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GTDとは、自分が導きだした答えを信頼する方法

 

GTDの本が出た! 早速買って読み始めている。英語版も買ってはみたものの、さっぱり読むまでに至らなかったので、嬉しい限りだ。

GTDを続けてきたけれども、答えはあるようでない。いつも、自分がこんな風に考えてきて、間違ってはないだろうかと心配になることもある。唯一の確かさは、自分の文句言いが、未だGTDの考え方に穴を見つけられていないことだ。

真実とは、反証が見つかっていないものである――という言葉あるけれども、私の考えもそうだ。そこに何か問題がない限りには信じることができる。「はじめてのGTD」のレビューを書いた時にも同じように書いた。GTDには、私からは問題が見つからなかった、だから、私はGTDが素晴らしいのだと同時に、自分の考えに間違いはないことの証明にもなるのである。

『はじめてのGTD』が全世界の人々に提供したのは、自分が導き出した答えを信頼する方法だった。

上記見出しの言葉は、本編17ページの太字部分にあたる。そうだ、そうなんだよ! 確かにGTDはシステマティックなやり方を提供はしているが、実際に行っているのは、自分との対話である。これは何か?を何度も繰り返し、新しく出てきた何かに対して、自分との関連性を見出そうとする。これを対話と言わずになんというのか。

自分が導きだした答えを信頼する方法としての、二つの側面

GTDは、自分が導きだした答えを信頼する方法として、二つの側面を持っている。

一つ目の側面は、GTDのシステマティックなやり方だ。このシステマティックなやり方は、システマティックであるけれども、ナチュラルプラニングにも同じ枠を持ち、そしていろいろな自然的な現象であって同じ相似を持つ型である。そこに自分の意志も流れを合わせることで、納得のいく答えを導きだすことができる。

この側面はよく言われている内容だ。

そしてもう一つの側面。GTDは習慣化するのに用いることができることだ。実際に用いるか用いれないかは、簡単なようで簡単でない。理論はいいが、実際のやり方はわからないことはよくある。しかし、GTDは実践することを重要視していることから、実際に実行することができる。そうして、実行することで、実行した人は、経験を積み重ねることができる。これが、実にGTDが素晴らしい点である。

経験

私がGTDを通じて感じたことは、やはり数の問題だ。処理ステップを何度も繰り返し行うことで、取捨選択をする。この「選ぶ」もしくは「決める」ことの繰り返しによって、自分というものが確立していくことを体感してきた。

 

一つ目の側面は、「選ぶ」もしくは「決める」ことに対して、判断基準となる情報を効果的に準備する方法を提供する。

しかし、そんな準備する時間がない場合は、どうだったら自分の導きだした答えを信頼できるのだろうか?

そうするためには、判断するのに利用可能なユースケース、つまり経験を自分に積み重ねることで、判断する情報を集められなくても、それなりに自分の導きだした答えを信頼できるのではないだろうか。

それを実現できるのが、今回話した二番目の側面である。

確率も、数をこなせば精度があがるように、「選ぶ」もしくは「決める」ことも、数をこなしていけば、それなりに精度があがるのではないだろうか。そして尚且つ、その選んだあとの行動について自分なりに予想がたつことで、どうやって対応するかの対策をとることができるのではないだろうか。何を「選」ぼうが、どっちに転んでも、何をすればいいのかだいたいはわかる、だいたいはなんとかできる――そう思えることこそが、自分の導きだした答えを信頼しているのではないだろうか。

 

GTDは、答えを導き出すのに、情報を収集し検討する過程を提供することで、自分の導きだした答えを信頼できるようにする。尚且つ、GTDは、それを繰り返すことで、答えを導きだすのに、情報を自分自身に蓄積し検討する過程を提供することで、すぐにこたえなければならないような問題でも、自分の導きだした答えを信頼することができる。私はそう考える。

ノるか、ソるか。シュレーディンガーの猫はいつも目の前にいる。

 

