Category Archives: Drafts

文字は神からの賜物

「プルーストとイカ」という本を読んでいる。読書がどのように脳に作用するかの本を書いているはずなのだが、2章で未だ文字の発生した時期に関する話の途中だ。

この時に注目されているのは、「楔文字」や「シュメール文字」と、それから「ヒエログリフ」だった。楔文字とヒエログリフは当時の人々にとっては、「文字は神からの賜物」だと認識されていたのだという。

シンボルについてその源を辿ろうとすると、おおよヒエログリフまでに行き着く。文字が発達・開発され、時をまたがって継承されるまでに、何が追加され、何が廃れていったのか。

古代の人間の認識能力と、現代の私たちのそれとでは、大幅に異なるのは明らかだ。呪術・シンボル・神話・儀式に重きを置いた彼らが、それらに対する心持ちの違いは、どれほどに異なり、どれほどに自分たちに作用してきたのだろう。

テレビへの思い入れが、年代によって異なるように、きっと、シンボルや象徴への思いいれは、大いに異なるはずだろう。

自分コメント

  • Abstract。
  • 何を知りたいかは、まだ不明。

過去の事実とそれに付随する感情を分離すること。

私は過去を懐かしいと感じることは割と少ない。それと合わせて反対の状況、つまりマイナスの状態であってもそれは同じだ。私はつらい過去を引きずることは割と少ない。もちろん、「割と」であって、ないことはないのだけれども。

このことを考えているうちに、過去を思い出すとそれに合わせて感情が付随することについて考えた。上記のそれらは、全くもってそのような状況だ。

嫌いな人のことを考えると嫌だった経験も思い出すにつれて、気持ちが荒ぐことはよくあることだ。それは、出来事とともに、感情すらも合わせて頭の中で想起されるからだ。感情が記憶とともに癒着している。

瞑想は、情報の想起と感情の想起から離れることを目指しているように思う。「思い出してもそれに気を取られるな」といったような作法あたりからそう思う。

ところで、書き出すことでこの事実と感情の分離が可能になる。事実+感情=実体験というものが、文字というハコを与えられると、そのハコは私自身からは分離され、事実だけがハコに遷移する、ように思う。それゆえ、事実を確認するのと、感情を思い出すのとが、別々に実行できるようになる。

頭の中に流れるもやもやは、行き先を失った電気信号だと思う。彼らは拠るべき所がなく、力の限りに自分自身を保とうと躍起になる。つまり、頭の中に流れ続けるということで。このような行動の原理は、ただ一つ、慣性の法則から見れば至極当然のことだろう。

ならば、流れ続けるもやもやを頭から取り去るにはどうしたらいいのか? 文字という新しいハコに遷移させることで、可能になる。拠るべき所を見つかり、それ自身はこれ以上自分自身を保必要がないと悟り、自らの意志で消えゆく。

それができなくば、頭全体に逆らいがたい流れをもってして、制するという方法もある。ゲームだったり遊びだったり、目的と作業がはっきりしたものにとりつくことで、つかの間の楽園が頭の中で再生される。

頭の中のことを書き出すとよい、というのは私の中では自明になりつつあるが、未だ理由は納得するような、しないような、である。ただ、情報が頭の中にブロードキャストされた状態だと考えると、まだ納得はそれなりにできる。

書き出すことは、ワーキングメモリが広がる、というたとえ話を聞くけれども、納得できるようで納得できないところがある。なぜ、書き出すこと自体がワーキングメモリから情報を消去するのを促すことができるのか、自体について、それは語らない。書き出すという作業が寄与するのか、それとも書き出す作業によって出力された成果物が寄与するのかは、まだわからない。

自分コメント

  • 流れ着くままにもやもやと。
  • 主題から随分離れてしまった。

つらぬき通すことの難しさ

ゴルゴの仕事術を借りてきたその日に、ゴルゴのアニメを見た。舘ひろしの声もなかなかやね!と思いながら見ていた今回のエピソードは厳しいものだった。

恋人が殺人者として有名になりながら5年も待っている女の人の元に、国を裏切って亡命者となった恋人がやって来るのを、待ちぶせしていたゴルゴが迎え撃つ! というもの。ちなみにゴルゴのターゲットはこの亡命者である恋人。

女の不幸は、作中これでもかと展開されていた。

・恋人が殺人者→回りから白い目
・近所の野郎から言い寄られ→渚で強制追いかけっこ
・家で野郎から言い寄られ→野郎が「この女が誘ったんだ」の出任せに、野郎の嫁が「どろぼう猫」扱い
・「どろぼう猫」が回りに知られる→仕事干される
・賃貸していた家が取り壊されることに→オーマイガ!

といった最後に、逃亡者の恋人からバラの花束と手紙が送られて、二人で幸せに愛の逃避行か?! これでようやく女は幸せに! と思ったところをゴルゴが恋人撃って終了という鬱展開だった。ゴルゴじゃなかったら。

通常、こういう話だったら、殺し屋が情にほだされて見逃すというのがパターンだと思う。ゴルゴじゃなかったら。

ヤクザが猫を拾うぐらいのファンタジーを、ドラマやアニメは見せてくれるのがよいのだけれども、ゴルゴは否定した。でもそれはゴルゴだからだ。ゴルゴという、仕事が至上な男のルールだからこそ、それは実現しない。

マジック・ザ・ギャザリングで頂点になった人のインタビューがあった。MTGのキングもゴルゴも、目的を一直線に見据えて、目指す所を間違えなかった。

MTGのキングは一時の感情に流れずに判断をすることが大切だと言っていた。ゴルゴも同じくこれを実現しているだけに違いないだろう。ゴルゴは、情報が集まって、女の人かわいそうと、一時以上の感情に流れそうな所は、なかったのだ。

