Monthly Archives: 7月 2009

あなたが伝えたいことが、誰かに伝わるまで View Comments

  • あなたが伝えたいこと
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換すること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布すること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くこと
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くことの後その人に読まれること
  • あなたが伝えたいことを言葉に変換することを文章にすることを流布することを誰かに届くことの後その人に読まれることの後その人に理解されること

ことごとく広がり続ける世界 View Comments

自分が何のためにこれをしているのか、というのは正直わからない。

そうだ、このために私は今までやってきたんだ!とその時確信しても数年後にはそれが続くことは少ない。ここだと思って到達したゴールは、到達した瞬間、ゴールからただの道になる。そこからは新たな世界が新たに始まる。ゴールはもはやゴールではなく、ただの通過点になる。

そんなことを何度も繰り返しながら、世界はずっと広がり続けていく。何度もゴールを上書きする。そして新たな一歩を踏み出す。いつも新しい一歩を。

自分コメント

まぁ見つからないんだよこれが。

300人突破記念★オフ会&横浜中華街で中華を楽しむ会 View Comments

日時:07月25日(土) 19:00~
場所:横浜中華街
会費:5000円程度
定員:15名ぐらい
mixiURL:http://mixi.jp/view_event.pl?id=44423240&comm_id=3013597

いつの間にか、コミュニティが300名を突破しており、四捨五入すると400名にも
なってまいりました。どうもどうもありがとうございます!

コミュニティをはじめて1年半。体力がさほどないので、あんまり大きく動きはできませんが
東京以外にも何かまきこんでできたらいいなと思っています。

さて、オフ会です。
100名突破記念ごとに、オフ会をしようと決めていたのですが、なかなか実施することができずにいました。そろそろきりよく実施しましょうということで、7月はオフ会になりました。

場所が一向に決まりません

なんですが、横浜中華街で中華を食べること以外に、店が決まってません。
先週の月曜日あたりから探さなきゃと動き始めたのですが一行に決まってません。。
別に食べればどこにでも決まるわけなんですが、せっかくおいしいところに
食べに行きたいしとかなんとか言っているうちに、一週間ぐらい過ぎてしまいました。
なので、ひとまずイベントだけ登録しておいて、その間に誰かがおいしいところを
教えてもらえば! という他力本願丸出しな状態でもうしわけないのですが
よろしくござい。

・飲み放題込みで5000円前後
・横浜中華街で中華料理

というのでいいとこがあれば教えてください。14日火曜日に決めようと思います。

どんな人がくるの? どんな話をするの?

勉強会ではこれまで3回飲み会を実施していますが。GTD以外には、フォトリーディングやフォーカスリーディング、マインドマップなどの話題がよく出ます。もちろんGTDも話題に出ます。ツールの話などは勉強会の飲み会でもよく出ます。そういった部分でディープな話もできると思います。

新しい他のツールを知りたいという人にもよい機会と思います。ウェブサービスのミーハー好きもよく見かけます。私も試しミーハーです。

GTDをしている方も、興味がある人も、単に横浜中華街で飯を食べたい人も、大歓迎です。友人を巻き込んでのご参加も、勿論OKです。 お気軽にご参加ください。これを機会に、他の人と仲良くなるきっかけになればと思います。

mixiなどのコミュニティでは、活発には動かないことが少なくありません。せっかく活動するのだったら、GTD勉強会は、活動するコミュニティにすることを目標として、活動してまいりました。もちろん、そこにはGTDについて勉強することを活発にしたいという目的があるわけなのですが。その活動の甲斐あってか、着々とコミュニティの人数も大きくなってきました。とても嬉しいです。そういった、コミュニティの醍醐味を、オフ会という形で味わってもらえると、いいなと思います。

ぜひ、ご参加をお待ちしています。
よろしくお願いします。

時間との付き合い方 View Comments

時間計測の話になると、私の場合、Personal Software Processから始まる。最初に入った会社ではこのやり方で入社前研修を行った。その時に、正確に時間を計測をすることは難しいのだと至った。弊害もあった。私の計測のチャンクはこれで固定化されてしまい、10分とか15分とかざっくりとした時間スパンでの予実管理ができなくなってしまった。

計測するにはある条件が必須となる。その作業が連続的に行われる状態であること。これがなくなると、私の中では計測したとは言い切れない。このことから、私の中では計測というものは、陸上の時間計測並みの状態を保持するべし、と意識が働いていることがわかる。

しかし、プロジェクトに携わるとそうもいかない。活発なプロジェクトだと、他の人に話を持ち掛けられたり、電話がかかってきたり、連続的な作業時間を確保することが難しくなる。なので、私が求める潜水のタイムトラッキングのようなことは、できなくなる。

 

意識は集中し、拡散する。私はこの流れを意識的に制御したいとは思わないし、制御できるとも思っていない。残念ながら私の意識というものは、時間に関してあまりよい印象を持っていない。何をどうよろしく思っていないのかはちょっとまだ解析していないがまぁとにかくそうなんである。

