Monthly Archives: 8月 2008

第6回GTD勉強会を開催します。 View Comments

勉強会詳細

場所:東京・銀座
日付:8月30日(土)
時間:15:00-18:00(3時間)
定員: 14名
mixiURL:http://mixi.jp/view_event.pl?id=34257234&comm_id=3013597
参加費用:場所代+ドリンク代です。人が集まると安くなります。

今回の実施内容は以下のような感じです。

前半:GTDをうまく回してる人のやり方を本人から紹介してもらう
後半:皆でGTDのやり方を共有する

今回のテーマについて

前回に引き続き、実際にGTDをされている方のユースケースの紹介になります。
いまいちどういう風に実生活に展開したらいいの?
そもそもどんな風に使ったらいいの?
といった所にピントがこない人には、よい機会ではないかと思います。

第5回の講師は・・

前回は、営業職のながさんにお願いしました。
6回目の今回の講師は、mixi上ではいしゃさんで登録されている、
産業医の難波克行さんに、紹介いただきます!

名前:難波克行さん(いしゃさん)
職種:産業医
装備:OmniFocus・OmniPhone(だっけ?)・iPhone
URL:ELECTRIC DOC
http://e-doc.no-ip.com/

難波さんの職業である産業医は、会社の社員の健康をサポートするお仕事です。 学生の方には聞きなれないかもしれませんが、学校で言うところの保健医の先生みたく考えてもらえるとイメージがつきやすいかもしれません。

ウェブサイトでも、その職業からの話題を提供し、健康に注目しています。
健康をサポートするために、一定時間が過ぎたら知らせてくれるソフトの「VDTタイマー」や、メタボ対策のために測るだけダイエットをサポートしてくれるウェブサービス「hakatter」の作成者でもあります。

忙しい職種ではない、と本人自身が仰っているとは言え、私生活と仕事を両立し、 よりよく快適に過ごすために、GTDを取り入れていることは、
私も難波さんのブログを通じて知っていました。

それが、第3回の勉強会(だったっけ?)で、偶然にもお会いできることになり、 今では、頻繁に勉強会に参加していただいています。
ちなみに、ELECTRIC DOCでのGTDの記事は以下より確認できます。

http://e-doc.no-ip.com/archives/category/gtd/

実は、最近の難波さんの実装方法は今活性化中です。
GTD+Rのよさを前回の講師のながはるさんから知って、GTD+Rになったと思いきや、 最近リリースされたiPhoneでOmniFocusが使えることで、今はそちらを試用されていることです。 こうやって、自分の興味のままに道具を切り替えられるのも、GTDのいいところですね。

しかしながら、iPhoneを使ってGTDをするにせよ、Omniを取り入れたいと思っているにせよ中々ふんぎりが行かないところでもあります。WinユーザはそもそもMacに切り替えるという高いハードルがありますけどね!

そこで、今回は興味の赴くままにiPhoneでGTDを実施するのを試されている難波さんに最新のガジェットで実行するGTDの実装内容について
紹介いただきたいと思いまーす。

iPhoneやOmni系に興味のある人は、特に実際の使い勝手や感想が聞けるのでよい機会だと思います。

興味をもたれた方は、ご参加くださいまし。

それをせずして死ぬのはどうか? View Comments

よかったです。もともと友人のサポートをせずして死ぬのはどうか? と思ったことから、今回のHolidaysは始まりました。

works4Life season V » Blog Archive » July Holidays終わりました。

友人のサポートについて。本人からどうして上記のように思ったのかと質問があったので、今回のJulyHolidaysを決断した周辺についてまとめておこうと思います。

大きな決断をするには何が必要なのか?

私は、大きな決断をする人々にその選択する度胸はどこからやってくるのか不思議に思っていました。本人的には、見通しのたった決断かもしれないし、そうでないかもしれません。

今回のJuly Holidaysは、私にしては大きな決断をしました。以前での決断の際とは全く別に、考えていたように思います。ただ、一ついえるのは、明らかにGTDからの波及効果があって、別の考え方ができるようになったということです。今の段階では、どうして、GTDで、大きな決断ができるようになったのかは、うまく説明できません。しかし、いくつかの要素は見えてはいるので、今回はそれを記録していこうと思います。

決断を促した表面的な考え

まず一番初めに思ったのは、友人のサポートをしたいことでした。

私は今までに、友人からいろいろなサポートをしてもらってきました。友人はどういう気持ちがあって、それを実現するためにどう行動をしているのかを説明してきてくれました。例えば、友人とは一緒に住んでいるので、私が元気がないなと思ったら、外で一緒に食べに行ったりしてリフレッシュすることを考えたり、といったものです。