そういえば、「選ぶ」ということについて、まだ読んでないが、この本が気になって買った。

選択の科学
シーナ・アイエンガー
文藝春秋 ( 2010-11-12 )
ISBN: 9784163733500

読書ログ 鬼の心のうち「マイナー力」

桜井章一と言えば、雀鬼と呼ばれる雀士だ。渋い、かっこいい! 「R-style » 書評 「マイナー力」(桜井章一)」で見かけて気になって読んでみたところ、身につまされることがいっぱいあった。以下に気になった文章を抜粋した。

 

精神と身体のバランス

そういう意味では、「知」と「行動」のバランスを取ることがとても大切です。「知」だけが肥大化して、「行動」が伴わずにバランスが崩れると、ウツ病などの心の病になりかねません。

via 「マイナー力」 P33

行動をするとそれに伴うフィードバックが起こる。身体の行動は、その刺激と反応のサイクルは割と守られてるんだけど、精神の場合はこのバランスが崩れやすい。そうすると、フィードバックのない精神世界は、現実とますます解離してしまい、自分のみぞ知る世界となってしまう。もしくは、行動の多い世界にまみれてしまうと、それに対応しきれずに、自分の世界が崩壊してしまう。

 

好きな言葉、嫌いな言葉

ところで、私は麻雀を打ったり仕事をしたりするとき、努力をしている感覚は一つもありません。私は努力という感覚が嫌いです。

私にとって「努力」は、あくまで「工夫」なのです。何事も工夫だと思えば、「努力している」という重いは消えて楽になる。「努力、努力」なんて思っていると自分自身が辛い師、その辛さから「私は努力しているんだ」と人に訴えた句なるかもしれません。

しかし、努力を工夫に変えると面白さが入ってくるから、努力すらも楽しみになってくる。「努力することを楽しみなさい」ということではなく「努力を工夫にしちゃえば楽しみになる」ということです。

via 「マイナー力」 P41

人によって好きな言葉嫌いな言葉がある。馴染むというか馴染まないというか。私は「努力」という言葉は半々。ただ、努力という言葉を使っている場合は、私の場合、無理をしている状況ではある。

 

表現と内省

外に向かって広げることばかりを考えるのがメジャー感覚だとすれば、四里四方の中で生きようとすることはマイナー感覚でしょう。しかし、今はグローバルなどと言って、あまりにも外に向かって広がり過ぎていると思います。だからこそ、なおのこと四里四方という感覚は重要な意味合いを持ってくるのです。

via 「マイナー力」 P47

広げれば広げる程、薄まっていく。

 

グローバルとローカルとの付き合い

肝心なのは、自分の中に無意識のうちに形成された常識を疑ってみるということ。そうやって常識をふるいにかけ、非常識との狭間でうまくやっていくことです。

常識と非常識の狭間で揺れながらやっていくからこそ、人生は面白いのです。それこそが自分で考えて責任を取り、自分自身の足で立つという「生き様」になります。

via 「マイナー力」 P58

やったもん勝ち。

 

結びついてるものをばらけると力は弱まる

なぜならテクニックと引き換えに、もっと大切なものを失ってしまうような気がするからです。

その大切なものとは「自分」。テクニックを身につけることで、かえって自分というものを素直に表現できなくなるような気がするのです。自分が感じることや思うことを、自然に出せればそれでいいのです。

この感覚が、「ありのままに生きていられる」ということです。ありのままに生きるということは「自分を捨てないこと」、そして「自分を占いこと」。テクニックや力に頼らず、等身大の自分をさらけ出す生き方こそがマイナー感覚です。

via 「マイナー力」 P64

あるプロゴルファーが詳細なゴルフの解説本を書いたそうな。書き終わった後、ゴルフが下手になったのだという。とは言え、テクニックの話は、それはもとから感覚があるものに対して言えることであって、やっぱり全く素養のない場所では、そういったテクニックから吸収していく必要はある。

最終的には、そういったものを超える必要はあるけれど。

 

確証のない世界

「愛」や「お金」「宗教」「出世」「学問」など、「他」に求める「確証という名の依存の種」は、さまざまなところに転がっています。しかし、そんなもので確証を得た気になっても、それは一時の気休めにすぎません。

(中略)

