Category Archives: Drafts

考え方の基本となるいくつかのルール

私の場合、自分なりのルールはいつの間にか作られていることが多い。ルールは考え方の基本というか、ものさしというか、そんな感じで用いているものだ。残念ながら、用途や目的すら、言葉にままならない。

このルールだけれども、毎度明らかにしようと思うのだけれども、まとまりが悪くて言葉にまで落ちてこないが、ひとまずまとめられるものからまとめていこうと思う。

そのうち、今回は具体と抽象のルールについて。

(1)具体から抽象への昇華は可能であるが、その逆は厳密的には不可能である
(2)具体と抽象は別々に培うことが可能である
(3)別々の具体と抽象がつながることができる
(4)具体に含まれる要素はほとんど全てが当てはまる。人が変わった、環境が変わった等変わったことが一つあれば、具体は変わる

私が理解した順番も、実際の論理展開も上記の順番通りである。これが理解できると何が便利か? ありのままに受けられるように気持ちが拡張されることで、変な抵抗感が少なくなる。また、人はオンリーワンである、ということが(変ではあるものの)理論的に導き出せる。

また、上記のルールについても、上記を適用して納得が生まれるものである。具体のない抽象は、ただの机上の空論である。

最近の実装

 

仕事の状況について。
複数のプロジェクトが同時並行で進行しているものの、ひどく忙しいというわけではない。電話・人による途中イベントは1日に1~2件程度で、自分で都合がほとんど取れるという状態。

文庫本ノートを使っていた時期もあったが、その後やっぱり全然見ないことに耐え切れずに、やめた。B5のリングノートは続行中。サイズがある程度あると、見なくてもやった感というかまとまった感があるらしく、特にこれをやめてしまおうという気にはならないようだ。

poicでも、カードに書く前に野帳に書いているというから、その延長線で文庫本ノートを導入した経緯がある。しかし、よっぽど忙しい時期でない限りにはそんなに毎度毎度書くような状況には陥らないということが確認されただけに終わった。人間必要な分しか動作は発揮されないもんなんですね。

で、文庫本ノートはひとまず3冊目までは突入できたものの、3冊目の途中で事切れてしまった。

最近、といっても3日試した程度の淡い感じなんだけど、最近は上記のメモを使っている。これは、前の勉強会で細長いRHODIAをDoingリストに使っているというコメントがあって、ほんなら私も! と思ってた時に見つけたものだ。この紙に上から順に、これから行う作業を、GTDのうちアクションレベルで書いていく。いまいち流そうなアクションの場合は、更に別の1枚を用意して、そのアクションの中の手順レベルを書いていく。それが終わったら、最初の紙に戻るという按配。

時間については、タイマーを使用する。時間の予測は立てない。これはもちろん、時間を立てなきゃ危険ではないという条件付だ。むしろ家で外出する前の方が逆算を考える率が高い。なぜだ。で、予測は立てないかわりに、12分1コマでタイマーをかける。これも確かLifehacking.jpで紹介されてた48分やって12分休むとかそういうのの変則利用だ。これは、私が作業をし始めると、うっかり他のことを忘れがちになるということからはじめたものだ。タイムアタック方式で一番私がつらいのは、そもそも時間を計測していること自体を忘れるということだ。それに、この作業をこの時間までに終わらせよう、というのがどうにも初めての作業では発動しない、というのもこういう形式になった理由の一つである。第1回目の作業は、通常にかかる時間が明確にするための試験期間であって、タイムアタックに最適な時間が設定されているわけでもない。つまり、予測されている時間がそもそも現実に即していないということにたぶん私は納得いかない、のかもしれない。

 

ここから別の話。

ノートという形状は、結合度が強い。モレスキンにしてもそうだ。

例えば、Lifehacking.jpの堀さんなんかだと、これはというイベントの時に書くのだそうだが、振り返ってみた所、自分はあまりそういう感慨はないので、これは素晴らしい体験だ!という気分に書くこと自体を区別するのが難しいような気がした。モレスキンを使う様は格好いいし、オレンジのモレスキンもまだ大事にしまっているので、なんとか使いたいところ。もうちょっと気軽に使えないものなのかな。

話を戻して文庫本ノートだ。結局のところ、リングノートならまだしも、文庫本ノートしかもこの小ささで見直すことは皆無である。忘れるためだけに書かれているのであって、トイレットペーパーみたいなものなのかと考えればある意味納得もするんだけれども、納得いかないこともある。

そもそも小さいあのメモ帳って何だ? というか、私は小さいメモ帳を使いこなせたためしがなかった。最適な使い道がわからなくて、いつも死蔵品になることが多い。

自分コメント

  • とりあえず出しただけなのでまとまりがない。

あなたが伝えたいことが、誰かに伝わるまで

  • あなたが伝えたいこと
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換すること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布すること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くこと
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くことの後その人に読まれること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くことの後その人に読まれることの後その人に理解されること

ことごとく広がり続ける世界

自分が何のためにこれをしているのか、というのは正直わからない。

そうだ、このために私は今までやってきたんだ!とその時確信しても数年後にはそれが続くことは少ない。ここだと思って到達したゴールは、到達した瞬間、ゴールからただの道になる。そこからは新たな世界が新たに始まる。ゴールはもはやゴールではなく、ただの通過点になる。

