジャーな社会風潮からすると、人生に確証がないという事実は耐え難いことかもしれません。しかし、確証がないということは、それだけ人は自由だということでもあるのです。

via 「マイナー力」 P75

確証がないなんてすっかり忘れてしまっていた。それはネットの世界でも同じだったのに。

 

平等という幻想の前提

当たり前のことですが、人間は平等に生まれてきません。今の教育はすべてにおいて誰しもが平等であることを前提に、「努力や練習によって誰もが望むことを手に入れられる」というようなことを教えます。でも、そんなウソを教えられるから、みなさんは悩んでしまう。

私たちは持って生まれた容姿も違えば、持って生まれた能力も違う。だから人によってできることとできないことがあるのは当たり前です。与えられた自分の状況の中で、自分なりの人生を切り拓いていかなくてはいけないのです。

via 「マイナー力」 P81

 

確証のない世界

なんだかネットの世界は確証があるように見えていた。例えば、モノやコトがはっきりしていて、自分がそれを取り扱える量を把握することができて、きっちり対処できるのが私は好きだった。今でも好きだ。

しかし、ネットも情報量は目の前に流れるものも掌握しきれないこともある。今更それを知ったし、だからこそ、私は掌握しきれないtwitterが苦手だったんだなと気がついた。

読書ログ 「偉大な記憶力の物語」 誰も知らない他人の鮮やかな世界

 
自分の見聞きするものは、それほど他人と変わらない。という前提にもならない前提は、覆されるわけがないが故に、前提ですら思っていなかった。まさか、その前提があっさり覆されるとは。
 
まるで写真を切り取ったかのような記憶の背景には、理路整然からは程遠い、ファンタジックで彩りの強い極彩色のような世界が広がっていて、それが記憶を補完していたなど、誰が知りようか。
 
 
偉大な記憶力の物語―ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫 学術242)
 
この本では、本の中ではシィーと呼ばれる驚異的な記憶力を持つ人物のお話である。その記憶の特徴、それから彼自身の背景などについて、仔細に説明される。
 
本の中は、不可思議な世界が流れているものの、精神の木枠は計り知れないというのが私の印象だった。
 

記憶が混じらない理由

「何ということをきくのですか、どうして忘れることができますか? だって、ここに、その塀があるでしょう――その塀はこんなに塩からい匂いがして、このようにざわざわ音をたてるし、それは、非常にする取り、指すような音をもっています」。

当然のことだが、共感覚のおかげで各経験の複合的な余剰的な情報から得ることができる非常に多くの諸特性が、正確な想起を保証するものとして作用し、直観的な材料からのいかなる誤差もあり得ないものとしているのである。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P44

シィーは、共感覚の持ち主である。共感覚とは、文字を見たら色が見えるといった、ひとつのことから複数の感覚を読み取るような力のことである。シィーはこの共感覚が極めて強く、音を聞けば匂いを発し、場を見れば音を知るといったようなことができた。これによって、その場その時が一意であると特定することができた。

具体的に表象することが不可能なものを扱った場合、どうであろうか? 複雑な関係をあらわしている抽象的概念や、人間が長い歳月をかけてつくりあげてきた抽象的概念の場合、どのようになるであろうか? それらは実在し、われわれはそれらを理解することはできるが、見ることはできない……。実に、「私は、見えるものしか理解することができない」のであるから……。シィーは、このことを、何度われわれに告げたことか。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P151

しかし、彼の理解は、そのような共感覚で構成されているため、彼の想像を圧迫した。彼が想像するより入力から入る像が彼の世界を満たしているようにもみえる。また、彼は、彼の世界の中で見聞きすることを通じて理解するようなため、姿なきものを捉えることが難しいようだ。ゆえに、姿なき抽象的概念を彼が理解するのは難しい。

 

身体を制御すること

シィーは、自分の心臓の働きや、自分の体温を随意にコントロールできると話しただけではなかった。彼は、実際に、そのようにコントロールすることができたのである。(中略)

どのようにして、このようなことができるだろうか?

