Monthly Archives: 9月 2007

『いつまでもデブと思うなよ』レコーディングダイエットはGTDと似ているのか?

 もともと、404 Blog Not Foundさんところの書評を見たのがきっかけの本だったのですが、GTDとやり方が似ているとのコメントがあったので、俄然気になって読みました。
 以後、反響が大きく、いろんな所で書評を見つつ、本当にレコーディングダイエットとGTDは似ているのかなぁと改めて考え直したいと思い、ちょっとその周辺をまとめました。

本の所感。

 読み物としても、またダイエット本としても非常に楽しく読めました。
 レコーディングダイエットについても、なぜそれをしたかの経緯が書かれてあります。また第1章のダイエットに関する比較についても ダイエット=投資と考え、それについて各ダイエットについてのリスクとリターンの観点から比較していることが、今まで見たことがなかったので、それが非常に興味深かったです。
ネットでの書評。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50894513.html
私が一番初めに見かけたのは、この書評でした。

「著者はダイエットを超えた、肉体ハックを手にする。その方法がGTDと全く同じだというのが面白い。とにかく記録を付ける。それだけで、体は勝手に節制をはじめる。」とあるように、レコーディングダイエットとGTDが似ていると指摘しています。
 が、それについてはあまりフォーカスはされておらず、本書が面白いのは、どうしてダイエットをするようにしたのかが書かれてあるからだと説明していました。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/post_1ac4.html
 極東ブログさんの書評では、ポイントは二つほどあって、ラベリングの妙、ダイエット成功への懸念点といったことがありました。どちらの点も、私にも納得できる所で、特に後者の成功できる確率は低いのではという指摘が面白かったです。
 確率が低い要因には二つあるとのこと。
 要因の一つ目には、飢餓感との問題があり、これを超えるために非常に難しいということ。これについては、どのダイエット方法でも同じ経路をとる必要があるだろうから、これは何もレコーディングダイエットに限った要因ではないでしょう。
 要因の二つ目には、自己認識の問題があるとのこと。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070921/135667/?ST=nboprint
 NBOnlineの書評は、404 Blog Not Found さんのブログを受けて、レコーディングダイエットとGTDが似ていることを非常に取り上げており、ニューエイジ的自己変容願望がGTDへと繋がる、といったような世代的な位置付けを展開していました。
 『日常作業の効率化という卑近なハックからいきなり「よりよき人生」にすっ飛んでしまうGTDと、オタキングの「レコーディング・ダイエット」は、その「中抜き=お手軽」ぶりにおいても、みごとに相似している。』と評されていましたが、実際のところ、手軽ではないです。実践を継続するには、かなりの困難を要しますが、食事制限をするよりかはお手軽である程度です。やっぱりつらいのには変わりありません。レコーディングダイエットが成功できたのは、熱中するとマメになるオタクな岡田さんだったから、と私は思っています。 

 いろんな見方で評されていた本書ですが、私が注目した点は二つです。レコーディングダイエットとGTDが本当に似ているのかという点、そして、どうしてレコーディングダイエットはリバウンドがしないのか、という点です。

ダイエットとリバウンドの問題

 リバウンドを制するものはダイエットを制する――ダイエットにはリバウンドがつき物です。華麗にダイエットを成功したとしても、リバウンドでほとんどダイエット前と変わらない状態に戻ることはよくあります。ダイエット方法が数多あるのも、このリバウンドがあるからこそで、手をかえ品をかえ新しいダイエットが編み出されるのです。

 なのに、どうしてレコーディングダイエットではリバウンドをしないのか? 私はとても不思議でなりませんでした。一体どんなダイエット方法であれば、リバウンドをしない体になるのだろうか、そもそもレコーディングダイエットのプロセスってどうなんだろう?