そんなことを何度も繰り返しながら、世界はずっと広がり続けていく。何度もゴールを上書きする。そして新たな一歩を踏み出す。いつも新しい一歩を。

自分コメント

まぁ見つからないんだよこれが。

時間との付き合い方

時間計測の話になると、私の場合、Personal Software Processから始まる。最初に入った会社ではこのやり方で入社前研修を行った。その時に、正確に時間を計測をすることは難しいのだと至った。弊害もあった。私の計測のチャンクはこれで固定化されてしまい、10分とか15分とかざっくりとした時間スパンでの予実管理ができなくなってしまった。

計測するにはある条件が必須となる。その作業が連続的に行われる状態であること。これがなくなると、私の中では計測したとは言い切れない。このことから、私の中では計測というものは、陸上の時間計測並みの状態を保持するべし、と意識が働いていることがわかる。

しかし、プロジェクトに携わるとそうもいかない。活発なプロジェクトだと、他の人に話を持ち掛けられたり、電話がかかってきたり、連続的な作業時間を確保することが難しくなる。なので、私が求める潜水のタイムトラッキングのようなことは、できなくなる。

 

意識は集中し、拡散する。私はこの流れを意識的に制御したいとは思わないし、制御できるとも思っていない。残念ながら私の意識というものは、時間に関してあまりよい印象を持っていない。何をどうよろしく思っていないのかはちょっとまだ解析していないがまぁとにかくそうなんである。

とにかく、私の意識には、きちっとだとか、みっしりだとかが、どうにも背中に怖気が立つほど苦手らしく、それは時間管理にも言える。切り替えには多少の時間が必要だ。浮遊する時間の中でゆらゆら動きつつ進められるなら、これよりうれしいことはない。

 

そんなんだから、一般的な時間管理というものが合わなかったんだろうと今にして思うわけだ。ならGTDはどうなの? というと、あんまり時間については細かく言わないところがすきだった。スケジュール、というか結局のところ、他の人と約束する内容を最優先すれば、あとは適当にやっても文句ないでしょ、というあの、しめるところはしめて緩めるところは緩めてもいい、手加減が好きだ。

 

私が予実をしなくなったのは、実績を取ったからといって、限界的な時間があることがわかったからだ。結局作業をするということには変わりはなく、その作業がなくならなければ、時間は極端に減ることはない。最適化する作業は私の場合自動的に行われるので、多分他の人よりかは限界値に近い状態にいるのだろうと思う。

 

自分コメント

  • 取り留めなくだらだらと時間関連について
  • あんまりまとまってない。
  • via 時間計測ツールの記事

書き尽くす理由

Draftsのカテゴリを作ったのを皮切りに、pomeraも買った。Draftsを活かしきるためにも、もっと気楽に文章が書けるツールがほしかった。

気楽に文章が書けるツールというと、私の中ではMobileGearMK32/64が最高峰だった。随分昔の記憶だからいい記憶しかないかもしれないが、電池で動くこと、重さが500gたらずであること、復帰が速いこという3点が魅力的だった。

話を戻そう。どうして書き尽くすのか? GTDを初めて、処理しきれない「物」は私の悩みでもあった。一切合切を「物」として取り扱う場合、どうやって手早く処理をするのだろうか? しかし、そんな処理機構から外れているものもある。B5の無地ノートだ。

このノートについては基本的に処理を行わない。というのもこのノートに書かれているものは基本的に決まっているからだ。Referenceリスト。ここを起点に作業が発生することはあまりない。

けれども、と思った。このノートには落書き程度のものも存在する。しばらくして、B5のノートに収まりきれないもうちょっと気軽なサイズを求めて文庫本ノートを買った。

2冊目にはいけたが、2冊目が全く活用できなかった。なぜだろう? 文庫本では大きさが大きさだけに、使い回しをしようという気持ちにならないからだ。B5はそのサイズからして、後で見返すにも、なんとなくしやすい。しかし、文庫本はいまいちそういう対象にならない。

で、話を戻して。今更なんだけど、これらのメモ書きは、確かに今後のために書いたものだけど、今後必要になるかどうかはまた別の話だ。ただ、ひとつ言えるのは、書くことによって、その内容から一旦の決着が着く。そうして忘れられる。

一度でも想起されたなにがしかは、その末路を探して頭の中を浮遊する。揮発性の高くて、すぐに頭の中から消え去るものもあるし、そうでないものもある。揮発性の低いものは、そのまま頭の海の中で沈殿し、ヘドロとなる。

人間の消化器官でも、排泄器官があるものだ。情報の排泄器官が、この書き尽くすという行為に他ならないのではないだろうか?

自分コメント

文脈ないし。

『世界は私のためにある』

「物理的な世界」はあるが、実際自分が感覚として把握しているのは鏡像としての「仮想的な世界」である。

「物理的な世界」は「仮想的な世界」と等しくはない。なぜならば、「物理的な世界」は、世界の裏側でも何かが起こっている。しかし「仮想的な世界」ではそれを知覚はしていないからだ。つまり「仮想的な世界」は、「物理的な世界」のうち、”私のために”、私が必要としたものが選択されている。

更に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。好きなあの子が笑った、たったそれだけの事象が意味を持つのは、私が”私のために”、重要だと認識しているからに他ならない。他の人の誰かが見たら、へんな顔して笑ってた、と解釈しているかもしれない。故に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。

 

故に、『(仮想的な)世界は私のためにある』。

 

そして、(仮想的な)世界を彩っているのは、私自身である。だから、(仮想的な)世界を変えるには、世界の主たる私が変えれば瞬時に変わるというものである。

 

それぞれの世界は、それぞれの私のためにある。

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