安全や安心をやたら求めるメジャーな社会風潮からすると、人生に確証がないという事実は耐え難いことかもしれません。しかし、確証がないということは、それだけ人は自由だということでもあるのです。

via 「マイナー力」 P75

確証がないなんてすっかり忘れてしまっていた。それはネットの世界でも同じだったのに。

 

平等という幻想の前提

当たり前のことですが、人間は平等に生まれてきません。今の教育はすべてにおいて誰しもが平等であることを前提に、「努力や練習によって誰もが望むことを手に入れられる」というようなことを教えます。でも、そんなウソを教えられるから、みなさんは悩んでしまう。

私たちは持って生まれた容姿も違えば、持って生まれた能力も違う。だから人によってできることとできないことがあるのは当たり前です。与えられた自分の状況の中で、自分なりの人生を切り拓いていかなくてはいけないのです。

via 「マイナー力」 P81

 

確証のない世界

なんだかネットの世界は確証があるように見えていた。例えば、モノやコトがはっきりしていて、自分がそれを取り扱える量を把握することができて、きっちり対処できるのが私は好きだった。今でも好きだ。

しかし、ネットも情報量は目の前に流れるものも掌握しきれないこともある。今更それを知ったし、だからこそ、私は掌握しきれないtwitterが苦手だったんだなと気がついた。

第25回GTD勉強会ログ ~ 年末も近いので頭の大掃除!収集ステップ2時間コース ~

人数も少なかったので、ところ変わって品川駅のスタバにて収集ステップをしました。あそこは寒いので、冬は無理です。

さて、今回はカフェで収集ステップを2時間やりました。今回の参加者は4人です。

いやー場所が変わると、さっぱりやり方がぬけちゃって困りました。毎回、はじめの挨拶→アジェンダの紹介→自己紹介→メインの話、という風に進めているんですが、アジェンダ紹介とか自己紹介とかすっぱ抜けました。人数少ないとこういうルールも弱くなりがちですね。

 

GTD勉強会で2時間程収集する時で厳守のルール

GTD勉強会で収集ステップをする時のルールが一つだけあります。

  • 手で書くこと

PCとかを使うことを禁止しています。

 

理由は二つ。

一つは、書くと書く作業に集中できるから。もう一つは、書くこと自体に結構エネルギーが消費されるから。

まず一つ目の、書く作業に集中できることについて。

例えば、ものすごく焦っていたりものすごく不安になっている時とかに、気になることを書いてください、てするじゃないですか。で、実際書く。書いている時の自分を思い起こすと、その書いている間は別に焦ってたり不安にはなってないなーと、書いてることに集中するので、その時ばかりは、感情から解放されるのです。最近、この感覚が面白くて、それでこの集中ステップではそういう体験をしてほしくて実施してます。

それから、もう一つ目の、書くこと自体に結構エネルギーが消費されることについて。

等価交換、てあります。物理でもマンガでも、知識はなんでもいいんですが。私はこの意識は結構バカにできないな、て思ってて、それなりのエネルギー量を消費しないと、新しいものが入りにくいんじゃないかな、と思っています。

手間暇かけた方が愛着が湧くとか、手に入れるまでに時間や苦労がかかった方が達成感があるとか、そういったものも、私の中では等価交換だ、と分類されてます。何かを入れるには何かを捨てなければならない、というのも場所としての等価交換ですね。

そういう、物理的な行動を付随した作業というものを、私たちはだんだん減っていっています。しかし、私が最近重要だと思っているのは、そういう物理的な行動の経験というものです。

そんなわけで、今回の収集ステップを使って、物理的な行動のもたらす効果というのも、合わせて体験できたらなーと思いつつ、「手で書くこと」を厳守ルールとして実施しています。

実際書いた感想

私が書いた内容は、2時間で約150項目。やんなきゃいけないことは、思ったより出てこなかったので、その時思いついた言葉を収集することに集中しました。そんなわけで、収集の仕方はものすごく連想的に行っています。不思議なことなんですが、やらなきゃいけないことは全部出し切ったわけではないのに、思った以上にスッキリしました。