レコーディングダイエットの仕組み

 レコーディングダイエットは、自分の食べたものを記録する、という極めてシンプルな行動から始まるダイエットです。そこから徐々に作業を追加していき、最終的にカロリー制限をするところまでもっていくという方法です。
 考え方の基本は、カロリーの足し算引き算を明確にすることの一点に絞られています。
 レコーディングは体に吸収される食事の足し算を正確に行うことです。この記録するところがレコーディングダイエットの肝となるところで、これがGTDの収集ステップに似ているのかな、と私は思いました。
 レコーディングダイエットは、以下の4つの段階で構成されます。

  • 助走 – 食べたものを記録
  • 離陸 – 食べたものとカロリー、体重・体脂肪率を記録
  • 上昇 – 一日の摂取カロリーを決め、それを守りながら食べたものとカロリー、体重・体脂肪率を記録
  • 巡航 – ダイエット法を併用しつつ、一日の摂取カロリーを決め、それを守りながら食べたものとカロリー、体重・体脂肪率を記録

 フェーズを進む毎に、やることがだんだん増えていきます。上昇のタイミングで、初めてカロリー摂取の調整に入ります。
 レコーディングダイエットが特徴的なのは、この3段階目の「上昇」ステップで、カロリー調整に入る所でしょう。他のダイエット方法は、ほとんど「上昇」ステップから突入します。これは仕方のないことかもしれません。今までのダイエット方法は、体重を減らす、という一点を主眼に置いた方法であり、総合的にダイエットを行うという視点はないからです。

 確かに、逐一記録する部分はGTDの収集ステップと似ているかもしれません。しかし、その後のデータに対しての作業については、GTDとは異なっています。GTDは処理をするためのデータを収集しますが、レコーディングダイエットは現状を確認するためのデータを収集します。なので、今までのテストの問題を全部取り出し傾向と対策をとるといった全うな受験勉強の方がむしろ似ている、というのが個人的な意見です。

しかしどうして太るのか?

 岡田さんが、レコーディングダイエットを始めた理由も、自分はどうして太っているのか、その理由が分からなかったからだと書いています。その理由を解明するべく、詳細にデータを取り、状況を確認しようと試みていました。その途中において、記録していない食事をしていることに気づいた、と本書では書かれていましたが、この気づきは非常に重要です。

 そして食事の記録をした結果、食事の内容、食事をする時間、食事の回数などがわかり、自分がどのような食事習慣だったのか、というのが白日のもとに晒されるのです。
 
 本書でも書かれていますが、太っている人の場合、食事の内容はいかにもカロリーの高そうな食事であり、食事の回数もまた多いです。内容や回数もさることながら、私自身はそれ以上に、記録していない食事があったという、無意識に食事をしている習慣自体も問題なのでは、と思いました。

 私の母親にも、体重の心配をしなければならない体型です。無意識の食事の摂取は、確かに私の母親についても似たような習慣があります。岡田さん程には無意識でないにせよ、母親はナチュラル~にお菓子を食べます。その行動には淀みがなく、息をするような無意識さで食事をします。
 食べることに対する意識の希薄さ、回数の多さが、太っている人の気になる習慣のように思います。

 岡田さんは、このレコーディングを実施するにつれて、自分の習慣というものを目の当たりにし、いかに自分が体重を維持するための行動をしたのかを認識したと説明されていました。

リバウンドのワケ、レコーディングダイエットがリバウンドしないワケ

 さて戻って、どうしてレコーディングダイエットはリバウンドしないのか? それは、上記のように自分はどうして太るのかの習慣を目の当たりにしたおかげで、他のダイエットよりも、やっぱり今までの食事がしたい! という願望から免れるようになったのではないのかと思いました。
 習慣を見直すタイミングのないまま、ダイエットをする人は、次のような気持ちを心の中に潜ませつつダイエットをしているのだと思います。

・好き勝手にご飯を食べているのに、どうして私だけが食事制限をしなければならないの?
・私は何も好きで太っているわけではない、ただ体質だからどうしようもないのだ。
・今までちゃんと痩せることもできたんだから、今回だって痩せられるし、ぶり返し太っても大丈夫。
・今の食事の習慣は、ダイエットが終わったらやめてもいいんだ
・ダイエットをしている私は、仮の姿だ
・私が悪いことなんて、一つもない
・私は悪くない
・ダイエットなんて、本当はしたくない
・今のままじゃ、私はダメなの?
・今の私は受け入れられないの?

