経験値の応用について、以下のようなイメージを持っていると友人に説明したら、無理と一蹴された。
ちなみに、イメージの中のはしご=経験値というイメージ。
結局自分のタスク管理の問題は、期限が先のタスクに対するモチベーションが高く保てないということが一番多いので、モチベーションのコツや維持方法を知りたいです。
会社でGTDの話す機会があって、その後にアンケートをしてもらったときのコメントの一つです。モチベーションについて、です。個人的には、私自身の感情にことごとく裏切られています。なので、モチベーションも感情の一部ですから、あまり信用していません。
確かに、モチベーションと行動が揃った時に、自分は作業をやったやったんだ! という気持ちになって、非常に爽快感があることは確かです。しかしながら、現状のところ、そんな自分の爽快感と実際の作業量は、思ったよりは相関性がないと思います。勿論好きでやっているほうが効率がいいんですけれども、実際の作業時間のうち、そんな幸せな時間は20%あればいい方なんじゃないんですかね、というのが私の予想。
ところで、上記のコメントがあって思ったことなんですが、モチベーションに対して、何か幻想を持ってないですかね? つまり――
自分はやる気があるんだ、ただモチベーションになってないだけで、それがありさえすれば、こんな難しい問題や先々にしている問題も手付かずになってないだけなんだよ!
とかなんとか言われている気にもなるんですよ、モチベーションがあるないの話って。これを突き詰めて昔に戻していくと、どこに行き着くのか。
自分は、勉強ができないんじゃなくて、勉強をしなかっただけなんだ。勉強をしようと思えばできるんだ。
という、自分の不勉強への言い訳に行き着くんじゃないのかと、個人的には思ってます。若干むちゃくちゃ感はありますが。
上記は2つの文から構成されていますが、この二つの文には大きな隔たりがあります。実行しないのと、実行して結実するかどうかとは、大きな違いがあります。その違いをよく理解しているからこそ、私たちは、実績というものを重視しているわけなんですがね。
確かにモチベーションは大切です。けれども、モチベーションが万能の薬ではない、ということも、気をつけてほしいわけです。
上記のコメントで言われている本当の問題は、多分モチベーション云々ではないと思います。「期限が先のタスクに対して今手をつけるにはどうしたらいいのか」というのがわかればよいのだと思います。
ここにみかんとりんごがあります。今果物を食べるのにどちらを選びますか? ほとんどの人がみかんを選ぶと思います。期限が先のタスクとは、このりんごの状態なのだと思います。
私の場合、通りのいいインタフェースは、映画のようなストリームだ。このような形態の場合、眇めで見ることなく、素直に反応してしまう。小公女セーラを直視できなかったぐらいだ。
友人の場合、映画もまあまあ通りがよいが、文章で綴るような、小説関連の方がもっと通りがよい。ものによっては1ページを読むだけで数日かかるといったものもある。
私の場合、通りを越して、受け取った瞬間から分解が始まるインタフェースもある。音楽の場合がそれにあたる。幼稚園の頃からピアノを始めたので、音楽に対する需要感覚からして特になく、入った直後から音に対して分解作用が生じているような風だ。一番よい音は生で聞く読経だ。
そんなせいだからか、そもそもの体質からか、授業と呼ばれるものはてんで苦手だ。言葉として分解する前に、音として分解しているからなのか、すぐに散じる。最近その対策としてうまくいっているのが、聞いた内容を4コマ風味にノートにまとめる方法だ。手を動かしている分には眠くはならない。
たぶん、このインタフェースの癖は、人によって異なるのだろう。
新しいカテゴリを作ったので連絡します。
このカテゴリは、私が見たり聞いたりしたことのあるGTDや仕事の困ったことを、収集して紹介するページです。今は収集段階なので、まだ分割はできそうにありませんが、集まってきたらサブカテゴリ化したいものです。
勉強会でいろいろお話していると、いろんな人の仕事で困っている内容が出ています。共通した問題だったりそうでなかったり、でも自分は同じでないと思っていても他の人には同じだったり、等々。そういう困った部分をみんなで共有して、仕事の困ったことのヒントになるといいなーと思ってつくりました。
もともと、GTDに対する困ったことや質問等のユースケース集を作ろうと思っていました。勉強会を続けていくと、やはり仕事の仕方で悩んでGTDに行き着いた方もいました。また、今までは滞りなく活動できてたのに、いきなりできなくなった、という人も少なくありません。今後、仕事のスタイルが多様化していくにつれ、どの年代層の中でも、このような悩みを持つ人が増えていくだろうと、思います。
それで、具体例を用意することで、自分の現状がどういったものかを照らし合わせるんじゃないかな、と思っています。というのも、私自身が一番仕事の管理で困っていた時は、何に困っているのかがよくわからない、という、「何が問題なのかがわからない」という状況だったからです。
まぁそんなわけで、悩んだら似たパターンが見つけられたらいいね、てことで集めていきたいと思います。
歩くと思索しやすいのはよく言われている効果だ。私もそれについては非常に同意する。
実は、電車についても同じ効果を持ちやすかったりする。これは、私は高校・大学と通学が長かったからそうなりやすくなったもしれないが、とにかく電車に座ったらできそうなことは何でもしていた。
読書・勉強・学校の課題・寝る・などなど。
今ではpomeraを用いて書くようにしている。
歩くことによる効果はなんだろう。家に帰るとなかなかどうにもなにもできなくなる。考えることもあまりうまく回らない。
