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ブログに統一した理由

ブログを書かない時期 – blog.yuco.net

中断する以前はなんの本を読んだとか、どこに行ったとか、そういうことを書いていたわけなんだけれども、そういうことをいちいち文章化して、公開する手間をかけることの意味というのが自分でもちょっと分からなくなっていた。

Draftsを作る時は若干悩んだ。若干だけど。なんでRSSを流さずに公開する理由があるのだろうかとかいろいろ考えたけど、最近は一重にこの理由に帰着した。

めんどくさいから。

 

  • 自分の考えた内容を文字で残すのはいいんだけど、どこに書いたか考えるのが面倒くさいから、ブログに統一した。
  • 書いたはいいけど、他にもいろんなところに書き散らしていて、どれが正の情報として取り扱えばいいのか考えるのが面倒くさいから、ブログに統一した。
  • 自分宛てメモと他の人メモとで区別して書いてると、後から関係性がわからなくなってうざくなって調べるのが面倒くさいから、ブログに統一した。
  • 自分宛のみに出すことなど! とか言ってるけど昔はその方針だったじゃない、だからなんでも出してもいいんじゃないの、他の人とケンカしなけりゃいんでしょ。これは見せる見せないって考えるのもー面倒なんだよ! で、ブログに統一した。

 

とにかく面倒なんだ。どこに統一すべきか、という問題はあったんだけど、なんだかんだと管理しやすく検索しやすく、既にそのルールが統一されていると、やっぱりブログが一番だった。他の理由も作用して、それでブログに統一した。

誰かに何かを言いたいということがハッキリしている場合は、こういう管理方法は難しいかもしれない。秘匿主義もなかなか難しかろうに。

– ここまでで12分

私自身も、今の私だから余裕を持って運用できるからこそ決められたと思う。自分の書く内容が特に問題なく、影響範囲がさほどでなく、どのように見られたいという気持ちからずれることもなく、誰かしらのマイナスに然程なることなく、それでいて独立して特に意識を傾けることなく転がせられる達磨のように、見られることを放棄できたならば、そこは新たなMy spaceとなるだろう。

そういえば電車は私のMy spaceだったな。

– ここまでで23分

自分コメント

  • やはりまとめようとすると時間がかかるなぁ。今後はDraftsではまとめることを考えないようにしないと。

ライフハックス勉強会メモ

フロイトの心理学のトラウマと海馬の関係は何か関係性があるのでは、というのが佐々木さんの気になるところなようでした。

以下思いつきメモ。

 

海馬は記憶を作る機関。

→ストレスがかかると、そのストレスばかりがかかって、海馬はストレスの記憶ばかりを作ってしまう。

→その記憶を軽減させるために、海馬自体は記憶を作る機能を制限させる。

→海馬の機能減少のため、セロトニンが減って、いろいろ体に支障がきたす。

→そうすると、他の記憶が全くできず、バランスがとれていた最近の記憶内容がトラウマ記憶ばかりで、何でもトラウマ記憶につながっていく(これはそのまま水が集まるままに)

→最近の自分の記憶や行動の記憶が減る。

→現在進行形の自分の記憶が減るため、自意識が減り、正常な判断も減る。

→正常な判断がさらにできなくなり、悪のスパイラルへ。

というのは聞いてて考えたサイクル。

 

フロイトの心理学にはあまりでてこなかったんだけれども、ストレスというのは、なんだか大きい石ころみたいなもので、それで正常な記憶を思い出す経路をふさいでいるような気がします。

そのため、正常な記憶を思い出すことができず、今までの前後関係の情報を引き出すことができずに、近視眼的な物の見方ばかりになってしまうんじゃないのかなーとも思ったのでした。

また、療法の中で、昔の記憶を思い出し、その中でよかった記憶を広げるというものがあったが、これが、昔のよかった記憶を思い出すことで、正常な記憶サイクルを活性化するような感じを受けました。

石ころ自体を直接どうすることかは難しいので、周りからせめていくような感じも。

正常な判断をふやすために、昔の記憶を思い出すこと・よい思い出を思い出すことで、自意識の回路を活性化させるといったような。

参考図書メモ。

難しい性格の人との上手なつきあい方
フランソワ ルロール, クリストフ アンドレ
紀伊國屋書店 ( 2001-03 )
ISBN: 9784314008853
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

「うつかもしれない」 – 調べたけど、なんだか間違ってるっぽくて本を特定できなかった。

効くインタフェース・効かないインタフェース

私は言葉は速攻性のないインタフェース。友達にはそうではないらしい。

pomera運用

  • pomeraでかく
  • 終わったら■をつける
  • ■をブログにあげる
  • ■で最終更新日であげる
  • ■は消す

RSSから一部をはずしたのはいい! 気が楽だ。mixiの足あと見ないぐらいのことなんだけど気が楽だ。

pomeraを買った。

物理的経験は共通化されない。そんなんで、pomera用に慣れる必要があるようだった。考えられる要素は以下3点。

(1)キーボードのタイピングに関して(手の動作)
(2)画面の表示領域(視覚の範囲・一度で見える範囲の量)
(3)タイピング速度と考える速度の調整

(1)については想定内のことだったので取り立て興味は引かなかったのだが、(2)と(3)は想定外だった。

(2)で、デフォルトの文字が小さく感じたので文字を大きくしたら、一度に表示される文字数が少なくなった。そうすると、考えてタイピングする思考の流れが合わなくなった。

私はタッチタイピングで行うので画面を見ながら文字を打つ。PC上の画面ではそんなに表示されている文字には注意を払ってなかったのだけれども、pomeraを使って、実は表示される文字に結構頼ってたんだなーと実感した。