 ダイエットをしている全ての人がそうだというわけではありませんが、必要に迫られて、いやいや仕方なくダイエットをし始めた、という気持ちの人がいる人も確かなように思います。それらの人の中には、ダイエットを全く拒否する気持ち、むしろ抵抗することさえ考えている気持ちが存在します。
 なので、ちょっとしたきっかけで、その気持ちが膨らみ、ダイエットをしなかった頃の食事習慣に戻ってしまいます。

 表面的なリバウンドの理由は、食事習慣が身についていない、ということがまず考えられるでしょう。ただ、レコーディングダイエットでは、「助走」フェーズで、自分の今までの食事習慣を見てきたので、もう帰りたくありません、という気持ちになりやすく、それでリバウンドしないようにも思います。

レコーディングダイエットとGTDの共通点

 レコーディングダイエットのリバウンドをしないことは、それは「助走」フェーズがあることだと、とリバウンドをしない理由の部分にて明らかになりました。私がポイントと思ったうちの一つはクリアになりました。さて、もう一つのレコーディングダイエットがGTDと似ているか、といった部分はどうなのでしょうか?
 確かに記録する部分自体はGTDの収集ステップを似通ったことがあるかもしれません。しかし、それ以上に似ている部分があることに気がつきました。

習慣を再設定するプロセスであること

 レコーディングダイエットもGTDも特に明言はしていませんが、両者は図らずも習慣を再設定するためのプロセスになっています。
 習慣を再設定するために必要なポイントは、現状を確認し、同じ作業を繰り返すことで何かしらを訓練します。
 レコーディングダイエットでは「助走」フェーズで現状を確認し、レコーディングを繰り返すことで、食べたものを意識的に取り扱うことを訓練します。
 一方、GTDでは収集ステップで現状を確認し、処理ステップを繰り返すことで、直ちに決定することを意識的に行うことを訓練します。
 両者とも、一旦は意識的に作業を行いますが、これを続けて行くにつれて習慣化され、意識しなくても考えの基準になるように自身の体へと融合して行きます。

同じことを繰り返すプロセスであること

 レコーディングダイエットもGTDも、基本的に同じことを繰り返すプロセスです。レコーディングダイエットは食べたものなどを記録し、GTDは所在ない「物」に対してキャプチャし、それについてどうするかを考えます。
 そういった、シンプルな作業を繰り返し行う内容であるといった部分も、両者の共通点ではないかと思います。
 同じことを繰り返すプロセスであることは、これは習慣化することにも一役買っています。単純な作業でなければ、習慣化は難しいからです。

レコーディングダイエットに書かれていないこと

「助走」フェーズで食べる罪悪感から解放する

 「助走」フェーズが食事を見直す位置づけにあることから、実践する際には重要なポイントがあります。
 ダイエットをしようと思う人は、そう思い至る程なのですから、自分の食事習慣がちょっとダメだなぁという自覚があります。でもほんのチョットであります。
 ですが「助走」フェーズでは、その食事習慣を自分の身を挺してダメだしするような状況になります。食べた内容を記録すること自体で、なんでこんなに食べてしまったんだろうと、食べること自体に罪悪感を感じるかもしれません。ですが、「助走」フェーズでは、この食べたい気持ちと実際はいけないんじゃないかと思う内実の誤差から生じる罪悪感と、実際に食事をしたことの現実とを乖離させることが目的だと考えた方がいいと思います。
 ここでは、今までの習慣を受け入れることこそが一番重要だと私は勝手に思っています。罪悪感というのは、結局の所自分の食べた内容を拒否していることと等しいので、まずは「こんなに食べたんだー」と感心するようにして、全く別の誰かが食べているログを見ているような気持ちでやってみて下さい。
 自分の感情と、食事を乖離できた時、そこで初めて次のフェーズに進んでみて下さい。

『レコーディングはすべてに応用可能な、「奇跡を当たり前にする」技術なのである』

 NBOnlineの書評では、上記部分を大きく取り上げていました。単なるダイエットの方法から、大きな技術を得たという話ですが、岡田さんの気持ちが大きくなるのも納得の行くところです。ダイエットを成功し、贅肉から解放され、月面着陸をしたかのような軽さを手に入れました。しかもリバウンドすることなく50kgの減量、昔以上に感じられる気持ちの高揚や、自由度が高くなったことに対して気持ちも大きくなります。しかし、ダイエットをして状況が変化できたことが「奇跡を当たり前にする」技術だと言うわけではありません。
 レコーディングダイエットに成功して学ぶべきことは以下の二つではないでしょうか。