そう、思った以上にスッキリして、私自身が期待を裏切る結果になりました。いやー、やってみないとわかんないもんですね。

私はもともとメモをすることが多いので、さほど書くといったってそんなに効果はないだろうと、思っていました。それだけに、自分の気になっていることを、書きだすだけで、こんなにスッキリするなんて、と改めて実感したわけです。

他の人の収集ステップの風景

さて、他の人はどんな風にされていたのか紹介しましょう。

Aさんの場合-Rhodiaの大判ノートに収集する

Aさんは、今回初めてGTDの2時間の収集ステップをしました。Aさんは、Rhodiaの大判ノートに書きだしていました。

収集をはじめた当初は、ランダムに出てきて洗い出しきれないと思って、最初にまず特定の思い出すトリガー(例えば部屋や本棚等)を抽出し、それらのトリガーについて収集っするといった手順を踏んでいました。

書いてみると、実行してみたくなるので不思議だと、コメントされていました。

Bさんの場合-Moleskineの手帳に収集する

Bさんは、1年ほど前からGTD勉強会にされるようになって、その時期あたりからGTDを始めています。収集した項目数は100項目ぐらい。実装もいろいろと変遷を遂げていて、Moleskineの手帳を利用して収集していました。書いている内容も、文字だったり絵柄やアイコンみたいなのもあったりしています。

収集の内容は、処理しきれていない、最近のレシート等をみながらだったりしています。

書いてて安心する、書くのは思い出しながらの収集がしやすい、とコメントされていました。

Cさんの場合-Rhodiaのメモに収集する

Cさんは、GTD勉強会をはじめた時期から参加してくれています。その間にすんばらしいGTDツールを作って、みんなを驚かせていました。

さてそんなCさんですが、基本のGTDツールはRhodiaのメモです。今回はRhodiaのメモを見返さずにずっと書いていくという方針で実施されていました。収集した項目は、Rhodiaメモが3冊目か4冊目ぐらい。

今回は、「会社のこと→家のこと→会社のこと」といったように、連想的に思い出すようにして収集したとコメントされていました。私はいつも連想が大抵なので、今までどうだったのかと確認したぐらいです。

 

収集の仕方は連想的がいいのか、シーケンシャルがいいのか?→どっちも利用する

上記でログを書いてて気になったのは、収集の仕方です。連想的、カテゴリを潰すようにして、などやり方はいろいろあります。

収集ステップでは、どっちも利用するのがいいです。

連想攻めが得意なのか、カテゴリ(もしくはトリガー)攻めが得意かは人それぞれです。最初は得意な方から実施し、行き詰まりを感じたら、次にやってない方を実施すればいいと思います。

ここで重要なのは、やり方がというより、どうすれば「気になることすべてを網羅できるのか」、です。その目的のためには、いろんなやり方を利用するのが一番ベストだと、私は考えています。

12月のGTD勉強会は、忘年会込みの懇親会です。

はたして人が集まるのかという不安を抱えたまま、忘年会を開きます。開催日は、12月第2週か第3週の、金土あたりを予定してます。近々連絡しまーす。

読書ログ 「偉大な記憶力の物語」 誰も知らない他人の鮮やかな世界

 
自分の見聞きするものは、それほど他人と変わらない。という前提にもならない前提は、覆されるわけがないが故に、前提ですら思っていなかった。まさか、その前提があっさり覆されるとは。
 
まるで写真を切り取ったかのような記憶の背景には、理路整然からは程遠い、ファンタジックで彩りの強い極彩色のような世界が広がっていて、それが記憶を補完していたなど、誰が知りようか。
 
 
偉大な記憶力の物語―ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫 学術242)
 
この本では、本の中ではシィーと呼ばれる驚異的な記憶力を持つ人物のお話である。その記憶の特徴、それから彼自身の背景などについて、仔細に説明される。
 
本の中は、不可思議な世界が流れているものの、精神の木枠は計り知れないというのが私の印象だった。
 

記憶が混じらない理由

「何ということをきくのですか、どうして忘れることができますか? だって、ここに、その塀があるでしょう――その塀はこんなに塩からい匂いがして、このようにざわざわ音をたてるし、それは、非常にする取り、指すような音をもっています」。