一方、私は気持ちがあっても、それを実現するためにどうしたらいいのか、とまでは考えられるに至りませんでした。簡単に言えば、料理のサポートをしようと思っていても、どこから手をつけたらいいのかわからないのです。何がわからないのかが、わからないのです。私も友人のように動くことができればいいな、そして友人をそのようにサポートできたらいいな、と思っていました。

そして今友人が行っている、テストのサポートをしよう、そのために家事等の雑務を引き受けるために休みを取ろう、と考えました。

決断を阻むもの

休みを取ろうと思ったのは、正直仕事に区切りをつけたいというのもありましたが、今までにも友人のテスト勉強の期間はありましたが、私のリソースではうまく行動できなかった、という結果もあります。私自身も働いているので、正直余裕はありませんでした。それに、当初の計画では料理をがんばろう!と思っていたのでそれをするには時間が必要だ!と思っていたのです。そんな感じで休みを確保しようと思いました。正直、仕事に一区切りつけたい、というのも勿論ありましたがー。

しかし、休みを取ろう、と考えても妨害するものはいろいろあります。休んでいる間のお金は入ってこないしいいの? そもそも仕事は休められるの? などなどの不安要素です。

確かに、上記だけの理由では、会社を休むには会社に対しても、何より自分自身に対しても説得力がありません。それで、この一つだけの理由では非常に弱いために、私は、休む理由に英語の勉強を組み合わせました。

とはいえ、理由を二つに組み合わせた所で、なかなかにえいやっと実行することは難しいです。そこで、実行レーンに移すことができた大きな要因は何だったのかを考えました。すると、「友人のサポートを7月に行いたい」ということが、私の中で最優先事項に入ったことが頭に浮かんできました。つまりこの最優先事項を実行したい――それだけに焦点を合わせたことで、会社などと折り合いをつけることができました。

なぜ決断ができたかと言えば、最優先事項があった

今回の決断は、最優先事項があり、他の材料で補強することで、実行に移すことができたと思っています。7つの習慣でも、この最優先事項を考えることが大切だと言っています。しかし、どうやったら最優先事項が自分の中で準備できるものなのでしょう?

私は今回、自分の最優先事項はこれだ! と思うに至りましたが、今までそんなものが用意すべきだとも思ったことがありませんし、考えたことすらありません。今回はそのように思いましたが、今思い出して、そういえばこれが最優先事項だったんだなーと認識したぐらいです。

また、今までの人生での要所要所、例えば自分自身が高校や大学の受験でそう思っていたかもしれません。が、自分の志にそぐわなければ、テスト勉強を最優先事項に掲げたとしても、うまく機能していなかったように思います。

最優先事項は、自分自身がこれが必要である! と断言できるものでなくては、うまく動かないようです。「なんで私は受験勉強してんのかな? 大学に本当に行きたいのかな?」などと決断が揺らぐようなものであってはなりませんし、そう揺らいだ瞬間、それは最優先事項ではありません。今までは、最優先事項にしたい項目があったとしても、決断が揺らいでしまし、最優先にしなくてはいけなかったとしても、至らなかったように思います。

それに比べて、今回思った「友人のサポートをしたい」ということは、確かに揺らぐこと自体が少なかったです。それは、自分自身の中に、どれが重要でそうでないか、という判断基準が、GTDをすることで自然と培われたからなんんじゃないかな、と思っています。

最優先事項を見つけるには判断基準がまずあった

GTDの処理ステップを何度も実行することで、『物』を判断し、実行します。それが自分にとって必要なのかそうでないのか? 何度も何度もすることで、自分の中で判断したデータが蓄積されていくのだと思います。その判断で、自分にはずせない条件や順番などが、身体の中で認識されていくのだと思います。私は覚えてなくても身体は何が必要なのか、覚えてくれているのです。

何度も判断することで、自分自身の中でユースケースが用意され、自分に対するデータマイニングがされているんじゃないかと思っています。それが、思考にフィードバックされ、信念だとか指針だとかに表れ出るものではないかなと思います。この時思い出すのが、裁判などで証言者の発言です。回を重ねる毎に自分の言った内容に確信を持つようになる様が、似たものを思い出します。ここに必要なのは、自分が何を選択し、発言したかの結果だけであって、正直それが正しいかどうかは関係ありません。

さて、私にとっては、仕事を続けるよりも、友人のサポートを7]

再現性の努力 View Comments

なるほど、ブログを書くときに2、3日休んでしまうとかえって再度始めるポイントを見失ってしまうのもこのせいか!

