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『モチベーション3.0』のだらだら所感 - 『モチベーション3.0』にまつわるエトセトラ

まとまりなくつらつらと。

 

■『モチベーション3.0』とGTD

快適な仕事をしてる際にフロー体験の話があったじゃない。あれを実装するための道具としてGTDは役に立つと思うよ!

 

■ マズローの欲求階層と、ダニエル・ピンクのモチベーションX.0は別と考えた方がよい

本書のMOT X.0は、「はじめに」の中からいっても、「会社」という状況において考えていることで、マズローの欲求階層は「ある人間」という状況において考えていることで、前提が異なる。

 

■『モチベーション3.0』は、モチベーションとなるすべての要素を出しているわけではない。

著者の唱えるMOT1.0,2.0,3.0は、マズローの欲求階層を明示的に割り当てているわけではない。欲求階層のどれが、どのモチベーションX.0に相当するかは、言及していない。

 

■実現するための会社の前提条件が隠れている

本書が想定している会社が、在る程度成熟した会社でなおかつ成長を遂げたいと思っているのか、そもそも想定している会社などないのかはわからない。

MOT2.0が機能していることとして、会社には以下のような機能が実装されていると、本書では想定しているようにも見える。と思ったのは、本書以下の部分から。

ページ忘れた

・十分な報酬を与えている
・内的にも外的にも公正な評価を示している

 

■ MOT3.0なく、MOT2.0のみで行動ができるのか?

私の疑問点は、MOT2.0のみで行動ができるものだろうか、という点だ。そこに自分自身の多少の目的がなくては、ただ報酬のためにいるとは考えにくい。

ただ、MOT3.0の実現が求めにくいからといって、会社で求められるのは報酬のみだ、と考えることはできる。

 

■ 説明する要素として不十分と感じるのはどうしてだろうか?

意図的に要素を不十分としているのかどうかは、本書からは測りかねるところである。が、モチベーション3.0を紹介するという目的であるなら、それ以外の要素は排除した方がいいので、そういう意味では充足しているようにも思われる。

 

■ 実装割り当ての目処

本書の目的は、「会社は今後、モチベーション3.0を満たす必要がありますよ」という抽象概念を紹介することだった。

だから、これをいかに会社で具体実装するかについては範囲外だ。実装についてはいわれる要素単位で実現すること考えればいいのかもしれない。

 

■ 要素が不十分といいつつ、今の段階でも要素多くね?

本書で出てきた要素は以下のとおり。

・モチベーション1.0-3.0
・タイプA、タイプB
・タイプX、タイプI
・チクセントミハイのフロー体験

タイプABとタイプXIがまざってしょうがない。

 

■日本とアメリカのモチベーション3.0に関する温度差

とあるアメリカの缶詰工場で、生産量アップのためにチーム対抗で作った缶詰の数を競って、一番缶詰が多いところに報酬をあげるとゆーよーなことをしたらしい。結果、缶詰は大いに生産量アップした。しかし、中身がない缶詰が出来上がったそーな。

と嘘かホントかわからないような話を聞いたことがあるのだけれども、モチベーション2.0の思想としては、たぶんこんな感じの人を思い描いてるのかなーと思う。

日本では、モチベーション3.0を持っている人の比率はたぶんアメリカより多い。ま、そんなんで日本では既視感が多いのかもねと思った次第。

 

■参考にされてるユースケース集が多すぎて、反対に抽象化が曖昧になった

実装イメージがあまりに多すぎて、結局どういうパターンの実装イメージを一番に出したかったのかが不明になった。

 

■モチベーション1.0~3.0はバランスが大切

1.0,2.0,3.0という階層があるけれども、会社が社員に提供するべきものは、このすべてだ。問題なのは、バランス。たとえば、3.0を優先すれば、2.0は満たさなくてもいいけど1.0が危険領域に入る、とか。報酬が多く、生活を充足することは可能であるが、実際自分がしたい内容とはかけ離れている場合は、3.0が欠落してくる、とか。

 

■モチベーション1.0→2.0→3.0?

モチベーションの階層は、マズローでも言われているとおり、満たすことができたら次のモチベーション(満たしたいもの)が出てくる。2.0ができるようになったら、次は3.0である。

「現状に満足しているし、別に仕事をおろそかにしているわけでも、していないわけでもない。ただ、成長するには限度がある」

会社という組織の中で、ある人間が充足する種族が出てきたことだ。つまり、2.0の限界値だ。というかある程度成長すると、今度は還元するサイクルに入ると思う。ってこれはMOT3.0とも違う話だ。

思考的な順番としてはモチベーション1.0→2.0→3.0というのは妥当な順番だと思うけれども、実際人間の中で発露する順番は異なるように思う。

 

■本当に会社に対して力を賭けていいと思うこと

モチベーションX.0に関係ない個人的意見。自分は必要な人間だ、価値のある人間だ、といわれるとやる気でるよね。言うだけでそれをなんらかの形で証明しないと信じるまでには至らないけど。

 

■会社が個人に行使できる証明方法は「評価」

私が、会社をどのようなものかと認識する際に、会社(もしくはそこに属する人間)がする行動、そして会社(もしくはそこに属する人間)がする評価の二点が、会社の印象を決定づける。

特に、自分自身の行動は、会社が「評価」することによってでしか、価値は出ないように思う。会社の「評価」方法として、どうしても残念になるのは、目立つことの方がより評価されることだ。人で言うなら、スター社員みたいな。けれどもその周りでサポートしている人達の評価は、というとあまり正当に評価されていないように感じる。感じるだけで、実際のところはわからないけれど。