当然のことだが、共感覚のおかげで各経験の複合的な余剰的な情報から得ることができる非常に多くの諸特性が、正確な想起を保証するものとして作用し、直観的な材料からのいかなる誤差もあり得ないものとしているのである。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P44

シィーは、共感覚の持ち主である。共感覚とは、文字を見たら色が見えるといった、ひとつのことから複数の感覚を読み取るような力のことである。シィーはこの共感覚が極めて強く、音を聞けば匂いを発し、場を見れば音を知るといったようなことができた。これによって、その場その時が一意であると特定することができた。

具体的に表象することが不可能なものを扱った場合、どうであろうか? 複雑な関係をあらわしている抽象的概念や、人間が長い歳月をかけてつくりあげてきた抽象的概念の場合、どのようになるであろうか? それらは実在し、われわれはそれらを理解することはできるが、見ることはできない……。実に、「私は、見えるものしか理解することができない」のであるから……。シィーは、このことを、何度われわれに告げたことか。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P151

しかし、彼の理解は、そのような共感覚で構成されているため、彼の想像を圧迫した。彼が想像するより入力から入る像が彼の世界を満たしているようにもみえる。また、彼は、彼の世界の中で見聞きすることを通じて理解するようなため、姿なきものを捉えることが難しいようだ。ゆえに、姿なき抽象的概念を彼が理解するのは難しい。

 

身体を制御すること

シィーは、自分の心臓の働きや、自分の体温を随意にコントロールできると話しただけではなかった。彼は、実際に、そのようにコントロールすることができたのである。(中略)

どのようにして、このようなことができるだろうか?

「何が不思議なのでしょうか? 私はたんに、私が汽車を追いかけているのを見ているのです。(後略)」

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語より P161

自分で熱を出したり、蕁麻疹を出したりすることができたという人には出会ったことがあるけれども、右手と左手とで温度を変えられるとは。彼の精神と、彼の身体と、彼の外界とを三つに区画した場合、彼の身体は非常に特殊な入出力を繰り返す。外界からのデータから、通常私たちが出さないような匂いだとか音だとかの信号を形成し、それを彼の精神に送り届ける。彼の精神と彼の身体とは、密接のようであってあまり密接でなく、彼の精神からの命令についても、彼の身体は受け取りそれに対して、外界から受け取る信号のように反応することができる。

つまり、彼の精神からの信号でも、外界で「寒いから身体の温度を一旦下げよう」といった無意識の反応にアクセスできるのである。

すべての想像は、現実との境をもっている。

われわれ、想像力に限りのあるものの場合、この境界は明瞭なものである。しかし、シィーの場合、想像力が、しばしば現実感をもつ像を産みだすため、この境界が消失している。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P167

この応用として、痛みを和らげたりすることをも、シィーは可能にしている。想像力で自分の頭にいる腫瘍を倒した少年の話を思い出す。それから「「思考」のすごい力」という本についても。

 

想像と現実の境界

この他、彼は、何十回も、想像上の遊びと現実の行為との中間的なものを、自分の中に認めていた。

「……私の場合、私が想像することと、実際に存在することの間に、たいしたちがいはありません……(後略)」

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P169

どうして、たいしたちがいはないのだろうか。

シィーは、自分が多弁であること、会話のテーマを維持するために常に注意しなければならないこと、そして、それがいつもうまくいかないことを知っていた。そして、観察者である私と、われわれの対談を記録していた速記者は、このような状況は、まだよい方だということを知っていた。著者にとっても、限りなく拡がり、脇にそれていくこの人物との対談から必要とするものをとり出すことは、如何に困難であったことか。

via ルリヤ 偉大な記憶力の物語 P179

これはシィーでなくとも、間近にある話だ。話をしている間に別のことを思い出して、それに気をとられてしまったりということである。シィーは多分、これが通常の人より何十倍何百倍何千倍も、勝手に思い出すのが多いのだろう。

 

