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単位時間におけるエネルギーリソース

自分のエネルギーリソースについてあらためて考えてみた。

ここで言うエネルギーとは、何か行動を移すためのなにがしか、という意味で使ってて、それは通常やる気だとかそんな言葉で用いられる。

簡単なルールはこうだ。行動するためには、行動するための初期エネルギーが必要だ。なじみのないものであればその初期エネルギーが高く、行動したことがあるものがあればあるほど、初期エネルギーは小さい。

GTDでは、この行動するための初期エネルギーを小さくするための方法を明示した。次にすることを明確にして、初期エネルギーのための最初の行動にスコープをずらすことで、初期エネルギーを小さく見せた。

エマジェネティックスでは、思考スタイルによって得意な言動に関する初期エネルギーは小さいことを学んだ。

エネルギーリソースについて改めて考えるようになったのは、仕事で壁にいきついたあの経験があるからだ。

■考え

私のGTDの最初の目的はこうだった。

気持ちよく仕事がしたい、と。

しかし、GTDを始めた当初はどれが何の仕事かわからずしっちゃかめっちゃかだった。随分整理もし、整理の仕方も身に付いたが、また別の壁にいきついた。

壁は、自分の単位時間によける対応オブジェクト数だ。

ふと友人から言われたことがある。

「友達Aくんが処理単位が1bitだったら、君はCD-ROM一枚だね」

と。私の把握の仕方はあまりにアバウトで、友人にもこんな風な印象を持つぐらいだった。まぁこれの言わんとすることは要するに、私が一度に把握できるデータ量はかなり少ないということだ。

とくに今回の壁の経験については、いろいろな違いが見えてきた。私以外の人をみていると、データ量が多大で細かいことにも対応できている。メールが何通送られてこようが、あまりそれに圧倒されない。定期的にチェックを欠かせない。私はメールをみるという作業だけでももういっぱいいっぱいになっていた。見るという手順自体もそうだし、見た後の処理決定がはやいように思う。私はこの処理決定が極端になかったし、後回しにしがちだ。

私が苦手とすること

  • データ量の多さ
  • 高速時間での処理決定

私が得意とすること

  • データの集約
  • 妄想

私が得意とするのはデータ量の多さに対抗する方法だった。私がよく使用している方法は二つ。

1。似たものはアンカウント
2。まとめられそうなものはまとめる

1については、すでに存在する何かのうち、にているものについてはその何かだとカテゴライズすること。細かい部分はあるものの、その差分が問題になるのは別の段階なので、この時点では捨てる。

2については、共通パターンを考えて、5個の項目を覚える内容を1個覚えるようにする

妄想については、要するに自分のやりやすそうな方法を考えることだ。ある程度データが揃って、不快だと感じるようになると、次の最適な状態を見始める。

こういったことだけは得意な方だが、いかんせん最初にあった通り、あまりにアバウトな世界なため、現実世界に召喚できるほどの細かい手順に細分化することが難しいのである。

私のディテールは、幼少でほぼ使いきったのであろうか。。

 

初出:2010/06/14

特徴の特徴

人の特徴は、実際に自分がこうであると宣言しても、(1)それが誰かに認められること、(2)なんらかの行動をして効果をともなったこと、の二点がなければ、確実ではない。

暇だと言葉が出ない

言葉と言うものは、圧縮された何かだから、インプットとして圧縮するための何かを必要とする。

暇だととかくまとまらない。私の「まとめる」という行為は、部屋で言うところの整理整頓、プログラミングで言うところのガベッジコレクションなので、ある程度ゴミがそろわないと発動されない。

とにかく、忙しくないところに最適化されていない。というのが、私自身への印象だ。

認識の変化をキャプチャーする

私のキャプチャーしたいことは雲をつかむような不確かさだ。私がキャッチアップしたいのは認識の変化のその前後。なのだが、これをうまく掴めたためしはない。

ああこれは!と思った瞬間に馴染んでしまい、本当にそれは変化だったのかと疑わずにはいられない。

一歩ずれるだけで高速の車を避けたような変化は、本当にその微々たる行動が、大きな効果をもたらしているのかよくわからなくなる。

認識の変化もそうだ。

認識の変化は、イメージで話すなら、1000フィートで飛ぶのを常としていた鳥が、2000フィートを常にして飛ぶようになったものだ。フィートが高くなったことで、気にすることも異なる。空で言うなら気流の激しさ、天候の変化の度合い、同フィートで飛び交う鳥たちの速さなど。地上を見れば、今まで気にしていた地上の事物が小さく見え、今度は別のものが大きく捉えられる。

最近、といってもここ数ヶ月のうちに、私にもこの変化がやってきているようだ。しかも徐々に、何回かのタイミングを分けて。

一度目は2月あたりの厳しい状況に陥った場合だ。あれはスタートであって、その後何週間後かに、その意識の違いを認識し、徐々にその上の方へ引っ張られた。でもそれは、変わった、というよりも、慣らされたとか諦めたとかそういう感覚だ。

次に現れたのが、物事の捉え方だ。今の今まで、カテゴリ別にプロジェクトを捉えようと思ったことはなかった。それが、いきなりプロジェクト単位ではなく、その上位層のカテゴリに区分けして考えるようにシフトしている。いつの間にか。

これについても、こうするのが当然だ、というように手足が動く。

これらの変化は極めて滑らかに移行されていく。自分でも気づかないうちに。私だって、それが本当に変化らしいものか認識するのを疑わしく思っている。

エレベータで感じるほんの少しの無重力のように、その変化は、私の認識の中でも、心もとない現象なのだ。それなりに十分に注意を払っていると思っている私自身でこうなのだ。