確かに、この本に言われている通り、会社に評価の公正さがなければ、力はかけにくい。

とはいってもこの思考自体はかなりエマジェネテッィックスの分析型に偏ってそうので、万能な意見とは言いがたいもんだ。

 

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
ダニエル・ピンク
講談社 ( 2010-07-07 )
ISBN: 9784062144490
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

『モチベーション3.0』のまとめ

本書ではモチベーションとはやる気を促すものだと想定している。会社が社員に対してモチベーションを出させるには、次のような観点でのアプローチがある。今まではモチベーション2.1までのアプローチをしてきたが、より社員を快活に働いてもらうには、会社は今後、モチベーション3.0についてアプローチしていく必要がある。

  • モチベーション1.0 生きるために
  • モチベーション2.0 報酬のために
  • モチベーション2.1 MOT2.0+行動の規制緩和
  • モチベーション3.0 自分のために/社会のために

このうちモチベーション3.0を実現するためには、以下のような観点で働きかけるのがよい 。

  • 自律性
    (対象、時間、手法、チーム)
  • マスタリー(熟達)
  • 目的

 

自律性

会社の中で、人が自律的に行動するのを許可しよう。自律的に行動するには、活動する対象を自由にしたり(フェデックスデーや15%ルール等)、活動する時間を自由にしたり(完全フレックス)、作業のやり方については個々人に任せたり、ある活動について活動するメンバーを個別に作るのを許可したり、といったものが考えられる。

 

マスタリー

会社の中で熟達することも、社員の大きなやる気の一つになる。新しいことができるようになったり、同じことをうまくできることが、次に向かう大きな力となる。

 

目的

今の仕事が何のためにしているのか? その目的が具体的に示された場合、人は大きなやる気になる。

 

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
ダニエル・ピンク
講談社 ( 2010-07-07 )
ISBN: 9784062144490
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

 

自分コメント

・省察パターン:概要

モチベーション2.0のバグに共通する二つのこと – 『モチベーション3.0』にまつわるエトセトラ

P93

本では7つの観点から紹介された。7つは分類するにはまばらで具体的な内容だったので、これらに共通する理由を考えた。

(1)結果が固定的である
(2)与えられる結果が、短期的に消費されるもの

(1)は不思議なことだが、結果が固定的になると、途端にやる気がなくなる。どうしてそうなるのか、て考えたら、結果が固定的になると、それは未来でもなんでもなくなるからだと思った。中間過程がどうあれ、報酬がもらえるのだとするなら、中間過程に気を配ったとしてもどうでもよくなる。

(2)は、例えば薬を思い出す。薬は投与されてそれが働いているときは調子がよいが、薬が切れると調子は悪くなる。報酬は、人にとっては薬のような短期的に満たすものであって、長期的な蓄積を与えるものではない。

人にとっての長期的な蓄積とは何か? 例えばそれは経験であったり技術の向上だったりする。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
ダニエル・ピンク
講談社 ( 2010-07-07 )
ISBN: 9784062144490
おすすめ度:アマゾンおすすめ度
 

モチベーション3.0とは何か? – 『モチベーション3.0』にまつわるエトセトラ

モチベーション2.0仕様ではじめたやることリストの紙運用

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メモ やる事リスト (11485006) via kwout

最近私はGTDのネクストアクションを、上記のやることリストに書いて管理している。始めた当初は、以下のようなルールで始めた。
 

最近やることリストでやってること。 – works4Life Season VI

 

 
つまるところ、ごほうびを設けることによって、モチベーション向上を図ってみたわけだ。
最初はうまくいくかのように思えた。しかし、メモの紙が10枚20枚たまっても、私はうまくごほうび運用がまわらなかった。どうしてうまくいかないんだろう? と思い、うまくいかなかった理由を考えてみた。
  • そもそもごほうびとして何枚消費したかの管理が面倒
  • ごほうび買いが私にまったく習慣がない

もともと管理が面倒だろーな、とは理解しつつはじめたら、その後どんだけ使ったかを管理するのが面倒になってしまった。またごほうび買いも、買いたいタイミングをうまく見出すことができずに、ごほうびは1回使ってしまっただけに終わった。しかも上記右下にある枕に使ったわけでもない。

 

1枚終わるたびにごほうび1000ポイントゲットという、ごほうびポイント運用は失敗に終わった。しかしこのメモリストを、私は未だ使い続けている。

 

モチベーション2.0仕様がなくなったやることリストの紙運用

ごほうびポイント運用のなくなったやることリストは、シンプルなリスト運用になった。8つ終わったら次の紙。たったそれだけだ。たったそれだけなんだけど、このやることリストのメモを今は使い続けている。なぜだろう? と思い、このリストのよいところを考えてみた。

  • 8個で1枚終わるので、気が楽
  • 区切りがよい

よいところを考えてみたところ、出てきた印象は、区切りのよさだった。やることリストは区切りがよい。歯切れがいい。8個終わったら、その紙は終了。やった感が、非常にわかりやすく表現されるのだ。それに、いつも新鮮な情報しかないので、その点においてもまだやる気が続く。

たったそれだけのことなのに、ごほうびもなく、どうして続くのだろうか?