最後に

この本はファンタジーのような現実の話である。

最後に、共感覚について考える。共感覚は、まるで私たちが夢の世界で記憶定着をするのに使っている接着剤のようなもののように見える。ただ、シィーの場合、それが寝ている間だけではなく、起きている間もいつも作動しているようにも見える。

勉強会補足。 Fw: 2010/11/20 第25回GTD勉強会 年末も近いので頭の大掃除!収集ステップ2時間コース – works4Life Season VI

 

11月は「年末も近いので頭の大掃除!収集ステップ2時間コース」が、テーマです。

■勉強会詳細

日時:2010/11/20 (土)
場所:東京/新宿 ルノアール 新宿3丁目ビッグスビル店
時間:15:00-18:00(3時間)
定員:20名
参加費用:場所代+ドリンク代です。だいたい1500円前後です。
mixiURL:http://mixi.jp/view_event.pl?id=57686495&comm_id=3013597

2010/11/20 第25回GTD勉強会 年末も近いので頭の大掃除!収集ステップ2時間コース – works4Life Season VI

 

若干追記です。

Ustreamは実施しません。

Ustreamやりたーい!と言ったのが影響受けているのかそもそもそんな時期じゃないよー!と重要が合わなかったのかがよくわからんのですが、とりあえずUstreamはこの勉強会ではやりません。ホントはね、これない人もおんなじ感じで実行できたらなーと思ってたんです。とりあえず違う機会に狙いたいと思います。

定員は5名とします。

定員は5名で、集まらなかったら開催しませんです。木曜日に、判断します。

もともと、人数が集まってそこからいろいろ派生するのが面白くて勉強会をやってます。なので、人が集まらないのはちょっと意図から外れるというのもありますので、開催はしません。

お手数かけますが、よろしくお願いします。

後悔と正解

こうすればよかった、ああすればよかった。そう思うのは何故だろう?

後悔とは、自分のしでかした過去の事項に対し、非難をする行為だ。しかし、非難をしたところで、その行為が覆されるわけでもないこともまた、私たちは知っている。しかし、それでも私たちは後悔してしまうのは何故だろう?

時に、正解を私たちは求める。今のやり方で合ってるんだろうか?間違ってないか。会社での自分の働きぶりや、自分が本当に望みうること、人生について、等など、果たして正解を考えることは多い。

そんな正解などないのに。

正解はない。誰かが与えられる正解はない。仮に誰かが与えられたとしても、それだけでは正解にならない。自分自身が、それを、正解だと、決めない限り。

正解は、自分で決めるものだ。

いやいや私は、あの人の言ったことによって正解を導かれたのです。そう答える人もいるかもしれない。しかし、その人が正解を言う人だと決めたのは誰だろうか? それは自分である。どんなにがんばったところで、なんらかの形で自分が正解だと決める行為が、関わっている。

さて後悔とは、どのような場合に発生しうるものだろう?

私の場合、そういった自分が正解だと敢えて決めなかった場合や、曖昧に正解を追求しなかった場合に起こる。要するに、自分が選ぶ決断をするのに、覚悟が足りない。そちらの方向に進んで、天国を見るか、地獄を見るか、いずれにせよ、その現実を受け入れる覚悟が。

なまけてようが努力しようが、それでも私の人生だ。もう巻き戻しはできない、進むばかりである。後悔する時間ももったいない。 前に進もう。

さて、後悔しないために、今すべきことは?

 

とりあえず寝ることだ。

読書ログ 「お金の大事な話」でした追体験

私にとって、本は仔細に刻み込まれた魔方陣そのものだ。魔方陣は、異界へ導くゲートであって、この世ならざる場所へと誘う。魔方陣の作りし者の、再現しようとしたものに、深く深く潜りこんで行けるのだ――などという酩酊するような経験は、本を大概に読んだとしても、なかなかに経験しえないものだ。何がどう悪いわけでもなく、ある一定の条件が揃った時、それは偶発的に起こる。

今回紹介する本は、その偶発的に起こった酩酊的経験をもたらした。

 

お金の大事な話

 