小さな、静かなる持続の力 | Lifehacking.jp

Lifehacking.jpさんのエントリを読んで、まず思い出したのが下記のNBonlineの池波正太郎に関する記事です。記事は2ページあり、1ページ目は誰でも読めますが、2ページ目以降は会員登録する必要がありますので、気をつけてください。

徴兵される前に軍事工場で精密部品作りに携わった経験がある著者は、「深く微細に、理論的に根気よく何かをするということが嫌いでたまらなかった」。当然、最も覚えの悪い工員だった。しかし、根気よく丁寧に教えてくれる上司の指導もあって、なんとか半年間続けていた。そして…

或日。突然に、ぱっとわかった。

『日曜日の万年筆』が描く「手順」の達人、池波正太郎:NBonline(日経ビジネス オンライン)

この記事は以前からよい記事だと思っていて、ことある毎に思い出す内容です。もともとは、GTDの中でアクションを細かい手順に落としこむことに関連して、気になってクリップしたものです。それについて、なにがどう思い出したのかは特に言語化しませんが、気になって読んでもらえると嬉しいです。

質より量、そのためには持続――何がどうなってるんだろう?

さて、Design ITさんでは、確率論ではないということを説明され、Lifehacking.jpさんでは、質より量を生み出すために持続が必要であり、そこには二つのフェーズが融合している、と説明されていました。

どちらの話も納得の行く話です。それと合わせて、結局何がどう起こってるんだろう? という疑問も沸いてきました。つまりは、この二つから導き出せる、質より量である理由とは何だろう?

自分が導き出した結論を先に言っちゃうと、全てを生み出すものの媒体が「体」だから、です。

最近、私が気になるのは「体」についてです。「体」は私がこの世界で出力することのできる重要な媒体の一つとして、重要視しています。ここで説明する際、「心」と「体」をあえて区別しています。「心」は頭のもやもやとした実態のない思考を、「体」は物理的な質量を持った立体物を、指し示しています。「体」には全組織、つまり脳から神経回路、筋肉などの構成する全組織を含んでいることに気をつけてください。

高い質の作品を生み出すことも、それを持続させることも、「体」を動かす機会を増やすことに帰着しています。「体」を動かすことで、「体」は「経験」を得ることができます。そしてこの「経験」は「体」に蓄積されていきます。そこにはこんな図式ができあがります。

「体」 → (経験した!) → 「体」+「経験」

経験後の「体」というのは、経験前のそれと同じであることは決してありません。「経験」は「体」に蓄積されること、これを目的として、持続することや量を増やす方法がとられるわけです。

どんなに「心」がこんなものを作りたい、と思っても、「体」がそれを作る術を知らない限りには、現実には作り出すことができません。その理想と現実の不一致を埋めるには、「体」の「経験」を蓄積させ、「技術」に変えることが必要なのだと思います。

「体」に「経験」が蓄積されるなんて当たり前だ! と思うかもしれません。しかし「経験」は多岐に渡ります。例えば質より量で実験された陶芸ではこんな「経験」が蓄積されるかもしれません。

  • 自分が最も最適だと思っている水分量を含む土を手で触った時の触覚情報
  • 土台となる土の分量がこれぐらいで最適だと目で見た時の視覚情報
  • 自分がある形状を作る際最適なろくろの速度の視覚情報

「心」が指令を送るのみができる、とここで想定すると、まず上記のような情報を受け取るための媒体が必要となります。それが「体」。「心」がまず判断するためには、まず「体」が情報を受け取る必要があります。そしてそれが以前と似た情報だ、と反応するための情報が必要となります。その過去の情報はどこから取得されるのか? 「体」です。

「心」が担うことのできない役割の一つに、情報を受け取ること、というのがあります。どれぐらいの情報を受け取るかは、各「体」の発達した神経回路に寄ります。「技術」は、この「体」が発達することなしに伴うことはありません。

「経験」は、脳だけでなく、「体」全体を使ってあらゆる場所にその記憶を蓄積しています。

質より量が、確率論ではない意味

ところで、Design ITさんのところで、これは確率論ではないと説明されてましたが、実はすぐには理解できませんでした。ので、自分なりに理解した内容を以下にまとめておきます。

確率論の話というのは、同じ状況の場合に発生しうる率です。ところが、経験前のAさんと経験後のAさんは、「体」の持つ「経験」値で比較すると異なります。

Aさん → (経験した!) → (A+経験)さん = A’さん

みたいになる、と考えるとわかりやすいかも。そうなると、Aさんに適用できた確率は、A’さんには適用できない。だってAさんが同じ状況じゃないからです。

July Holidays終わりました。 View Comments

そういえば報告がまだでした。July Holidays終わりました。成果としてはこんな感じです。

  1. 友人のサポートをがんばった!(コピー、部屋の掃除などなど)
  2. キッチンのラック導入に成功!(大々的な整理を実施したよ)
  3. 英会話学校に通い始める!(とりあえず入った)
  4. コミュニケーションいろいろ(シゴタノ!ランチオンなどなど)
  5. GTD勉強会第5.5回実施(結構スケジュールが短かったので思ったより大変)
  6. 不要なものの処分
  7. 服の整理整頓