 

これが、モチベーション3.0を考える、最初のはじまりだ。モチベーション2.0は、人は怠け者で仕事をするなんて嫌だから、アメとムチを使ってやる気を出させよう、というものだ。しかし、それで人をやる気を出させるには限度がある。モチベーション2.0以上にやる気を出させるものは何か、それがモチベーション3.0だ。

 

報酬があっても全くやる気になれない。どうして自分はこうなんだろう?――そういう人には、とっておきの本だ。答えがそこにある。

 
 
 
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
ダニエル・ピンク
講談社 ( 2010-07-07 )
ISBN: 9784062144490
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或る日記――阿久悠の場合

ただ、自惚れたいい方をするなら、あのとき僕が書き続けていれば、今こんなに歌が痩せずにすんだのではないかとも思います。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

小学校に入るか入らないかの時分、私は「UFO」がとても大好きで、自分でレコードをかけては、居間の中で踊りくるっていた。「UFO」という曲は、幼少の頃から私を惹きつけてやまなかった。その作詞をしたのが、かの有名な阿久悠だ。阿久悠が生涯で作詞した曲数は5000曲にも及ぶ。多作で、そしてヒットの率も半端なかった。

多作だからヒットが多かったのか、それともヒットが多いから多作になったのか――今となっては鶏が先か卵が先か、他愛のない話になろう。私が阿久悠で一番驚嘆するのは、何よりその作詞する視点だった。UFOで言うなら、あんなにトリッキーで魅力的な作詞をどうやったら思いつくのだろうか。アイドルから演歌、そしてアニメのオープニング・エンディングにまで、ありとあらゆる作詞あるところに、阿久悠はひょっこり顔を出す。

そんな彼が日記を書いていたのだという。

 

阿久悠の魅力

「花だと思っていたら木だったんだね」というのが、手塚治虫さんであったり、石ノ森正太郎さんであったり、僕であったりするわけですね。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

私が阿久悠がひきつけてやまないのは、5000曲も書いた、という実績もさることながら、その詞の中で選ぶ言葉のうまさだろう。すべてを語らずに、要所だけは締めて、それ以外のイメージは聴き手に解放している。しいていうなら、抽象と具体の合間にたたずみながらも、自分の言いたいことだけは通すその意志の強さが、詞の中から感じるのだ。

「UFO」だって字数だけなら数少ない。けれども必要な情報は理解させ、なおかつそこに物語的な時間的経過も含まれている。「飲みたくなったらお酒、眠たくなったらベッド」、エピソードは単純だ。なのに比較対象は地球の男とそれ以外だ。突飛すぎてありえん、などと思いながらも、「それでもいいわ」と思ってしまう。

そんな、複合的な要素を持ち合わせた強烈な詞を作る阿久悠は、どんな人間なのか、またどんな風に物事を考えていたのかと、常々関心を寄せていた。

私が耳にした阿久悠のエピソードには、かなりしびれる内容が含まれている。たとえば、どこかで阿久悠はこんなことを言ったのだという。

「みんなは、一家団欒とかそんなものを自分の家にいて詞にできるでしょう。僕はそれを別の場所から眺めて詞にすることができる」

とかなんとか。なんとまぁ客観的な視点を持ちあわせ、それを魅力的な比喩で説明するのか。確かに阿久悠は、作詞することを通じて、日本中を翻弄させ、そして時代を作った人間だろう。その人間が、一番静的であるのが私には魅力的に見え、そして、不思議にも思った。

 

父の背中

今の世の中は、情報という言葉にみんなが騙されている時代です。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

阿久悠の冷ややかな視点はどこから培われたのかは、本中でかいま見ることができよう。彼の思想形成には、一つに病弱であったこと、一つに終戦を体験したことが大きく関与している。

阿久悠は病弱で、長くは生きられないんじゃないか、と医者からも言われていた。それで、物静かに動くようにもなった。病院で生活することも多く、他者を観察することが多くなったという。それだけなら彼がここまでに、人がどのように動くかまでは気にならなかっただろう。大きく左右したのが、終戦だった。

それまでは打倒米国だったのが、戦後では、手のひらを返したかのように、アメリカにすりよる様を、阿久悠少年には子供なりにも驚愕の出来事に映った。まわりの同年代が「ギブミーチョコレート!」とはやし立てて米兵からチョコレートやガムをもらう一方、阿久悠少年は、頑なまでにもらうことをしなかった。

彼の思想形成には、もう一つ大きな要因があった。父親である。

 

阿久悠の父親は、警察官だった。駐在所に勤務していて、ものすごくこれ以上のなく真面目な父親であった。警察官の鏡とも言うべきような振る舞いをしていて、周りから「そこまでしなくても」と言われるぐらいだった。けれども父親はそれをしなかった。「警察官も人間だから」と言えばそれまでだが、それを認めてしまえば警察官の意味がなくなると、阿久悠の父親はそう言って、警察官であること、生真面目な職業人を全うした。

阿久悠少年にその父の姿が影響を与えないわけはなかった。阿久悠少年が、ガムやチョコレートをもらわなかったのは、彼なりの信念を通した結果なのかもしれない。

信念のある筋の通った父の姿と、一方で手の平を返したかのように心変わりした自分と同じ年代だった子供達の姿。この両極端な心の変容が、阿久悠少年が人に大きく興味を持たせたのだろう。

 

阿久悠の日記

これは僕の歴史ではなく、日本という国が何を気にして「今日はいい日だね」という表現の挨拶を交わしているのか、ということを記録しているわけです。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

しかし阿久悠の日記はある人の機微を追いかけるわけではなかった。その時期での共通した感覚、つまり彼の言うところの「時代」を読もうとしていた。その読んだ具体的結果として、日記にはその日その日に起こったニュースが記述された。

阿久悠の日記は、思った以上に完璧だった。阿久悠の、ほぼ日手帳のような一日一枚の日記は、その日に彼が気づいたニュースなどを収集し、その日の午後十一時頃になると、自分で編集会議をして、そのニュースの中から五つ選んだ。それを、日記にしたためるというものだった。さながら自分で新聞を作っているようにも見える。

内容は、自分ごとは一切書かない。アンチ感傷日記として日記は始まった。これを入院してなお毎日ほぼ欠かさずしていたというのだから空恐ろしい。

 