この本は、お金の大事な話を書いている。書いているんだけれども、どちらかというと、著者が慕っている星さんとの対話みたいな話になっている。著者が段階を踏んで、お金について学んでいった内容を、読者の私たちにも追体験できるような話の構成だ。

ちなみに、お金の大事な話については、この本にたっぷりと書いている。内容も素晴らしい。だから読むのが一番いいと思うので、今回は詳細については特に書かない。今回書くのは、著者のこの本に対する心意気の素晴らしさについてだ。

 

500円という値段とカバーデザイン

実は、この本を買った時、あんまり期待してなかった。書店で平積みにして並んであった本で、500円と気軽な本だったものだから、気軽に買ったのだ。そしてこの行動は、この本が意図する通りの行動だった。500円は、そういう「気軽に買う」のを促すために、つけられたものらしい。

そんでもって、本のカバーデザインは、500円をテーマにつけられているようにも見える。白地に金色の五円玉の柄を模している。円の中心が空いているからだ。では五十円ではなく、五円なのか? それは、この金目の色合いからだ。五円玉の色に似ている。

そして五円玉にはもう一つの意味合いがある。それは、御縁。

 

御縁のある星さん

著者の人生の中で、関わった人というのは欠かせない。特に星さんなくして彼のこの話はできなかっただろう。星さんは、私から見ると、彼にとって、すばらしい師だ。状況に的確なアドバイスをし、そして実現がちょっと難しいけどがんばると手が届きそうな課題を与える。

星さんと彼との話は秀逸で、どちらかといえば、この本は星さんを通じて彼が成長してきた話ともとれるのだ。「星さんと僕」というタイトルでもおかしくないぐらいだ。

そんな星さんと彼であるが、関わりのあるのは、もちろん星さんだけではない。いろいろな人と関わりあって、会社を興したりすることができたのだというのが、本の随所からうかがいしれるものだ。星さん自体も、彼の前職での場所で知り合った人である。

御縁はどこに転がっているかわからないものだ。

そんな素晴らしい師に恵まれた著者に対して、穿った見方をすれば、この本は「へーへー、そんないい人に恵まれてよかったですねー」と、見えかねない。しかし、そんな自慢をしたいからこの本は生まれたわけではない。彼が経験してきた内容を、つまびらかに話すことで、私たち読者にも、星さんとの対話を追体験させてくれようとしているのだ。

 

 

この本は、著者の誠心誠意をもってして、生まれた。

内容が誠実であり、丹念に言葉を選び、語っている。それでいて本の価格は500円だ。

実際、ふつうの本で500円という値段は微妙だ。お金の大事な話をするから500円なのか、大事ではないから500円なのか、測りかねるところがあるからだ。今回は、前者だ。

500円にあるまじき、丁寧な、心のこもった本だった。

 

感銘を受けるか、自慢話と受けるか

今回、私はこの本に大いに感銘を受けた。著者がこの本を通じて言いたいことに、大きくふれられた。けれども、それは偶然に起こった出来事で、別の状況で本を読んだとして、同じ感銘を受けられたかどうかはわからない。読んだその時に、私の神経が腐っていたら、きっと私はこの本をまっすぐに受け止められなかったかもしれない。

だから、私は幸運だ。今回、このような感銘を受けられたことに、それを感銘を受けたと自分自身が感じていることに、そのような状況に自分がいることに。

本の読み方は、読む側にゆだねられている。今回の本にしたって、感銘を受けることもできるだろうし、単なる自慢話にも見えてしまうかもしれない。

それでも、本には意図する伝えたいことがある。私は、できるものなら、意図する伝えたいことを受け取りたい。それを正確に受け取れた時、私は心奮え、心臓を鷲掴みされたような気持ちになり、心地よい酩酊感に浸れるのだ。最上の理解を通じて、著者の異界を我が身の世界で実現できたということなのだから。

 

余談:

この読書ログは、もともとR-styleの第1回の書評企画に送るつもりだったが、結局送れずじまいでいつリリースしようかと思っていたところ、運よく(?)第2回の書評企画があったので、合わせてリリースしたものである。

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