・習慣によって成功体験を獲得したこと
 レコーディングダイエットはメモを取るのが 結構つらいんじゃないかと思います。 レコーディングダイエットに成功した、ということは、このメモを取る習慣を獲得したに等しいです。これは、継続は力であることを身をもって学んだということです。運動選手が強いのは、この継続の力を体感しているからだと思います。
 一度体感しているのとしていないのとでは、続けていること自体に問題を感じなくてもよいので、他のことをやり始めても、気持ちがきっと楽になるんではないかと思います。多分。

・習慣は力であることを学ぶこと
 上記の内容と似ているのですが、上記が習慣と成功が結びついたことについて学べられること、こちらについては習慣を身に着き有用であると学べられることが重要なのだと区別しています。
 この部分は、「繰り返すことが大切だ」というのを頭ではなく体が理解していることが重要なのだと言いたいのですが、「継続は力なり」という言葉はなかなかに実感できないものです。こちらは、成功できた人だけが感じ取れるボーナスみたいな感情だと考えた方が、いいかもしれません。

体形と自己認識の問題

 極東ブログさんのところでは「助走」の時点も要所の一つではとあり、大いにうなずくところがあります。というか、友人に勧めたら思いのほか抵抗にあっちゃった(えへ)。
 極東ブログさんでは、その要所となりうる理由が自己認識に関わるとありますが、実際そうだろうなぁと思います。

 「リバウンドのワケ、レコーディングダイエットがリバウンドしないワケ」で、ダイエットをする人には、ダイエットをすると宣言したにも関わらず、心に裏腹の気持ちを持っている人が少なからずいると説明しました。裏腹な気持ちは、現在の自分を守るための抵抗だと思います。ダイエットをしようと考えている人の中には、とても体型についてコンプレックスがあり、今のままの自分を受け入れてほしいという気持ちがあります。ダイエットを勧めるなどという人間は、それを真っ向から否定するようなものですから、受け入れがたいのかもしれません。

 一体どの部分に対して激しく抵抗しているかは曖昧で、人によって異なるのかもしれません。体型、もしくは食べること自体、あるいはその両方、多くにして両方を否定する者に対する抵抗のように思います。汚い部屋にしろ、内観にしろ、GTD
にしろ、レコーディングダイエットにしろ、全てをさらけ出すのは問題を明らかにする手段であり、何かしら問題がある人間には問題と真正面から向き合うことになるので、頑なに拒否するのはいずれも同じようです。
 けれども私はいいたい。明らかにすることが、あなたを真っ向から否定するわけでも、問題を解決するわけでもない。ただ実情がわかるだけであり、たった一歩を踏み出して、新たなステージへ進んでほしいな、と思うわけです。それに一回やってしまうと慣れるので、その後は内観だろうがGTDだろうが、現状を明らかにする作業には抵抗なくできるようになるでしょう。まぁそれが実際は難しいのでしょうが。。

無視できない無意識

 GTDを通じて無意識はどうしても無視できないものとなりつつある。というか、むしろ無視できないというか、やっぱりばったり出会ってしまったね、という感じ。

 自分がどんな風になしとげたいとか、どんな風になりたいかは、無意識にお伺いを立てないとわからないし、自分を極めて快適な状態に保つためにはやっぱり無意識が嫌がるものを前もって取り除かなければならない、つまりゴミだとか。
 それ以外にも、無意識とは折り合いをつけていかねばなるまい。例えば、理解。私が理解をするのは、意識がだろう、と思っていたけれども、無意識が理解してこそ、意識の理解は確定する。残念ながら、優位性は無意識の方にあって、無意識が理解を確立しなければ、意識はそれを情報として再利用することはできない。その最たる例が言語を習得することだ。
 言語の習得をするために作業をするのは意識であるが、意識が「習得した」と言ったとしても、それは全くもって出鱈目であることは明白である。意識の言語を習得しようとがんばった経過は、確かに無意識の言語を習得する結果に繋がるものであるが、意識からして見れば何か手柄を取られた気がしてならない。しかしながら、無意識が言語を習得しない限りには、「私」というものは真の意味で言語を会得した、とは言えない。
 理解だけではない、無意識には集中する上でも登場してもらわなくてはならない。言語の習得同様、無意識はここでもでしゃばる。しかしながら、集中こそが無意識の独断場であり、意識はむしろ乖離されるべき存在なのである、そして無意識は状況を最適化することで、その場で一番有益に行動できるように体中の全神経を支配下に置く。とはいえ、それが可能にするには、習得、蓄積されるデータ量、及びデータの流動的データ――つまるところの経験値が必要である。じゃあそれを誰がもたらせるのか? 意識である。