それと合わせて(3)も影響が出てることに気がついた。Draftsカテゴリを書く時は、通常の記事を書くときより若干速い速度で書いている。取り立て意識してそうしているわけではなく、自然とそうなる。

pomeraではDraftsで出すような意識で書きたいと思っているので、速く書けることを特に気にしていた。だのに、そのような状態になるのに、多少時間がかかることにちょっと驚いたのだ。

つーか、そんな細かいこと気にすんな! と自分に言いたい所だが、やはり不愉快だ。

「最適に思っていることをタイピングしたい」ということには、タッチタイピングの状態、一度に見れる画面表示量、タイピングの速さに依存することをまざまざと感じた一件だった。

内に進む思考

「自分を理解するには、人とはなす何倍もの時間を要する」

そんな感じのことを言ったのは、私が大好きなピアニストのGlenn Gouldであった。それが内に進む思考を促進させた要因のひとつであろう。

Make you open

2009年5月の後半、EGトレーナー研修を受けた。私は会社で働いているので、そういう類を生業にしているわけではないので、特に参加する必要もなかったのだが、とにかくもう受けたいのと、あとプロファイルを使ってみたいのとで参加することにした。

これは極めて英断だった。値段的にも(笑)。

EGトレーナー研修は極めて珍しい状況だった。というのも、参加者もそうだが、トレーナー自体もすべて、コンセプト型スタイルを優勢に持っていた。日本ではEGトレーナー研修は、今回で2回目。1回目の時はディテール型も優勢にいて、そうではなかった。コンセプト型はお祭りタイプなので、まぁ随分明るい雰囲気に恵まれてプログラムは進んだ。

2日目のプログラムを終えてリフレクション、つまりまとめの時に入ろうとした時だった。音楽が流れてなんだかぽろっとしてしまった。他の人がリクレフションで答えている時にも、全然ポロポロは止まらなかった。

 

 

エマジェネティックスの本を初めて読んだ時に感じたことは、ああ、自分も普通なんだ、ということだった。コンセプト型で説明された男の人は、シャレじゃなくて自分のことみたいに感じた。別に、ヘンとか普通とかって何なのさ? という気持ちはあったとしても、まぁいいや、て思ってた。でも疎外感みたいなものはいつも感じていた。それの根本的なものが何なのか、というのはついぞ分かっていなかった。

EGトレーナー研修ではコンセプト型ばっかりの研修だった。コンセプト型はアイデアが思いつくタイプ。まぁちょっと変わってるね、新しいものがすきね、という人はこの特性が強く出ている。私がヘンでも、基本的にヘンな人ばっかりだ。正直初めに思ったことは、あんまり我慢しなくても大丈夫なんだろう、ということだった。実際、現場はその通りだったし、ワークショップも、私自身が考えつかないようなアウトプットが出てきて驚くばかりだった。びっくり箱みたいな、とても楽しい研修だった。

2日目に涙したのは、多分このメンバーのおかげなんだろうと思う。コンセプト型ばかりのメンバーで、私は加減することなく参加できた。それが多分心に響いたんだろう。

 

EGトレーナー研修では何がもたらされたのか。全面的に自分が受け入れられた空間がもたらされた、ように思う。とりわけ、不特定多数という条件で。

私たちは一体感というのが好きだ。あれは、てんでばらばらの人達がいても、ある同じ目的のためにそれぞれが行動していることから、あたかも同じように感じるのだと思う。1forAllではないけれども、楽しいこともつらいことも同じことのように分かち合う。それはそれで、自分が受け入れられている空間なのではないのかな、と思う。

別に何かされたわけでもないし、私もしたわけでもない。ただありのままで存在することが許された、単にそれだけだ。たったそれだけなのだ。

今回の研修でサポートに入っていた人ともお話をした。私が上記のように泣いたのには随分驚いたみたいだ。見た目的には随分クールなのに(どうやら印象はそのようならしい)、そんな風に泣いてびっくりしたそうだ。日本の教育にも抑圧されていたのかも、ということを話してくれたが、そこには神経が至っていなかったので、確かにそういうこともあるかもしれないと納得した。

 

これまで表示してきた文章は、友人に言わせると「眠たい教授の文章だ」なのだと言う。ぶっとんだ話にならないよう最新の注意をかけてきた成果がこれだ。そしてDraftsに書く文章は面白いと言う。分析型の私にしてみれば、随分つっこみ所の多い、論理的な梯子がいまいちな文章だと言われること請け合いな文章なのにも関わらずである。

Draftsというカテゴリを作って、RSSに流さずに記事を書こうとしたのにはいくつか影響がある。公開してない文章があまりに多すぎくなってきたのとか、それを時系列に管理しておきたいのとか、poicのぶっとんだ文章を公開しているのが羨ましくなったのとか、そろそろ面倒くさくなったのとかまぁいろいろ。

Draftsというカテゴリを作って、もうちょっと書いて公開する範囲を広げようとしたこと、それからもうちょっと気軽に書いてみようと後押ししたのは、EGAsiaの今回の認定トレーナーであるジョシュのおかげだろう。

研修後の懇親会、ジョシュと話した。つたない英語でなんとか、今回の研修がよかったことを私は伝えた。ジョシュは熱心に聞いてくれた。そしてこうも言ってくれた。

「Emiはステキな所が一杯なんだから、もっと心を開いてごらん、Make you open」

 

「Make you open」は、私の好きな言葉の一つになると思う。そして今思ったんだけど、ジョシュはヨシュアなんだよね。聖おにいさんのTシャツを応募したんだけど、あたんないかなと思う今日この頃。

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