「今日はいい天気ですね」と一言とっても、その時代によって何を指しているのかは異なる。天気はどんな風か、あるいは経済状況を指し示す株価はどうか。株価を気にする人なら、その株価状況すら、「いい天気」という言葉が影響される。彼はその言葉の現れでる子細や背景に視点をあて、その時代を読もうとしていた。

そして、その時代を読み、消えゆくものにスポットを当てて、誰かの居間から静かに中継して詞として紡いだ。

ひどく他人事ではなく自分のことではないとはいいがたく、さりとて曖昧すぎず、思い当たるふしはあるような、人の中にある柔らかい感情に、スポットを当てる。阿久悠の詞は、そんな風に、私にはみえる。

 

自分の日記

時代の風を読むということは、そのとき流行っているものをとらえるということではないんです。
むしろ、その逆で、今は人気がないけど、それは大事なことではないか、耳をすませばその声が聞こえてくるのではないか、ということのほうを大切にするべきです。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

当然のことだが、もちろん自分は阿久悠ではない。この日記の話を読んだ時、まっさきに考えてみたのは、自分もこのように実行してみよう! と思ったことだった。

しかしそれはやめた。

自分は阿久悠ではない。彼は時代を読むために、みんなが影響を受けたであろう、天候や株価、そしてニュースを編集して、自分なりの新聞のような日記を作っていた。

私は時代を読むためが今の目的ではない。一般的傾向と微妙に異なるように映った私自身をとらえるために、私が何らかの事象に出会った時、どのように反応するのかを見るために、私自身の感情に注意を払っている。

彼のような日記ではそれをうまく拾うことはできないし、何より読みとることができない。だから今はやめた。

 

興味は人によって違う。時代を読むのに興味のある人間もいれば、自分の感情に興味がある人間もいる。また別の興味の視点がある人間もいるだろう。その興味は別に誰かに強制されるものではない。視点も変わるのだから、日記の内容や書き方が変わるのは、自然な成り行きだ。

この本では、阿久悠が時代を読むために採った方法の一部が紹介された。私のように採り入れなくてもいいし、もちろん採り入れたってもいいだろう。ただ、肝に銘じておくべきことがある。

自分は、何のために、どんな方法をとっていくべきだろうか。

 

日記にみる阿久悠

たとえば、僕は、初めて東京都庁に行ったときに「まあ、こんな悪の帝国みたいな建物によくいますね」といって、嫌な顔をされたことがあります。

――「日記力―『日記』を書く生活のすすめ」より

この本から見える阿久悠は、なんとも味わいのある魅力的な人物だった。ひょうひょうとした文章で語ったり、そして時たま結構なシニカルさを持ち合わせて書いたり、昔のあられもない自分の姿を静かに話したりする様は、とても自然だった。

阿久悠の言葉にはいつも風が舞っている風だ。雰囲気がある。巧みである。素敵だ。この語りぐさを味わうだけでも、この本は十分に酔いしれることができる。

確かにこの本は阿久悠の日記の本ではある。けれども、阿久悠を知ろうとしなくたって、日記なんて知ろうとしなくたって、それでもいいわ。

 

日記力―『日記』を書く生活のすすめ
阿久 悠
講談社 ( 2003-06 )
ISBN: 9784062722018
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

GTD Japan Review(9) 総括

最終回である。

総括

今回の一連の記事は、今までつらつらと思ってきたことややってきたことをまとめたかったことにある。もともと2009年の年末に書き始めた内容のもので、当初は年末の締めくくりの記事として出す予定だった。が、なんだかんだと流れてしまい、春の今となったわけだ。

Reviewという意味ではその名の通りに見直しをすることができたのですっきりしたところである。日本で流行らない理由をつらつら考えてきたけれども、考えておきながら、実際は好き勝手に活動しているようにしか見えない。ゴールまでがあまりに遠くて、今はただ、手のつけられる所ぐらいか範囲が広げられないからだ。

自分のやってきたことは、集中してそれをしていないにも関わらずよく実行できたなと思うものの、分量的にやっぱり少ないなぁと思う。けれども、私のフィーバーサイクルが半年持てばいい方なのを考えると、GTDは長らく活動が続いている方だ。私の傾向から見れば、たいした活動だ。やったね自分! がんばったね自分!! と褒めておこう。

そんなわけで、今までの活動はこれで一旦〆。明日からはまた新たな気持ちで進めていきたい。

以降は今回書き連ねる暇のなかったのを軽くまとめた内容である。これをもうちょっと引き伸ばして記事をかけたら、断続的な刺激になるのでわと思うことしきりであるが、一旦放出しておく。

1.日本でGTDが流行らない理由へのいろいろなレスポンスを受けての再考察

Twitterやブログで流行らない理由についていろいろなレスポンスを受けた。もともとこの記事は2009年の年末ぐらいに書き始めたもので、要旨はさほど変わらずに書き直したものだ。なので、思考の開始から数か月たったこと、それから今回レスポンスのあった内容から、私自身も流行らない理由への感想はばらばらと変わってきている。

で、納得したのが下記の通り。

これらの理由から「日本でGTDが流行していない」と私は考える。つまりGTDの中に潜む何か、日本社会の労働環境に潜む何かが問題を持っているわけではないということだ。GTDに関しては単にティッピングポイントを超えていないだけ、そんな印象を受ける。

R-style » GTDは何のために行うのか?