 GTDをするにつれて、コントロールするどころかもっと大きな存在がいることに気づく。GTDは寧ろ、意識である「わたし」と無意識である「わたしでない私」との折り合いをつけるもののような気さえする。

 「わたし」と「わたしでない私」が共通しているのは、データを蓄積する脳と使用できる考え方や機能である。でも残念なことに、使うものは同じでありながら、「わたしでない私」の方が断然使い方が巧い。鼻持ちならないが、曲げようのない事実でもある。

 でも「わたしでない私」は随分偏屈で、気が向いた時にしか表舞台に出てこない。だから、どうやってステージに引きずり出すか、いかに奴を引きずり出しやすくするのかが今後の課題となってくる。

 「わたしでない私」にはもう一つの利点もある。それは、燃費がいいことだ。

gtd, speed, energy, etc…

 GTDの好きなことの一つに、速さを追求していることがある。忙しいワーカーがいかにすばやく対処できるか、尚且つその対処に最小限の労力で対応できるかどうか。

 David Allenは空手の師範もしたことがあって、このGTDの対処の仕方というのが確かに空手の型に見えるのも道理かな。
 最小限の労力を抑えるというのはどういうことか――頭で考えることなく作業を進めることです。要するに、習慣化することが一番のエネルギー省力化への道なわけです。シナプスがどういう風に動こうかと考える頭の経路を経由せずに、体の反射機能を動かす経路を確立する。

 GTDをやって思い出すことは、私たちの活動自体は、いろいろなレベルの体の活動によって支えられていること。頭脳エネルギーのレベルを低くすれば、省力化されることや、そういった作業を意識して行えること。実行ステップでは、そのレベルを最小限に抑えるために、レビューステップなどでやり方を決めておく。ただ、その後は機械のごとくに実行すればよい。そうすれば、意識と実行作業は乖離し、心理状態で左右されることなく作業を遂行できるかも知れない。

 エネルギー管理。
 GTDができるエネルギー管理って、本来はこっちの意味なのかな。今考えられるエネルギーの省力化の方法は、以下のとおり。

  • 「物」への対処をステップに切り分けて実行すること
  • 実行内容を明確化し、よどみなく実行すること。
  • コンテクスト毎に実行し、実行内容での状態遷移によるエネルギー量を最小限に抑えること
  • 不要なデータを頭から取り払って頭をクリアにすること

 意識の活動は、体の活動と無意識の活動なしには成り立たない。GTDのその先で、いつか身体について思い直す時が来るだろう。

ActionBox

ActionBox

 Matzにっき(2007-09-12)さんところで取り上げられていたActionBox。前から気にはなってて、フローの使い勝手は見てたんだけど、それ以外は見ていないなーと思って再度見直してみました。

よいところ

GTDのフローが行える

 これはMatzにっきさん所でも言われていたよい部分。このGTDのフローを忠実に行えるのは今のところ、このActionBoxとThinkingRockぐらい。

 なので、GTDのフローを忠実に実行したいというのであれば、このサービスを使うのはオススメだと思う。

 でも、理論に忠実なので、GTDの原書で示しているワークフローとは若干異なる。GTDのワークフローは、1つの「物」の処理について注目してフローを作っているので、処理ステップと整理ステップが同じワークフローに含まれている。
 でも、本来は処理ステップと整理ステップは別々に行った方がよくって、ActionBoxは別々に行うようになっている。

各ステップでスムーズに作業が行える

 で、こっちの部分が私が本当によいなと思った部分。画面の上部にcollect,process,organizeと各ステップを実行するためのリンクがあるのだけれども、項目のリストを表示させず、各項目の編集画面のみを表示させて、無理やり処理させようとしている。

 この無理やり感が私はとてもいいなと思った。gtd専用のツールなら、わんこそばを食べるぐらいの単純作業で、収集ステップや処理ステップができるといいのにな、と思っていた。その導線として実現しているのが、このActionBoxのいいところだと思う。

これからのところ

 でも、サービス的にはまだまだの所があって、正直まだ運用ベースにはもってけないのが残念。

プロジェクトの細分化ができない

 これが痛かった。
 Project化については、うまく処理することができなくなってて、Project化するとともにAction項目を一つ作成する、という作業ができない。