「何が不思議なのでしょうか? 私はたんに、私が汽車を追いかけているのを見ているのです。(後略)」

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語より P161

自分で熱を出したり、蕁麻疹を出したりすることができたという人には出会ったことがあるけれども、右手と左手とで温度を変えられるとは。彼の精神と、彼の身体と、彼の外界とを三つに区画した場合、彼の身体は非常に特殊な入出力を繰り返す。外界からのデータから、通常私たちが出さないような匂いだとか音だとかの信号を形成し、それを彼の精神に送り届ける。彼の精神と彼の身体とは、密接のようであってあまり密接でなく、彼の精神からの命令についても、彼の身体は受け取りそれに対して、外界から受け取る信号のように反応することができる。

つまり、彼の精神からの信号でも、外界で「寒いから身体の温度を一旦下げよう」といった無意識の反応にアクセスできるのである。

すべての想像は、現実との境をもっている。

われわれ、想像力に限りのあるものの場合、この境界は明瞭なものである。しかし、シィーの場合、想像力が、しばしば現実感をもつ像を産みだすため、この境界が消失している。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P167

この応用として、痛みを和らげたりすることをも、シィーは可能にしている。想像力で自分の頭にいる腫瘍を倒した少年の話を思い出す。それから「「思考」のすごい力」という本についても。

 

想像と現実の境界

この他、彼は、何十回も、想像上の遊びと現実の行為との中間的なものを、自分の中に認めていた。

「……私の場合、私が想像することと、実際に存在することの間に、たいしたちがいはありません……(後略)」

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P169

どうして、たいしたちがいはないのだろうか。

シィーは、自分が多弁であること、会話のテーマを維持するために常に注意しなければならないこと、そして、それがいつもうまくいかないことを知っていた。そして、観察者である私と、われわれの対談を記録していた速記者は、このような状況は、まだよい方だということを知っていた。著者にとっても、限りなく拡がり、脇にそれていくこの人物との対談から必要とするものをとり出すことは、如何に困難であったことか。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P179

これはシィーでなくとも、間近にある話だ。話をしている間に別のことを思い出して、それに気をとられてしまったりということである。シィーは多分、これが通常の人より何十倍何百倍何千倍も、勝手に思い出すのが多いのだろう。

 

最後に

この本はファンタジーのような現実の話である。

最後に、共感覚について考える。共感覚は、まるで私たちが夢の世界で記憶定着をするのに使っている接着剤のようなもののように見える。ただ、シィーの場合、それが寝ている間だけではなく、起きている間もいつも作動しているようにも見える。

読書ログ 「お金の大事な話」でした追体験

私にとって、本は仔細に刻み込まれた魔方陣そのものだ。魔方陣は、異界へ導くゲートであって、この世ならざる場所へと誘う。魔方陣の作りし者の、再現しようとしたものに、深く深く潜りこんで行けるのだ――などという酩酊するような経験は、本を大概に読んだとしても、なかなかに経験しえないものだ。何がどう悪いわけでもなく、ある一定の条件が揃った時、それは偶発的に起こる。

今回紹介する本は、その偶発的に起こった酩酊的経験をもたらした。

 

お金の大事な話

 

この本は、お金の大事な話を書いている。書いているんだけれども、どちらかというと、著者が慕っている星さんとの対話みたいな話になっている。著者が段階を踏んで、お金について学んでいった内容を、読者の私たちにも追体験できるような話の構成だ。

ちなみに、お金の大事な話については、この本にたっぷりと書いている。内容も素晴らしい。だから読むのが一番いいと思うので、今回は詳細については特に書かない。今回書くのは、著者のこの本に対する心意気の素晴らしさについてだ。

 