とにかく、私の意識には、きちっとだとか、みっしりだとかが、どうにも背中に怖気が立つほど苦手らしく、それは時間管理にも言える。切り替えには多少の時間が必要だ。浮遊する時間の中でゆらゆら動きつつ進められるなら、これよりうれしいことはない。

 

そんなんだから、一般的な時間管理というものが合わなかったんだろうと今にして思うわけだ。ならGTDはどうなの? というと、あんまり時間については細かく言わないところがすきだった。スケジュール、というか結局のところ、他の人と約束する内容を最優先すれば、あとは適当にやっても文句ないでしょ、というあの、しめるところはしめて緩めるところは緩めてもいい、手加減が好きだ。

 

私が予実をしなくなったのは、実績を取ったからといって、限界的な時間があることがわかったからだ。結局作業をするということには変わりはなく、その作業がなくならなければ、時間は極端に減ることはない。最適化する作業は私の場合自動的に行われるので、多分他の人よりかは限界値に近い状態にいるのだろうと思う。

 

自分コメント

  • 取り留めなくだらだらと時間関連について
  • あんまりまとまってない。
  • via 時間計測ツールの記事

書き尽くす理由 View Comments

Draftsのカテゴリを作ったのを皮切りに、pomeraも買った。Draftsを活かしきるためにも、もっと気楽に文章が書けるツールがほしかった。

気楽に文章が書けるツールというと、私の中ではMobileGearMK32/64が最高峰だった。随分昔の記憶だからいい記憶しかないかもしれないが、電池で動くこと、重さが500gたらずであること、復帰が速いこという3点が魅力的だった。

話を戻そう。どうして書き尽くすのか? GTDを初めて、処理しきれない「物」は私の悩みでもあった。一切合切を「物」として取り扱う場合、どうやって手早く処理をするのだろうか? しかし、そんな処理機構から外れているものもある。B5の無地ノートだ。

このノートについては基本的に処理を行わない。というのもこのノートに書かれているものは基本的に決まっているからだ。Referenceリスト。ここを起点に作業が発生することはあまりない。

けれども、と思った。このノートには落書き程度のものも存在する。しばらくして、B5のノートに収まりきれないもうちょっと気軽なサイズを求めて文庫本ノートを買った。

2冊目にはいけたが、2冊目が全く活用できなかった。なぜだろう? 文庫本では大きさが大きさだけに、使い回しをしようという気持ちにならないからだ。B5はそのサイズからして、後で見返すにも、なんとなくしやすい。しかし、文庫本はいまいちそういう対象にならない。

で、話を戻して。今更なんだけど、これらのメモ書きは、確かに今後のために書いたものだけど、今後必要になるかどうかはまた別の話だ。ただ、ひとつ言えるのは、書くことによって、その内容から一旦の決着が着く。そうして忘れられる。

一度でも想起されたなにがしかは、その末路を探して頭の中を浮遊する。揮発性の高くて、すぐに頭の中から消え去るものもあるし、そうでないものもある。揮発性の低いものは、そのまま頭の海の中で沈殿し、ヘドロとなる。

人間の消化器官でも、排泄器官があるものだ。情報の排泄器官が、この書き尽くすという行為に他ならないのではないだろうか?

自分コメント

文脈ないし。

『世界は私のためにある』 View Comments

「物理的な世界」はあるが、実際自分が感覚として把握しているのは鏡像としての「仮想的な世界」である。

「物理的な世界」は「仮想的な世界」と等しくはない。なぜならば、「物理的な世界」は、世界の裏側でも何かが起こっている。しかし「仮想的な世界」ではそれを知覚はしていないからだ。つまり「仮想的な世界」は、「物理的な世界」のうち、”私のために”、私が必要としたものが選択されている。

更に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。好きなあの子が笑った、たったそれだけの事象が意味を持つのは、私が”私のために”、重要だと認識しているからに他ならない。他の人の誰かが見たら、へんな顔して笑ってた、と解釈しているかもしれない。故に、選択されたものや事象は、”私のために”、私の印象を反映される。

 

故に、『(仮想的な)世界は私のためにある』。

 

そして、(仮想的な)世界を彩っているのは、私自身である。だから、(仮想的な)世界を変えるには、世界の主たる私が変えれば瞬時に変わるというものである。

 

それぞれの世界は、それぞれの私のためにある。

書くこと・書いた後・そして過去現在未来 View Comments

GTDでは、自分の考えている内容を出力することを重要視している。出力する、ここでは簡単な実装で言うと、書く、ということになる。

書くというのは、それ自身は非常に簡単な行為である。しかしながら、その行為を通じて、脳内の作用が大きく影響することは確かであろう。

人はどうやって過去・現在・未来を区別するのだろうか?