ところで、なしてこんなことをわざわざ書いているのかというと、以前から不思議に思っていたことがあったからだ。

高い視野、長期的な思考はどういったものか。具体的にその思考を持った瞬間どのように変化するのか。

友人が勉強がナニが楽しいかと言った時に、いつもパーツパーツだったものが、いつの間にか高いところから見ることができるから、といったものがあった。

私はというと、いつの間にかできるようになっていた、という方が多いのだ。それは、エマジェネティックスのコンセプト型の学習ではよくある話だ。一個一個積み重ねるのではなく、寄木細工のように、複数のパーツを一気にはめ込もうと試みるのが、コンセプト型の学習方法だ。その変化は一瞬で、変化したその後、瞬時に忘れてしまい、あたかもその形が昔からあったように振舞うのだ。まるで、一種の記憶喪失のよう。

そんなんで、認識の変化があるときに、自分にどんな変化が起こるのか確かめたかった。ついでに言うなら、その中堅どころへの変化がどのようなものかも知りたかった。私が納得するような説明を見つけたかった。

初出:

  • 2010/7/3

本の感想メモ:できるビジネスマンのための「本当に使える」勉強法

勉強本をつくるにあたって参考までに読んだ。

<まとめ>

こういう切り口の本は私にはとても合わないことがわかりました。

 

(1)身元不明

先読みとは言え具体的な書評をしてるのに、身元不明ってないでしょ。

(2)フォーカスが不明

勉強本と言ってても、「何のために」ベストな勉強法を軸として紹介しているのかがよくわからんかった。

(3)本の見通し

見難い。どう読んでほしいのかがさっぱりわからん。

 

 

私はもともと屁理屈言いなので、こういう批評本にはどうしても興味がそそられる。自分も結構な屁理屈言いなので、自分なりのポリシーがある。

自分が言った言葉だと責任が持てる時だけその言葉を言うこと

それが、この本は最初からそのポリシーから外れている。だから合わないのは当然だった。そんでもって、批評や感想を言うことのもう一つのポリシーがある。

感情を揺り動かして、行動を促すことに努めること

私の心の批評師匠に、がっぷ獅子丸とゆーのがいる。昔私はゲーム批評という本が好きでよく読んでたんだけど、その中の悪趣味ゲーム紀行がとっても好きだった。悪趣味だとは思うし、それでも買いたくならずにはいられないこのパトスは何ー!! というような気持ちになるわけだ。

今回はそういう気持ちにならなくて、しょんぼりしたんさー。

 

できるビジネスマンのための「本当に使える」勉強法 (洋泉社BIZ)
キャリアアップ研究会
洋泉社 ( 2009-09-19 )
ISBN: 9784862483942
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

1枚に要旨がまとまること

1枚に要旨がまとまった。
それは、自分の伝えたいことが明確になった表れである。
だから、自分のそれに対する気持ちを思い直した方がいい。

1枚に要旨がまとまった。

要旨自体が1枚に纏め上げることはなかなか難しい。私自身もブログに書いていて、これでいってもいいだろう! と見切るのにはいつも躊躇する。そんでもって、出すに忘れた記事が結構あったりする。

そんな中で、自分の言いたいことを伝えきった要旨が出てくることは、その現象自体が非常に重要だと、私は思った。

もともとその紙にまとめていた内容は、以前から何回も紙に書いたり、文章にしたりして、なんとかまとめようとがんばっていた。

しかし、今までまとまったためしはなかったし、これでいい、と満足もしなかった。

それが、今回1枚に要旨がまとまった。

まとまるまでの経路を考えると、非常にこのまとまったという事象は、重要な局面なのでは、と勝手に思ってしまう。

実行できることは、おしなべて、今まで実現不可能だと思ってきたものが実現可能な形に変容した時だ。

まとまる際の手際のよさも極端に異なる。

理解するタイミング

誰かが理解してほしいと発するタイミングと、誰かが理解したいと思うタイミングは異なる。

ふと自分のブログの続けている意味はなんだろうと思ったところ、次の言葉になった。

自分の王国を作ること。

私がよく思うことに、人の視線を気にしてどうしても自分がこのように動きたいと思っても、なかなかそれを実行できないことだ。

私は本当はこのように動きたいのに、そう思っても、いろんな気持ちが邪魔をして、なかなか自分が思っているとおりには動けない。

私は、このブログではその外部から受ける影響を取っ払って行動することを規範としている。

その規範は、もちろん私が喜んで享受するものであり、そして私が一番らしくある。そしてその結果、このブログの特徴として納得できることから、続けて行っている。

私が他の人と比べて何ができるのか?

それを考えたところ、自分という海にダイブすること、つまり「自省」という行動が自分の特徴だと行き着いた。

私は人と比べて、自分に対する滞留期間は長いほうだと思う。小さな事象の中で、違う見え方を見つけるのが好きだ。どうでもいいことに自分なりの結論を考えるのが好きだ。ぱっと見ではよくわからないものに意図を見つけるのが好きだ。

そういうことをまとめて、誰かに話したい。誰かに共感してもらいたい。そう思いつつ思わないつつ書いているところがある。

しかしながら、真の理解とはグッドタイミングには発生しえない。それは私の経験から見ても言える。それが「ああそうか!」とWater!!のごとく開眼するまでには、何度かの信号を繰り返し相手が受信することによって、ようやく開通する。

もちろん、「ああそうか!」と思う瞬間に立ち会えること、そして自分自身がその触媒となることはひとしおすばらしいことだろう。

しかし、それに至るまでには、現れては消える幾許の信号が相手の中に流れてきた結果、今まさに辿りついたことも確かだろう。

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