500円という値段とカバーデザイン

実は、この本を買った時、あんまり期待してなかった。書店で平積みにして並んであった本で、500円と気軽な本だったものだから、気軽に買ったのだ。そしてこの行動は、この本が意図する通りの行動だった。500円は、そういう「気軽に買う」のを促すために、つけられたものらしい。

そんでもって、本のカバーデザインは、500円をテーマにつけられているようにも見える。白地に金色の五円玉の柄を模している。円の中心が空いているからだ。では五十円ではなく、五円なのか? それは、この金目の色合いからだ。五円玉の色に似ている。

そして五円玉にはもう一つの意味合いがある。それは、御縁。

 

御縁のある星さん

著者の人生の中で、関わった人というのは欠かせない。特に星さんなくして彼のこの話はできなかっただろう。星さんは、私から見ると、彼にとって、すばらしい師だ。状況に的確なアドバイスをし、そして実現がちょっと難しいけどがんばると手が届きそうな課題を与える。

星さんと彼との話は秀逸で、どちらかといえば、この本は星さんを通じて彼が成長してきた話ともとれるのだ。「星さんと僕」というタイトルでもおかしくないぐらいだ。

そんな星さんと彼であるが、関わりのあるのは、もちろん星さんだけではない。いろいろな人と関わりあって、会社を興したりすることができたのだというのが、本の随所からうかがいしれるものだ。星さん自体も、彼の前職での場所で知り合った人である。

御縁はどこに転がっているかわからないものだ。

そんな素晴らしい師に恵まれた著者に対して、穿った見方をすれば、この本は「へーへー、そんないい人に恵まれてよかったですねー」と、見えかねない。しかし、そんな自慢をしたいからこの本は生まれたわけではない。彼が経験してきた内容を、つまびらかに話すことで、私たち読者にも、星さんとの対話を追体験させてくれようとしているのだ。

 

 

この本は、著者の誠心誠意をもってして、生まれた。

内容が誠実であり、丹念に言葉を選び、語っている。それでいて本の価格は500円だ。

実際、ふつうの本で500円という値段は微妙だ。お金の大事な話をするから500円なのか、大事ではないから500円なのか、測りかねるところがあるからだ。今回は、前者だ。

500円にあるまじき、丁寧な、心のこもった本だった。

 

感銘を受けるか、自慢話と受けるか

今回、私はこの本に大いに感銘を受けた。著者がこの本を通じて言いたいことに、大きくふれられた。けれども、それは偶然に起こった出来事で、別の状況で本を読んだとして、同じ感銘を受けられたかどうかはわからない。読んだその時に、私の神経が腐っていたら、きっと私はこの本をまっすぐに受け止められなかったかもしれない。

だから、私は幸運だ。今回、このような感銘を受けられたことに、それを感銘を受けたと自分自身が感じていることに、そのような状況に自分がいることに。

本の読み方は、読む側にゆだねられている。今回の本にしたって、感銘を受けることもできるだろうし、単なる自慢話にも見えてしまうかもしれない。

それでも、本には意図する伝えたいことがある。私は、できるものなら、意図する伝えたいことを受け取りたい。それを正確に受け取れた時、私は心奮え、心臓を鷲掴みされたような気持ちになり、心地よい酩酊感に浸れるのだ。最上の理解を通じて、著者の異界を我が身の世界で実現できたということなのだから。

 

余談:

この読書ログは、もともとR-styleの第1回の書評企画に送るつもりだったが、結局送れずじまいでいつリリースしようかと思っていたところ、運よく(?)第2回の書評企画があったので、合わせてリリースしたものである。

読書ログ いっしょに働きたくなる人を育てられる会社とは? via 「いっしょに働きたくなる人」の育て方

 

マクドナルド、スターバックス、コールドストーンをユースケースにして、これらの会社に働く人々が、どのようにして魅力的になるのか、その原因について究明していた。

成長とは、経験×触媒だと言う。

このうち、触媒は、会社に入る前から会社を出ていくまでのプロセスまでにおいて、13の触媒があると示していた。
会社は、これらの13の触媒を誘発することができれば、一緒に働きたい人が育つ可能性が高くなるといえるだろう。