私の場合、過去はそれ自身がこれ以上変わることのない事実、である。過去に対して私は簡単に区別することができたのだが、残念ながら現在と未来について区別することが、難しかったし、今もそうである。

昔、未来について想像したり、思考のまな板上で現在と未来を、同じ土俵で陳列することは不可能だった。その理由は一重に、未来というものを信用していなかったからだろう。信用とは? ここでいう信用とは、信じて用いることができるかどうか、その言葉その文字のとおりである。結局私は未来というものは信じていなかった。信じていなかったので、不確定要素だと未来について捉えていた。その結果、私は未来を信用できずに、判断基準や判断材料や概念のひとつとして用いることはできなかった。

結局この未来の概念ができた理由に考えられる要素は二点である。

一つ、過去と現在のログを取ったこと。一つ、ウィークリーレビューなどで、振り返りの作業を繰り返したこと。いろいろ考えた結果、どうやらこの要素が非常に大きいものと思われる。

社会人に入って中堅どころになると、広い視野を、もっと先を見越した考え方を、と要求を受けるようになるのだが、少なくとも私の周りにその方法について開示することができた人は誰もいなかった。私の結論としては、原因と結果の関係のレンジをだんだんと広げていくことでできるものと思われる。つまり、想像できる未来というのは、過去のユースケースのバリエーションと組み合わせから組み立てられる結果であるだろう。

過去・現在・未来を決定付ける中で必要になる要素は、ある事象が発生した時系列である。事象と事象とが関係するためには、共通の項目がありその項目が遷移するための時間がある。その二つがあってようやく、原因と結果の関係性ができあがる。それをどうやって、理解するのか? 理解できるのか?

書くことの作業について戻ろう。書くことそれ自体は、やはり状態遷移の一種であろうと思われる。書いて、頭で考えていた内容を出力した場合、脳はどのようにその情報について判断するのだろうか?

GTDではオープンループという概念がある。脳のシナプスにずっとずっと情報が流れている状態を指し示す。通信プロトコルのブロードキャストのようだ。クリアに異なる点があるとすれば、おそらくシナプスにはその情報を止める機構とブロードキャストのメッセージを止める機構の性質がことなる点であろう。ブロードキャストの場合、あるノードに送られたメッセージは記憶され、他のつながっているノードに送る。次にそのノードが同じメッセージを受け取った時、すでに送られたものとして、そのメッセージは再送信されない。

ブロードキャストの再送制御機構が強固であるが、シナプスの再送制御機構は非常にゆるいものと思われる。脳の場合、どうすればこの再送をやめるようになるのか? 可能性と考えられるのは、今のところ次のようなことが考えられる。

(1)他の情報とマージされた
(2)中期or長期記憶層に移行した
(3)他の方法で保存された
(4)その情報がこれ以上流すに不要と判断された
(5)それ以上に重要と思われる情報に優先された

とにかく、可能性として再送を止めるやり方はいろいろあるが、手っ取り早くオープンループをクローズループするには、(3)もしくは(4)が効果的であるだろう。(4)は要するには自分で判断することだ。これはいらない、そう決定するだけで、脳での情報は流れづらい。(3)は脳以外のいずれかの場所で保管された場合である。つまり、これが書く作業に相当する。

そもそもどうして、オープンループのような状態になるのだろうか? それが自分にとって必要かも不必要かもわかっていない情報だからである。よくある「いつか必要かもしれない」というような状態が、脳で行われているのかもしれない。それで、浅瀬の中で旋廻するイルカのように、何か新しい情報が更新されるまでは泳ぎ回っているのかもしれない。中期or長期記憶層になると、思い出す作業が困難になるので、すぐさま思い出せるように、頭の中である程度情報として励起状態を保っているような気がする。そう、情報の再現性という問題である。

書いた後はどうなるだろうか? たとえば紙に書かれると、その紙の紙片をなくさない限り、その紙を見れば自分の書いたものが見れる。これはつまり、再現性が確保されるということだ。単に再現性と書いているが、時間で言えば、ほぼ書いた後から紙をなくす瞬間まで、再現されていることである。この情報が継続してアクセスできることの素晴らしさは何たることか! 情報というものは、頭の中では重要である重要でないに関わらず、砂で作られた城のごとく、もろくも崩れ去って行く。城の塔であろうが城門であろうが、である。情報が、頭の中で固定化(名称がすぐに出てくるような状態と考えてもらってよいだろう)していない状態で、情報を保持することは難しい。

今回ここで非常に記述しておきたいことは、紙で書かれた状態を、頭の中で同じことを実現するには非常にエネルギーがかかることだ。そして、オープンループというのは、この非常にエネルギーがかかる状態であることだ。

このほかにも書くことの効果はある。もやもやした内容が文字という形あるものに収まるために、それ以外の情報を捨て去る点だ。まとめる作業も複数の情報のうち、必要な情報をピックアップすることなので、相関性はあるだろう。

自分コメント

  • とりあえず吐き出し
  • via 筆記療法
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