あー、である。というかそうだよな、そうだよね。

実は、あれは煽るための記事だったのだ。

と、いうのは嘘です。

気を取り直して、なんであんな風に考えたのかと、自分を振り返ってみると、GTDを取り上げた際の日本のマネージャ層の反応の仕方、それからGTDを会社に取り入れたい際にボトムアップで回りを巻き込んでするのがいいと言われたことがある。

そもそも会社への導入は実績もさることながら、会社全体の生産性を上げるためにはどうしたらいいか、といった時にGTDやりゃいいじゃん!と思ったんである。例えばプロジェクトでGTDサイクルをするにはどうしたらいいかと。じゃあそのプロジェクトにGTDサイクルを適用すればうまくいくか、と言えばそれはうまくいかないと、David Allenがどこかで発言していた。でも、個人個人にGTDを適用して、それからプロジェクトとしてGTDを展開すればうまくいく、と。となると次に実現するためにはそのグループを構成している全員にGTDを適用するためには? GTDがやれ言えばいいんでないのか、と。

それと同時に個人へのアプローチも合わせて行っていた。私はここらへんはせっかちな人間で、理論はともかくやればそのうちわかるから! というエマジェネティックスのコンセプトそのもののアプローチで押し切りたくなったのだった。で、トップダウンで仕事をした時に話の通りがよかったんで、それで上からやれれば早くに会社に適用できるんじゃないか、と。

などなどの目論見の結果があーなったんじゃないかなと思った。

とりあえず数が足りない。

ある意味、反応がよくなったんでええんではないかと思う。

「知識を行動に移せない理由」については、また折を見て見直したい所である。

2.GTD実施者の成功例を増やすために強制的にさせるために、会社を使うのはどうだろうか?

私はGTDを会社で一貫してしたいと思っている。理由はいくつかあって、その一つに、GTDを正確に実行するには、強制力のある状況でない限り難しいことがある。GTDを本格的に行うには、かなりの拘束時間が必要となるし、それなりの忍耐力が必要となる。

ぶっちゃけ処理ステップって、ちまちました要件を片っ端から片付けていくようなものだ。これをまじめに行おうとすると、それ相応の気力体力が必要になるのも測り知れるだろう。

で、これを個人で行うと、おざなりに行ってしまい、結局GTDってこんなもんなのかしら、ていうことになる。まぁ、一所懸命行うラジオ体操と寝ぼけ眼で行うラジオ体操とでは、雲泥の差があるように。

で、その強制的に行うことで、厳密に近い方のGTDを実現したいがために、会社を使ってGTDを厳密に実行できる状況に追い込みたいと思ったのだった。

アメリカでは、会社から強制されるから、正確なGTDが伝授される比率が、高いのがあったんだろうと思う。

3.GTDは社員の成長期間への対応と、チャネル対応のために有効ではないのか?

会社でGTDが必要なのは、社員の成長に関する時間的な問題もあるからと思う。昔の頃は今に比べると牧歌的で、社員が成長するまでにも結構な時間の余裕があった。しかし、昨今の仕事事情は忙しく、社員が入社して一人前になるまでには時間が昔に比べて短くなってきているように思う。

また、仕事の状況も刻一刻と変わってきている。特にチャネル数が昔に比べると極端に増えた。ベンジャミンフランクリンの時代はまだコンテクストが場所ぐらいだったのが、今は同じ社内でも、電話・ネット・メール・ミーティングなどなど、ありとあらゆるところから新しい情報がやってくる。

その二つがあいまって、会社自体が社員に対して、それらの環境に相応するような成長剤を用いる必要があるだろう。それが私はGTDだと思っている。

4.GTDは会社の業務改善の一つの解決策として有効ではないのか?

私が何か問題があった際に、次の順番で対策を考える。

(1)自分に対して、行動的対策を考える

(2)自分に対して、思考的対策を考える

(3)外部に対して、行動的対策を考える

七つの習慣にインサイドアウトというのがある。GTDはこのうちインサイドに対する内容で、そして(1)に相当する。

会社の戦略的にも同じことが言えるだろう。外部で売上を上げる(3)の対策と、会社内部の業務改革等での対応を行う(1)の対策とである。

(1)はポピュラーな対策として業務改革がある。業務フローを見直すことでもっと抜本的に効率化ができないものかと考える試みだ。GTDはそういう抜本的な大仰な流れを変えるものではなく、各個人の活動に関して見直しをかけるものだ。しいていうなら、全機械の歯車に油をさして回るような作業のようでもある。

確かにGTDは業務改革から見たら、小さな対応策のようにも見える。しかしながら、実際GTDを行うのは、エネルギーの省力化であって、業務改革が目指す効率化の目的と違うことはないはずだ。

正直インパクトも初期コストも小さいので、業務効率を行う上で、ひとつのメニューとして選ぶのには最適なのにと思っている。

5.GTDは会社全体の仕事の標準化のために一つの基準として用いることはできないのだろうか?

私が会社でGTDをしていて一番楽だったのは、週報を書くことだ。上司に連絡する単位をGTDのプロジェクトの単位で考えて、丁度GTDのレビューと週報を書くのを合わせて行っていた。また、週報は必須項目なので、GTDの週次レビューを半強制的に行うことができた。

それ以上に何より思ったのは、会社全員がこのような粒度で考えることができたりすると、もっと作業もれや手順の考え方などに齟齬が生じないんじゃないかなと思った。

6.GTDは、各社員の精神的成長のための手段として有効ではないのか?