 また、Project配下にActionを作成するには、collectから項目を生成させて、process、organizeを通り越してからようやくProject下のActionになることができる。かなり面倒なので、このProjectの細分化をうまくできるようになるとうれしい。
 個人的には、check*padの項目リストみたいで、tagも別々に編集できると便利だなー。

 Projectは、レビュー時に前もってアクションを計画する方が高いから、というかある程度の数歩先の手順は登録しておきたくなる。そういう風に登録できるともっとよいと思う。

tasksにいろんなものがまざってる

 tasksはどうやらorganize後の項目が全ての数が入ってくるらしい。
 Typeがなんであってもそうであるらしい。で、これがちょっとわかりにくい。

 実行ステップだと、Actionリストの一覧がほしいし、レビュー時だとProjectリストがほしい。waiting4用のリストもほしい。waiting4のtypeの項目は、tasksにも表示されないのでちょっと困る。
 Typeがreferenceのものはもちろん検索できないとつらい。ここら辺をどれだけ少ないステップでリストを表示させるのが、これからの目標かなと思うです。

まとめ

 ざっとみた感じでは、やっぱり一番初めのレビューのためのフローに今までは注目して開発していたと思います。で、そのフロー自体はgtdの考え方と非常にあっていると、少なくとも私は思うなぁ。
 どういう部分がgtdの考え方に合っているのかというと、作業を単純化し、スピーディに作業ができるように、そのプロセスで最低限登録が必要なものを表示させていて、人が迷わないように作業ができるようにしてある部分です。

 今後の開発が楽しみなサービスです。

先生! 実行力をつけるにはどうしたらいいですか?

回答。

 GTDを真面目にやってみなはれ。ただし、ここでいう「真面目に」というは、GTDのWeeklyReviewの収集ステップで、物理的なものも収集し、処理ステップで処理することじゃ!

その心は?

 要するに、数の問題かなと。

このエントリの意図

 diigoで収集用に自分のエントリも登録していて、自分で補足するのがとても間抜けなのに気がつきました。なので、先に意図を書きます。

 最近「実行力」という言葉を聞くようになったんだけれども、何でかしっくりこないし、「 The Now Habit (1) 仕事を先送りしてしまうのは、怠惰だからではない | Lifehacking.jp」というエントリでは、仕事がぐずぐずしてしまうのは自己防衛手段の一種であるという話も見たりしたんですが、仕事はある程度しなきゃいけないのはわかっているので、かなりぎりぎりな状態になりつつも実行するような状況はあると思うのですよ。仕事はまだできる。
 でも仕事じゃなくって、家でなぜかぐうたらしてしまったりというような、ぐうたらしてしまう部分はどうやったら改善できるのかな、どうやったら実行力が身につくようになるのかなと思った次第。
 で、私はその現実解として、私はGTDのうち、WeeklyReviewで収集ステップと処理ステップを実行するのが非常に有効だと思ったわけです。

WeeklyReviewの収集、処理ステップのポイント

 注目している部分で重要なポイントは、WeeklyReviewで実行することと、収集・処理ステップを真面目に行うこと、この二点です。

 まず、収集・処理ステップの行うポイントについて。これは、愚直に実行するということが一番大切です。しかも自分の家で、これはどないしょ、といかんともしがちと思ったものをテーブルの上に集めてやること。とりあえず、物理的に行うということが一番重要です。

 次に、WeeklyReviewの行うポイントについて。これは、収集・処理ステップを行うタイミングを定期的に実行しましょうということ。とにかく定期的にやりましょう。どうせこまごまなんて無理なので、まとめて休みの時間が取れる日に実行しましょうということで。何せ真面目に取り組むと、結構時間がかかるからです。最低2時間は見積もっとくといいです。

 ポイントは、定期的に収集・処理を行い、また、物理的なアイテムもちゃんと収集した上で実行することです。精神的なものを集めただけでは効果が弱いし、実行力という言葉にあまり結びつきにくいと思います。

GTDの収集、処理ステップで学べること

 WeeklyReviewを愚直に実行すると、私は次のようなことを思いました。

  • 結構時間がかかるなぁ
  • というか、結構「物」が収集されてしまうんですけど
  • 「物」が多いから結局は処理ステップに時間がかかってしまう
  • 収集と処理がめんどくさー!
  • でも思ったよりすがすがしい
  • 割とちゃんとしまったらちゃんとした家になるなぁ