歩いている間は、できることが減る。音楽を聞いたり、話したり、何か考えたり、などができる。このうち、話したりするには相手が必要で、音楽を聞くにはiPodなどの携帯機器が必要になる。相手もおらず、機器も持ってないなら、残る作業は考えるだけだ。
つまり、思考が手持ちぶさたになり、自然と行動が「考える」ということに集まってくる。
歩くことによって、注意量が分散される。私たちは通常、行動と思索に対してどちらも注意を払っている。一方に偏らせることは、生命上危険な行為である。なので、身体的な機能では、極端に偏った注意を払うことを避けようとする、と私は思っている。
歩くことは、極端に偏らないにしても、ある一定量の注意を行動に払うようにし向けられる。また、その行動自体は、意識的に注意する作業でもない。行動に対する注意量は飽和され、あとの注意量は、ほかの作業に割り当てられる。
私の場合、自分なりのルールはいつの間にか作られていることが多い。ルールは考え方の基本というか、ものさしというか、そんな感じで用いているものだ。残念ながら、用途や目的すら、言葉にままならない。
このルールだけれども、毎度明らかにしようと思うのだけれども、まとまりが悪くて言葉にまで落ちてこないが、ひとまずまとめられるものからまとめていこうと思う。
そのうち、今回は具体と抽象のルールについて。
(1)具体から抽象への昇華は可能であるが、その逆は厳密的には不可能である
(2)具体と抽象は別々に培うことが可能である
(3)別々の具体と抽象がつながることができる
(4)具体に含まれる要素はほとんど全てが当てはまる。人が変わった、環境が変わった等変わったことが一つあれば、具体は変わる
私が理解した順番も、実際の論理展開も上記の順番通りである。これが理解できると何が便利か? ありのままに受けられるように気持ちが拡張されることで、変な抵抗感が少なくなる。また、人はオンリーワンである、ということが(変ではあるものの)理論的に導き出せる。
また、上記のルールについても、上記を適用して納得が生まれるものである。具体のない抽象は、ただの机上の空論である。
仕事の状況について。
複数のプロジェクトが同時並行で進行しているものの、ひどく忙しいというわけではない。電話・人による途中イベントは1日に1~2件程度で、自分で都合がほとんど取れるという状態。
文庫本ノートを使っていた時期もあったが、その後やっぱり全然見ないことに耐え切れずに、やめた。B5のリングノートは続行中。サイズがある程度あると、見なくてもやった感というかまとまった感があるらしく、特にこれをやめてしまおうという気にはならないようだ。
poicでも、カードに書く前に野帳に書いているというから、その延長線で文庫本ノートを導入した経緯がある。しかし、よっぽど忙しい時期でない限りにはそんなに毎度毎度書くような状況には陥らないということが確認されただけに終わった。人間必要な分しか動作は発揮されないもんなんですね。
で、文庫本ノートはひとまず3冊目までは突入できたものの、3冊目の途中で事切れてしまった。
最近、といっても3日試した程度の淡い感じなんだけど、最近は上記のメモを使っている。これは、前の勉強会で細長いRHODIAをDoingリストに使っているというコメントがあって、ほんなら私も! と思ってた時に見つけたものだ。この紙に上から順に、これから行う作業を、GTDのうちアクションレベルで書いていく。いまいち流そうなアクションの場合は、更に別の1枚を用意して、そのアクションの中の手順レベルを書いていく。それが終わったら、最初の紙に戻るという按配。
時間については、タイマーを使用する。時間の予測は立てない。これはもちろん、時間を立てなきゃ危険ではないという条件付だ。むしろ家で外出する前の方が逆算を考える率が高い。なぜだ。で、予測は立てないかわりに、12分1コマでタイマーをかける。これも確かLifehacking.jpで紹介されてた48分やって12分休むとかそういうのの変則利用だ。これは、私が作業をし始めると、うっかり他のことを忘れがちになるということからはじめたものだ。タイムアタック方式で一番私がつらいのは、そもそも時間を計測していること自体を忘れるということだ。それに、この作業をこの時間までに終わらせよう、というのがどうにも初めての作業では発動しない、というのもこういう形式になった理由の一つである。第1回目の作業は、通常にかかる時間が明確にするための試験期間であって、タイムアタックに最適な時間が設定されているわけでもない。つまり、予測されている時間がそもそも現実に即していないということにたぶん私は納得いかない、のかもしれない。
ここから別の話。
ノートという形状は、結合度が強い。モレスキンにしてもそうだ。
例えば、Lifehacking.jpの堀さんなんかだと、これはというイベントの時に書くのだそうだが、振り返ってみた所、自分はあまりそういう感慨はないので、これは素晴らしい体験だ!という気分に書くこと自体を区別するのが難しいような気がした。モレスキンを使う様は格好いいし、オレンジのモレスキンもまだ大事にしまっているので、なんとか使いたいところ。もうちょっと気軽に使えないものなのかな。
話を戻して文庫本ノートだ。結局のところ、リングノートならまだしも、文庫本ノートしかもこの小ささで見直すことは皆無である。忘れるためだけに書かれているのであって、トイレットペーパーみたいなものなのかと考えればある意味納得もするんだけれども、納得いかないこともある。
そもそも小さいあのメモ帳って何だ? というか、私は小さいメモ帳を使いこなせたためしがなかった。最適な使い道がわからなくて、いつも死蔵品になることが多い。