成長期間への対応については、時間的な問題について焦点を置いた内容だ。ここで言う成長とは、人間的成長であり、例えばいかに大局的な視点で見ることができるように社員を成長させられるか、ということである。これについては、ドリルなどが用意されて鍛練を組むような内容も用意している。

で、この教材としてGTDのサイクルを回す習慣をつけることによって、成長を促せるのではないかと思う。事実私がそのように成長できたように思う。

以下のような成長を目指すためにはどうすべきか?何か補助となるものはあるのか? といったところの一つの補助としてGTDが役立つんではないかと思っている。

人とは本来、自分なりの考えや哲学を持って行動するものです。仕事の目標を自分なりに決めて、悩みながらまた幾度となく壁にぶつかりながら、自分の目指すものに挑戦を重ねていく。そこから仕事の知恵を体得し、次のステップに進んでいくのです。そのプロセスを省略して一気に答えにたどりつこうとしては、「なぜそうなのか」と自力で考える力が養われません。そもそも最初から答えがある仕事は、仕事ではなく作業です。仕事とは、自ら問題を見つけ出し、その解を探し求めていくものです。

「仕事術」だけで未来は切り開けない:日経ビジネスオンライン

7.GTDは、自分の中で生じる矛盾した気持ちを同居するために有効ではないのか?

私が公私ともにGTDを好んで使っているのは、とにかく自分自身を否定するわけではないように動くことができたからだ。

私はこれがいい! と思う「思いつきだよ人生は」チームと、実現できるかどうかのチェックする機構の「実現検証監査」チームとが大きくいる。この二つのチームは私の中にいて非常に悪いチーム仲であった。「思いつきだよ人生は」チームの思いつきに対して逐一「実現検証監査」チームがチェックを入れて、実現できないじゃないか、もうちょっと夢見物語じゃなくて地に張ったやり方を提示しろよ、実現的じゃないし、そもそも筋が通ってないから納得ができないじゃないか、とちくちくちくちく文句を言う。自分の思いつきなのに。

そんなんで、私の中では、思いついてはそれを自分で否定し、また思いついてはそれを自分で打ち消し、さらにまた思いついては自分で茶々を入れ、というような繰り返しを行ってきていた。

二つの意見は確かに相反しつつも、どちらの意見も私の真実の意見でもある。それを、GTDは考えるタイミングをずらすことで実現した。タイミングをずらすだけで、それまで批判的にしか動いていなかった「実現検証監査」チームは、同時に考えた時より、実現できるかという点に絞って考えるようになった。

このように、GTDは、相反する考え方を有効活用できるのではないかと思っている。

8.GTDは、自分の中で生じる過去と現在と未来の情報引き継ぎを補足するために有効ではないのか?

私は存外記憶を保持するのが薄い人間だ。懐かしいという感覚もちょっと薄くて、若干不安になるぐらいだ。なので、自分が昔言った内容などにはあまり記憶を思い出す方法では信用がならない。仕事でプログラミングをしたら更にその考えは確信になった。3か月前のコードが、何をしたかったのかがよくわからなくなるのだ。

だから、3か月前の私も赤の他人なのであって、引き継ぎ作業が必要となる。それがGTDで取り交わすメモがその引き継ぎデータとなるのではないのかと思っている。少なくとも私は昔の私がしたかった内容を確認することができるようになって非常に嬉しい。薄れゆく記憶の中で、少ないながらも昔の私の残したものを繋げていくことができる。

ということに非常に納得したエピソードがある。ライフハック心理学の一つの記事で、メメント(記憶が5分か10分で戻ってしまう男の人の話)を取り上げていたのとあとタスクシュート(15分単位でタスクを管理するシステム)の話があって、そのタスクシュートの15分が、丁度メメントの10分のように相当できる、とかなんとか。

で、私たちはメメントの彼のように、くっきりと記憶が断絶するわけではなく、つなぎつなぎの記憶で私という個の精神が成り立っているんだと納得した。特に、視界の障害で、私たちは流れる映像のように見えているけれども、これが1秒や数秒の静止画でしか見えない人がいる。記憶もこのように合間と合間を繋げる機能があるんではないかと思う。

そんなんで、記憶がすぐに揮発してしまう人間でも、GTDというサイクルを行うことによって、記憶の引き継ぎを一個人ででき、補完できるのではないかと思う。

9.GTDは、自然な仕組みではないのか?

GTDの仕組みは、至極自然だ。

高校の時、郵便局のバイトをしたことがある。私が受け持ったのは一番最後の状態で、ある番地の年賀状を各家毎に振り分けるものだった。最初、局員の方から説明された内容は、仕切りから左から順に1番地2番地という順で割り振りなさい、というものだった。最初は私もそれをしていたんだが、少し工夫した。

(1)まず数の多い家とそうでない家でわけ、(2)そうでない家でさらに分け、(3)最後に全家に対して不備がないかチェックする、という段階を踏んで行った。

動作をまとめる、という視点に立てば、上記のような工夫の仕方もGTDではないかと思う。そして私がそのような風にするのは至極普通で特に違和感はないのだ。上のやり方にしたって、別に特段詳しく考えてやったことではない。ただ、自分の作業を楽にかつ素早く行うためにはどうしたらいいのか、と思った結果である。

このような考え方は、私に限ったことではなく、自分の得意な分野、好きなものに関して発露されるものだ。なぜなら、自分の好きなものならば個数をこなしたいので自然と多数の項目をこなすための方法を編み出す。それがGTDの基本となる枠組みとなる。

そんなんで、もうちょっと軽い考え方で展開できないものかとも思うことがある。

10.GTDは、いろんな意味でストレスフリー

GTDはストレスフリーな活動の技術であるけれども、じゃあいったいどんな点でストレスフリーなのかを考えると多分にあって絞りきれない。

今ざらっと思いつくストレスフリーな詳細というと、以下のようなものがある。

・忙しい中でもセイフティゾーンを見つけることができるので、ストレスフリー
・覚えておかなきゃいけないことが、外部の信頼システムに預けておけるので、忘れる心配から解放されるので、ストレスフリー
・タスクを切り替えるのに今までは何も材料がなかったが、それを効果的に行う術が見つかって、ストレスフリー
・自分の中で生じる矛盾を、ステップで時間をずらして実行することで、効果的に用いることができて、ストレスフリー
・私が昔やろうと約束したことを忘れずに実行できて、約束を守ることができて、ストレスフリー
・自分ができる範囲とできない範囲、つまり自分の責任範囲の区別ができるようになって、不用意に責任を感じなくてもいいことがわかるようになって、ストレスフリー
・タスク管理をする際に、今まで苦手だった時間の概念を別に取り扱いすることができるので、ストレスフリー
・今まで私が自然にやっていた自分のやり方をGTDのやり方です!と言えるようになって、ストレスフリー