充分な余裕を確保するための休みでした。今までストップするための時間がなかったので、これはこれでよい休暇になったです。ただ、仕事としては何もやってないので、いわれのない焦燥感はどうしてもあります。

本当に休んでよかったのか?

よかったです。もともと友人のサポートをせずして死ぬのはどうか? と思ったことから、今回のHolidaysは始まりました。仕事は別に続けることができますが、友人へのサポートはこの期間だけでしょう。そういう意味で、どういう形であれ、サポートができたことは、本当によかったと思います。

その分、確かにリスクはありました。一番のリスクは金銭面です。通常自分が獲得できるうちのサラリーと、その月のボーナス分は獲得できません。これは、時間を確保するための当然の代償であります。そのリスクをのむかどうかは、本人次第でしょう。リスクをとるか、それとも自分のしたいことをとるのか、これから選択の決断の時に、リスクのない決断はないでしょう。これ以後、私は更にリスクの伴った決断が、しやすくなることだと思います。今回の休暇は、決断の練習にも、大いに役立ったと思います。

流れが変わる際の大きな混沌

今回の出来事で何を大きく感じたのかを考えると、大きな混沌でしょう。大きな混沌とは何か? 部屋を整理整頓する際に、一時は異常なまでに収拾をえないような、混沌とした世界が部屋に横たわります。GTDの収集ステップで迎えるのはこのような状態であり、これを目の当たりにすると、それだけでもう一気に気力が削がれてしまいます。

しかし、理なき世界から理のある世界を構築するためには、この大きな混沌を接触することは免れません。物理現象として、化学変化があります。この化学変化でも活性下エネルギー状態は、変化前のエネルギー状態と変化後のそれのいずれよりも高い状態です。

大きな混沌とした世界は、ちょうどこの化学変化中の活性下エネルギー状態だと私は思っています。物自体のエネルギー状態は変わりませんが、例えばその混沌の中から必要なものを選び取るための、頭が要するエネルギーが整然とした世界とでは大きく異なるはずです。つまり、頭がその世界でやっていくための必要なエネルギーが異なるのではないかと思います。

このような状態を、今回いろいろ経験しました。2番のキッチンのラック導入時に整理整頓をした時もそうですし、6番の不要なものの処分もそうです。7番の服の整理整頓もそうです。つーか、混沌の世界ばかり対応してるような気さえしています。そして、July Holidays自体こそが、小さな混沌を理に戻すための大きな混沌でもありました。

理が変革する際、ある適正な状態になる前というのは、このような混沌になることが多いです。なぜスムーズに移行できないのかは未だわかりませんが、私の場合、混沌と理がいつも紙一重で佇んでいます。しかし、混沌の先に理が待っていることを知っているので、私は混沌に突き進むことができます。

July Holiday時は私自身が大きな混沌だった

こう考えてみると、今回のJuly Holidaysの時期とは、私自身が大きな混沌とした状態であったように思います。おかげで、前々から気になっていた部分が消化され、随分気になっていた部分が消化できました。7月のはじめに収集した180近くの項目も、後で見返すといつの間にか消化できているものもありました。

私が言いたいのは、きっと皆の中にも、このような、制御不可能な時期というのが発生することだろうということです。しかし、それは概して適切な状態へ向かうための、重要なステップの一つなのだということです。そういうものの感じ取り方もある、という一つのサンプルとしてみると、よいかもしれません。

ところで、ブログのエントリがGTDから大きくかけ離れている件について

私のブログは、自分自身で危惧していたとおり、GTDの出力部分がgihyo.jpに流れていってしまい、このブログ自体はGTDのことから随分離れてしまいました。そして、私自身が一番それを気にしています。とはいいつつも、GTDから発生した自分の現象を記す、という意味では、このブログの内容は含まれます。

GTDは、正直理解の範疇が一瞬固形化したかと思いきや、その一瞬後には液状化してしまい、今では随分様変わりしてしまいました。私はGTDをよく使っている方だと思いますが、未だ部屋は整然とした状態から程遠いです。実装の全ての煩わしさから解放され、お花畑にいることはまだまだ先のようです。

とゆーかもうちょっと軽くかきたい。

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