たとえば13の触媒とは、その会社に働いてみたいといった期待感もあるし、入った後で成長を促すような大会やキャリア制度などが整っているとったこともある。

この本は、13の触媒がどのプロセスとどの部分について関与するかが分類されているのがよい。これによって、各触媒はある一定の状況においてこそ、よく働く特に、この13の触媒をプロセスを基準に分類しているのはすばらしいことである。これが一緒くたに説明されていては、実現するタイミングを特定できないからだ。

しかし、実際本を見る限りにおいてよくわかるのは、育て方云々もそうであるが、三社自体の制度は非常に強固に確立していることだ。

(1)なぜ、そのように行動するべきなのか? が、明確であること

特に各会社における理想的な行動については、方針やら意義やら、「どうしてそのように行動をするべきか」という理由がつけられている。

マニュアルが用意されているマクドナルドでも、その子細な行動の理由は説明されているし、反対にマニュアルのないスターバックスでは、判断基準となるような指針やクレドが提供される。そしてそういった教育がないかわりに、毎日のミーティングの中で、どうふるまったらいいのかのフィードバックがなされているようだ。

コールドストーンでは、さらにその上段の企業理念の浸透に一番力を入れていた。これは、コールドストーンが、アイスを買うという行為を通じてハッピーにさせる、というのが本来実現したいことだからだ。アイスクリームを作る以上に、その気持ち振る舞いを提供するのが、コールドストーンにおいては何よりの仕事となるのである。

これらの三社において、私はよかれあしかれ、サービスにおいて、あの店員がよかった悪かった、といったような人として区別することはない。それは、一様だからである。その社に働く者の行動は、揃っているから、個人として区別して考える必要はないのである。

この一様さを実現するのは、非常に難しいことである。店員によって品質が均等であることが、一様に見せる要因となっている。

(2)成長するための道筋があること

どの会社においても共通しているのは、会社における職種がどのように成長するのかが確立していること。各キャリアの名称から、どこからチェンジアップが可能なのか、ゲームのジョブ変更のようにクリアである。

会社が用意しているからこそ、これらの道はその会社の中では、到達するためのマップがあり、それらの中において、この道筋で進むのが正解ですよ、というロードがある。ゆえに、通常これらの成長過程や進むべき道筋のものを、ロードマップと呼ばれる。

とはいっても、単に紙切れのように職種の名前や規定を提供するだけではロードマップは役に立たない。どういう基準で、職種を変更できるのか、その場で必要となる技能は何なのか、だれがそれを評価し、職種変更することを許可するのか、といった、運用があって、ようやく意味をなす。

三社の中でこれらのロードマップが有効に活用されていることは、そういった有機的な運用がなされている。

(3)成長するための教育する仕組みが確立していること

三社の特徴は、社員がよりよく働けるように、教育する仕組みが確立されている。そしてこれらは、多様なやり方で提供される。

たとえば分かりやすいところで、研修プログラム、それから徒弟制度。

それに、教えるばかりが教育ではない。何らかの刺激を受けて、自分なりに考える機会をもうけることも、教育の一種といえるだろう。たとえば、毎日朝会を行い、気になることを共有したりするのも、教育の一つととらえることもできる。

いっしょに働きたくなる人を育てるために、会社が必要なこと

こういった、会社の仕組みがあったとしても、たった一つのことがなければ、会社として成り立たない。それは、企業理念やクレドなどに代表される、会社としての意志である。

意志も必要、しくみも必要。しかしそれらは最初のうちは、うまくいかないことが大半だ。トライ&エラーを繰り返していくほかには、その会社の最適には近づく道はない。

会社が必要なことは何だろう? その考えるヒントとなるものが、この本には転がっている。

自分コメント

  • 初出:2010/10/16
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