 収集ステップと処理ステップがうまくいけば、作業自体はすごく面倒くさいけど、終わった後はなんだかすっきりした気持ちになる、というようなことを感じることができるんじゃないかなーと思います。で、これ以外にも無意識的に勉強している部分があって、それが以下のようなことがあります。

何かをやったら何かが変わる

 初めて収集したりすると、物理的な「物」は何かをしまってなかったものだったり、処理し忘れているダイレクトメールだったりすることが多いと思います。
 で、これらは、処理にかかる時間は少ないですが、確実に変化します。つまり不要なものだったものが消滅した、ということに。

 頭は、徐々に「何かをしたら何かが変わる」ということを経験則として身につけるようになります。

ちょっと行うだけでも、ちょっと変わる

 GTDの収集・処理ステップを行うと、たいしたことしかしていないのに時間がかかるなぁとしばしば思います。実際、これらのステップ中には、所在ない「物」たちをしまったり捨てたり、然程頭の使うようなことはしていません。でも、たいしたことしかしていないのに、ちょっとばかり気分が晴れやかになったりもします。何せしろ、はじめは混沌としたテーブルが何もない状態になるのですから、これを見るだけでも随分気持ちが変わります。

 処理したことの各々は、とてもちょっとした変化です。しかしちょっとはちょっとですが、変化したことは確かなのです。この「物」を処理することで、ちょっとしたことでも変化する、ということを頭が経験則として身につけるようになります。

 GTDでは言語化されていませんが、私はこの二つのステップをWeeklyReviewで実行することで、実行したら何かが変わること、実行したことが少しでも何かが変わることを無意識的に頭が経験則として身につけるようになっているんだと思います。

で、GTDの収集・処理ステップで学べることが、どういう風に実行力につながるんですか?

 はじめに、実行力をつけるには数の問題だ、と話したわけですが、GTDの収集・処理ステップではその数をこなせる環境を提供することができると思いました。

 しかし、何の数を?

 「物」を処理することによって、何かが変化することを経験する数です。「物」を処理することは、すでにそのこと自体が「実行」自身なのです。それをGTDのWeeklyReviewの中で組み込んで行うことによって、自然と数をこなすようになるわけです。そうすると、自然自然に、物事は何かをすれば変化する、ということを無意識的に覚えるのです。

 「実行力」が発揮できない、というのは実行後の変化に対応できないことからの自己防衛策、ということもあります。
 しかし、実行しない気持ちの中には「やっても同じ」「やっても何も変わらない」という気持ちが入っている場合もあります。つまり、実行後の変化はありえないという想定のもとからの不実行というのもあるんじゃないかなーと思います。

 実行した後の変化の成功体験を強くすることで、変化することへの閾値が低くできるんじゃないかなと思っています。それによって、「実行力」は強くなるんじゃないかなと思うわけであります。

小さなことからこつこつと

 結局のところ、こういった経験則は小さなことからこつこつと集めて脳みそにインプットしていくのが大切なんでしょうね。

キャバクラでは「100円のものでももらったら、すごく喜びましょう」とキャバ嬢に教えているらしいですが

 100円でこんなに喜ぶんだから、1000円のものをあげたらどんなに喜ぶんだろう、10000円だったらどんなに喜んじゃうの?! という風にお客が思うからだそうです。これも一種の成功体験を強くすることと同じかなと思います。

「タスク」を「管理」して、どんな風に変わったらいいと思っていますか?

その言葉はかっこいい?

 個人的な趣味から、私はGTDをキーワードにしてwebデータをクローリングしています。それで、GTDの概略をよくブログで見かけるのですが、大体にして「タスク」、「管理」というようなキーワードで形容されます。

 んー、まぁそういう風に見えるのなら見えるので仕方がありませんが、何回もそういう風にGTDが説明されるのを見ていると、なぜかそれを実行する自分すら鬱陶しくなるのはどうしてでしょうか?

「タスク」「管理」から連想される意味

 「タスク」や「管理」といったキーワードを聞いて、それがかっこいいものだと思いますか?