 

自分コメント

  • ゴルゴすげえという話。

経験値の応用について

経験値の応用について、以下のようなイメージを持っていると友人に説明したら、無理と一蹴された。

ちなみに、イメージの中のはしご=経験値というイメージ。

 

経験値の適用イメージ

期限が先のタスクに対するモチベーションについて

 

結局自分のタスク管理の問題は、期限が先のタスクに対するモチベーションが高く保てないということが一番多いので、モチベーションのコツや維持方法を知りたいです。

会社でGTDの話す機会があって、その後にアンケートをしてもらったときのコメントの一つです。モチベーションについて、です。個人的には、私自身の感情にことごとく裏切られています。なので、モチベーションも感情の一部ですから、あまり信用していません。

確かに、モチベーションと行動が揃った時に、自分は作業をやったやったんだ! という気持ちになって、非常に爽快感があることは確かです。しかしながら、現状のところ、そんな自分の爽快感と実際の作業量は、思ったよりは相関性がないと思います。勿論好きでやっているほうが効率がいいんですけれども、実際の作業時間のうち、そんな幸せな時間は20%あればいい方なんじゃないんですかね、というのが私の予想。 

 

ところで、上記のコメントがあって思ったことなんですが、モチベーションに対して、何か幻想を持ってないですかね? つまり――

自分はやる気があるんだ、ただモチベーションになってないだけで、それがありさえすれば、こんな難しい問題や先々にしている問題も手付かずになってないだけなんだよ!

とかなんとか言われている気にもなるんですよ、モチベーションがあるないの話って。これを突き詰めて昔に戻していくと、どこに行き着くのか。

自分は、勉強ができないんじゃなくて、勉強をしなかっただけなんだ。勉強をしようと思えばできるんだ。

という、自分の不勉強への言い訳に行き着くんじゃないのかと、個人的には思ってます。若干むちゃくちゃ感はありますが。

上記は2つの文から構成されていますが、この二つの文には大きな隔たりがあります。実行しないのと、実行して結実するかどうかとは、大きな違いがあります。その違いをよく理解しているからこそ、私たちは、実績というものを重視しているわけなんですがね。

確かにモチベーションは大切です。けれども、モチベーションが万能の薬ではない、ということも、気をつけてほしいわけです。

 

上記のコメントで言われている本当の問題は、多分モチベーション云々ではないと思います。「期限が先のタスクに対して今手をつけるにはどうしたらいいのか」というのがわかればよいのだと思います。

ここにみかんとりんごがあります。今果物を食べるのにどちらを選びますか? ほとんどの人がみかんを選ぶと思います。期限が先のタスクとは、このりんごの状態なのだと思います。

 

自分コメント

  • 皮肉が多すぎる

通りのいいインタフェースとそうでないインタフェース

私の場合、通りのいいインタフェースは、映画のようなストリームだ。このような形態の場合、眇めで見ることなく、素直に反応してしまう。小公女セーラを直視できなかったぐらいだ。

友人の場合、映画もまあまあ通りがよいが、文章で綴るような、小説関連の方がもっと通りがよい。ものによっては1ページを読むだけで数日かかるといったものもある。

私の場合、通りを越して、受け取った瞬間から分解が始まるインタフェースもある。音楽の場合がそれにあたる。幼稚園の頃からピアノを始めたので、音楽に対する需要感覚からして特になく、入った直後から音に対して分解作用が生じているような風だ。一番よい音は生で聞く読経だ。

そんなせいだからか、そもそもの体質からか、授業と呼ばれるものはてんで苦手だ。言葉として分解する前に、音として分解しているからなのか、すぐに散じる。最近その対策としてうまくいっているのが、聞いた内容を4コマ風味にノートにまとめる方法だ。手を動かしている分には眠くはならない。

たぶん、このインタフェースの癖は、人によって異なるのだろう。

自分コメント

  • それで、実装は人によってまちまちだという流れに行きたいはず。

歩くことの効果

歩くと思索しやすいのはよく言われている効果だ。私もそれについては非常に同意する。

実は、電車についても同じ効果を持ちやすかったりする。これは、私は高校・大学と通学が長かったからそうなりやすくなったもしれないが、とにかく電車に座ったらできそうなことは何でもしていた。

読書・勉強・学校の課題・寝る・などなど。

今ではpomeraを用いて書くようにしている。

歩くことによる効果はなんだろう。家に帰るとなかなかどうにもなにもできなくなる。考えることもあまりうまく回らない。

行動の制限1

歩いている間は、できることが減る。音楽を聞いたり、話したり、何か考えたり、などができる。このうち、話したりするには相手が必要で、音楽を聞くにはiPodなどの携帯機器が必要になる。相手もおらず、機器も持ってないなら、残る作業は考えるだけだ。

つまり、思考が手持ちぶさたになり、自然と行動が「考える」ということに集まってくる。

行動の制限1ー2

歩くことによって、注意量が分散される。私たちは通常、行動と思索に対してどちらも注意を払っている。一方に偏らせることは、生命上危険な行為である。なので、身体的な機能では、極端に偏った注意を払うことを避けようとする、と私は思っている。

歩くことは、極端に偏らないにしても、ある一定量の注意を行動に払うようにし向けられる。また、その行動自体は、意識的に注意する作業でもない。行動に対する注意量は飽和され、あとの注意量は、ほかの作業に割り当てられる。

自分コメント

  • 時間切れ。
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