11.GTDの好きなところ

最後にGTDの好きなところで、この一連の記事を締めくくろう。

GTDは、GTD自身をなじらなくてもいい

私は存外天邪鬼で文句言いな人間だ。筋が通らない部分が見つかったりすると、それだけでそれ自体の完全性の輝きを失ってしまい、がっかりする。

仕事術についてもいろんなものを見かけてきて、一部は私も導入させてもらったり助けてもらっている。しかし一部だ。全部というわけではない。

りんごを一片だけかじったようで、他を拒否してしまうのはなんだかいつも切ない。そしてそう思う自分も切ない。

GTDはりんごそのままを丸呑みできた。咀嚼もしているけれどもまだまだ味が出てきてこれまた美味い。

そういう個の全体をして認められることは、私にとって数少ないことだ。GTDは矛盾なく存在している。その概念形成が素晴らしい。

GTDは、私自身の全てを包括し、許容する

GTDは一部ではなく全部を飲み込むことができると上で話したが、私自身もGTDに全部飲み込むことができる。

例えば仕事術といったようなものでは、仕事関連などのみに焦点を当てており、私生活での家事やら雑多なことなどは、範疇外としている。けれども、仕事といっても、結局は私という全体活動の一部分なのであって、生活とのバランスがあって、仕事が成り立つ。

GTDでは、その対象範囲を私自身、としているために何でも対象として考えてもいいので非常に楽だ。こういう、活動の指針としてGTDが流れているのはとてもいいなぁと思う。

GTDはその対象範囲を私自身としており、その時間的な対象も今だけに絞っているわけではない。私がそれを許容しさえすれば、私の人生の全てを包括しても構いはしない。GTDは太っ腹だ。

更に拡張して、実現するのが私であることを制限を解放しさえすれば、更にGTDの対象範囲は広がる。私が存在してもしなくてもいいのだから、その時間的対象は100年200年にまで拡張することができる。理論的には。

それらの対象範囲の広がりをGTDは持っていて、私は使えば使うほどその対象範囲が広がるように感じている。

GTDは使えば使うほど味が出て、私自身と形を融合していく。しいて言うなら私は、私は食べ物の消化システムと類似した、情報の消化システムを手に入れたのである。

GTDは、私がしたいことをしたい、というのを実現するのに手助けしてくれる

昔の勉強会で私のGTDの実装を紹介したことがある。そのとき、私のGTDのいいところは、自分がしたいことがしたい時にしたいようにできる、と説明した。

GTDは可能性を狭めるのではなく、拡張してくれる。例えば今は実現できなくても時期をずらして実行することを可能にするようにSomedayリストに入れられるようにする。そうすると、昔私がしたかったことも、タイムカプセルのように働いて、いつかは実現できる可能性を残しているのだ。今までは、そんな内容は砂漠にある砂金のごとくに取りこぼしがちだったものだろう。

そういう意味では、私はGTDをするようになって欲張りになった。欲望を否定しなくてもよくなった。トリッキーな、大それた、現実を度外視した、といったような内容をInboxに入れたとしても、Somedayリストに保管してくれることを知っているからだ。棄却されるのとされないのとでは、大いに違う。

GTDは、自信をもたらしてくれる。

私は、私というものがばらばらだった。

私には矛盾する二つの考えが同時に生じる。それが苦痛でたまらなかった。そんな風だったので、ずいぶん自分が一つの個として存在しているのが、どうにも不思議に思っていることがあった。

私は本当に私として存在しているのかしら、と。

自分というものに確信がもてず、判断するにもその判断内容に自分自身が納得していなかった。また自分の気持ちも一つの事象から複数の入り混じった感情がもわっと膨れ上がって、毎回私はそれを仕分けしなくてはならなかった。

私は私がよくわからなかった。今でもその傾向は大いにあるが、昔はもっとわからなかった。

それを取りまとめることができるようになったのがGTDである。

感情が言葉に全てひもづいているわけではないことを知ったのだ。

そして処理ステップを繰り返すことによって私の判断というものがどんな風に決め、そしてその結果どうなったかをレビューステップで見直しをかける。そうすることで、私が生じさせる因果の傾向が見えてき、そしてその結果、自分の判断基準がだんだんと確固たるものとなっていく。そのように思えた。

また実行していくことで、自分の判断と行動に確信することができ、それが自信へとつながっていったのである。

終わりは全てのはじまりだ

GTDはGetting Things Doneの名の通り、成すべきことをなす事だ。私はそれを、GTDを広げるために、成すべきことをし、そしてこれからも続けていく。

私だけに流行っていてもしょうがない。もっともっとGTDのことでみんなにも活動してほしい。私は言うことはできるが実行力に乏しい。でも私だけでなく何人か集まればできるんじゃないか。

さてこれにて一連の記事は終わり。GTDについては最近伝えたい気持ちが強すぎてこだわりすぎていた。私の気持ちが少しでも伝わればと思う。

今までご愛読ありがとうございました。そしてこれからも新たに宜しくお願いします。

GTD Japan Review(8) これから私がしたいこと(野望編)