 私は思ってません。かなりださいと思っています。それがもたらされるものが何であるとかそういう以前に、「タスク」「管理」この二つの単語が全然かわいくないのです。

 「タスク」――私にはなすべきことがある、ていうととっても格好良く聞こえがいいんですが、言い換えれば「私はやんなきゃいけないことがあるのー」という意味でもあります。私は、「タスク」というと連想として「しなきゃいけない」「義務」「絶対」とかそんな感じのイメージが出てきます。ところが、私はこのイメージが好きではありません。
 私はそんな「義務」からそれをやりたいわけじゃないです。もっともっと気持ちよく、やりたいことをやりたいんだから一々がみがみ言ってくんな! て感じがするのです。そこまで考えるのは飛躍しすぎかな、とも思いますが私はそんな風に思います。

 「管理」――風情もへったくれもありません。せめて「鵜飼」とたとえるならまだしも、その言葉からは理念も方針も関わっているようには、私には感じません。それ以前にアンタは私の何を制御し抑制してくれると思っているのか、ただの紙切れぺラいデータで何を言っとるのか! というような気持ちがしてくるのです。あくまで気持ちです。そんな風に、私は思うわけです。

 私は「タスク」と「管理」をそんな風に思っています。GTDはそうじゃないから私は好きです。でもGTDでよく説明されるのは「タスク」とか「管理」とかなので、微妙なずれを感じます。

そもそもあなたはGTDに何を求めているの?

 「タスク」「管理」というキーワードから、あなたは、GTDをやったらどんな風な自分になれる、どんな風になりたい、と思っていますか?

 この「GTDをやったらどういう風に自分は変わりたいのか」という部分は、結構かなり明確にイメージ方がいいです。でないと自分がどういう風に進んでて、それが合っているのかどうかすら判断しにくいからです。

 私がにわかGTDを始めた頃、切羽つまるような状態から抜け出せるようになったらいい、思ってGTDを始めました。
 その頃の私は、本当にどうしようもない状態でした。仕事にテンパってて、何がなにやらいっぱいあって、この作業を始めてもものの十分で、そういえばあれをやんなきゃと思い出してすぐに手をやめ、それに手をつけても数分後にはあれもしなきゃと思い出しては中断しては別のことをし、そんな風に数時間が過ぎてても、何も進んでない状態でした。
 だから、GTDをやって、こんな何も進めない状態から抜け出せたらいい、せめて自分がする作業が何なのかを明確にできたらいい、と思ってやり始めました。
 始めたGTDが功を奏して、私はそんなどこにも動けない状態から動けるようになりました。

 あなたはGTDをやって、今の状態からどんな風に変わったらいいと思っていますか?
 「タスク」を「管理」して、どんな風に変わったらいいと思っているんですか?

「タスク」からさらに連想される、おぞましい風景

 「タスク」という言葉が好きくない理由の一つに、タスクが絶対に消えることがない、というのがあります。

 タスクタスクって言うけれども、タスクが全て消化されて、もうこれ以上タスクが出てくることがない、だなんてことは、人生の中で一時もないんです。
 今日やるべきことが消化できたらいいとか思っているけれども、明日も消化すべきタスクがあり、さらに次の日にも消化すべきタスクがあり、さらにその次の日だって消化すべきタスクがあるのです。そんな風に毎日毎週毎月毎年日々をすごしていく中で、毎回毎回今日はこれをしなきゃ!ってタスクはいつでも発生し、いつまでたっても消化しきれないのです。
 仮に消化しきれた日があったとしても、なくなったということは次に消化できる余裕があるとみなされて、またまた「タスク」がやって来るのです。毎回そんなイタチごっこで、考えるだけでうんざりです。
 タスクが全て消化されたからってそれが安寧をもたらしてくれるんでしょうか? 違うね。タスクが全て消化されたという終わりは、新しいタスクがやってくるひんやりとした胡乱な未来の始まりなのです。安寧は、タスクが全て消化されたその時から、新しいタスクが来る前まで、合間のひと時にしか感じとることができないのではないでしょうか?

 GTDがそんな安寧だけを提供するのならば、私はもうGTDを手放していたことでしょう。だってそれは今までのタスク管理となんら変わりはないからです。

Windows Live Writer テスト

画像アップに対応したいがために、WindowsLiveで投稿できないかのテストです。確認事項は以下の通り。

  • URLがどうなっているか
  • 見た目はOK?
  • 画像はどうなるのか?

そんなわけで画像を追加してみた。

 image すごいどうでもいい画像。画像がコピペで指定も可能なのがいいです。アップロードが面倒なんよ、画像。

そんなわけでテストです。

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