前回までのあらすじ

前回まではここ最近私がやってきた内容をもとに見直しをかけて、今後近い将来(1年以内レベル)にどういう方針でやっていくべきか、について方向性を見直した。で、今回は、そういうのはもうちょっと取っ払って、本当はやりたいことを書いてみる。夢見るはロマン、言うはタダ、行うはGTD。

 

1.会社でトップダウンで全社員に導入する

会社で公募した内容だが、まだ諦めてない。トップダウンで全社員はちょっと…と言われるかもだが、社長および部長課長クラスだけ導入ぐらいがトレードオフ。

これは、会社の実績がほしいためのアプローチ。

本当は全社員に展開してほしいんだけれども、トップがその効果を理解しない限りには、適当に放置されてそんなに浸透できない。とにかく頭もしくは部長クラスの一人ぐらいを引き入れられれば、GTDで制圧するのにはかなり時間が短縮できると思っている。

だいたい社長や部長クラスが必要なのは、そういう技能がないからという問題じゃない。彼らの場合、エネルギー効率の問題だ。体力・記憶力・発想力を今まで以上に発揮することができる。少なくとも私は信じている。で、彼ら自身のメリットはそれで、彼ら以外に対するメリットは、GTDの効果を体感し、それがいかに実用的かという点だ。

これができてようやくGTDを他の社員に全展開する下準備が仕上がる。ちなみに、私が全社員にGTDを適用したい理由は、進捗の考え方が一律化ができて、進捗管理等など説明するのが簡易できると思っているからだ。社員関連の今の大問題は情報処理の問題が数多い。特にメール。及びプロジェクトの進捗。ここら辺がもう、今のツールでは情報量と合ってない。けれども、今までなんとかなっているし、新しいツールを探している暇もないしで、とりあえず今の状況に合わせている状況だ。しかしながら、もう全世界自体が情報処理の転換期にさしかかっているように感じる。そのためにこそ、新しい処理方法のGTDを、プリインストールしてほしい。

私が個人的に募集していること

会社でGTD適用してみたく、一緒に全展開プロジェクトを考えてくれる、男気あふれる会社様。は、流石に難しそうなので、部長クラスレベルでGTDのモルモットほしいなーって思います。フルでインストラクチャさせてもらいますのでやってみたい人いたら、問い合わせからご連絡ください。本気で!

 

2.手取り足取りGTDの本を書く

ターゲット層は、GTDをはじめてみたいと思っている人、GTDをはじめたけど困っている人、GTDやったけどわかんねーよ!と思っている人、GTDやってるけどいまいち理論がよく分からず知りたい人、というGTDがビギナーレベルで理解がもやもやしている人。

この人たちに対して、GTDをはじめて、対話方式で困ったことに対して答えていく内容の話。できれば軽い読み物がいいので、マンガ方式だとなおよし。

GTDの方式は私の中では大別すると二つあって、頭の中身だけを対象とするベーシックと、頭の中身と物理物を対象とするフルスペックがある。このうち本で書くのは、ベーシック→フルスペックに展開するという方法。GTDは物理物に対象を広げてようやくフルスペックな考え方に等しくなる。その人の今後の概念はフルスペックであることが重要なので、フルスペックまでを説明するのは必須。

 

GTDには習熟までに段階がある。

GTDの本の副題は「The Art of Stress-Free Productivity」といわれているように、GTDには「技術」が含まれているのであり、このうち、本に書かれているのは最高峰の「技術」であり、フルスペックなGTDはこれをさしている。

最初の頃からフルスペックなGTDを見せておくのには、どこへ向かって習熟すればいいかの基準とするためだ。北極へ向かいたいのに南極へ向かうことはスタート地点から避けたいものだ。それを避けるため、フルスペックなGTDは最初から見せておく必要がある。

ちなみにGTDの考え方は、情報処理及び意思決定及び行動管理をまじめに効果的に効率的に行おうとすると、どうしたらいいのか、を書いているだけだと思う。これはGTDだ、これはGTDではない、というわけではない。ただ、人によって掃除の度合いが違うのと同様に、処理の度合いが異なるだけだ。

素人の飯と玄人の飯は美味さが違う。

 

 

3.GTDに関して論文を書く

これはInboxレベル。そもそも何のために論文を書くのか、何を証明したいがために論文を書くのか、論文で証明できるGTDの要素は何があるのか、証明するための実験にはどうすればいいのか、ということなどを考えないといけない。

 

4.David Allenにレクチャーを受ける

David Allenが死ぬまでにこれだけはやっておかねばなるまい。ここで言うレクチャーとは、David Allen直々にインストラクチャ―してくれる方。

 

5.GTDを学問化する

私はGTD自体は何がしかの体系化ができるんじゃないかなと思っている。Davidは学校でGTDが学べるようになったらいいねって言った。それならまずは、GTDが永らえるための装置が必要だと思う。つまり、GTD自身が自立して存在するための方法だ。その方法として学問化がある。学問化はその概念を俗人化から外部化することで実現する。その人の中で育った木を切り離して土地に植え直し、今度は反対に人間がその木の添木となって成長を続けていく。

情報が分散し、エントロピーが広がる一方で、GTDという情報処理システムは今後も必要になる技術だろう。そうならば、私はやっぱりGTDは末永く伝わってほしいと思う。

 

6.GTDの会社を日本で設立すること

続けるためにはまずは実績なんだよなー。

 

7.David Coに就職すること

何も言うまい。

 

次回について

次回はようやく最終回だ。もうちょっと短くまとめる予定がなんだかんだと長くなってしまった。次回はこれらの内容を全く踏まえるかどうかは別として、言い残した内容などをだばだばと書いて終わることとする。多分。

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