works4Life season V
GTDでスッキリしない理由
- 2010-03-11 (木)
- Drafts
GTDでは収集ステップをするとスッキリする! とよく言われる。人によってはスッキリしない場合もある。その理由を大昔に考えてみた。
スッキリしない理由
・そもそも余裕がある
この場合は、精神的な余裕を指し示している。ストレスとリラックスは正反対の関係であり、ストレスが高ければ高い程、リラックスを感じることができる。
・物理的な収集をやっていない
精神的な収集だけでは、スッキリ感というか脱力した感じを得ることができない。精神的な収集で気が晴れた場合は、かなりやばい状態でもある。精神状態にも気をつけよう。
・そもそも鈍感である
あまりに体に疲労が溜まると肩こりになっても感じなくなる。そういう人がGTDをやっても、あまりに感じない状況が続くので、まず体が認識できない。ストレスすぎて、ストレスだと感じることを放棄してしまった。ストレスを放棄すると、同じ認識ジャンルであるリラックスな状態も、もちろん理解がしにくい。リラックスしている、というのもストレスを感じてこそである。
収集ステップは、頭の緊張を解いてリラックスする
頭にデータが保存されている状態は、神経回路に電気信号が持続して流れている状態だ、と認識している。
昔P2Pプロトコルのためのプログラムを作ったことがあって、Broadcastというメッセージの流し方があるが、Broadcastは全ノードに対して全員通達するという、絨毯爆撃のようなメッセージの流し方だ。ノード自体は誰と繋がっているかは知っていて、あるノードからメッセージを受け取ったら、それ以外の繋がっているノードにそのメッセージを送るというやり方である。次に同じ内容のメッセージを受け取ったら、何もしない、という方針を持っている。
オープンループは言わばBroadcastの状態がずーっと続いているような状態だと思っている。上記プロトコルでは、次に同じメッセージが着たら破棄するようにしているが、脳の場合は多分そうではなく、クローズするための情報が流れてくるまで、同じ情報がやってきても流れてしまうのだろう。けれども、脳の神経回路の中には、完了してなくてもメッセージを送らなく調整する神経回路もあるのだろう。それで、短期メモリからは、ある一定の時間を経過すれば、ほとんどの情報をすぐには思い出すことができなくなる。
自分コメント
- 2009/1
- 途中で終わってたし。
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HBRR:2010/02 24/Y理論は万能ではない
- 2010-03-10 (水)
- 特集エントリ
感想
マグレガーの呪いから解放された、ということでFA?
長い間有用だった理論を否定することは難しい、というような感じを受けた。この記事の最初の理論は「Y理論は万能だ」というところから始まる。Y理論は万能だから、どんな組織の状況でもきっと適用できるに違いないと思ってきたのだろう。そのように組織を合わせていけば、自ずと素晴らしい組織になるはずだろうと、コンサルタント達やマネージャ達は考えて、適用するように組織を形成していったんだと思う。
が、それでうまくいく所とうまくいかないところが出てくるようになり、寄る辺だったY理論の万能伝説はもろくも崩れ去った。
しかし、通常考えてもみよう。科学の研究所と、工場とで、どちらもY理論が適用できると、マグレガーは主張しているのだ。Y理論は自律性を重要視してるんだが、傍目八目的に見ていれば、向上でそういった自律性は、むしろ弊害なんじゃないかと思うものだろう。だのに、Y理論はきっとそんな場所でも役に立つ! と何故信じることができたのだろうか?
ここに理論適用の硬直化が垣間見えるだろう。理論もまた、科学の実験と同じように、ある条件下においてのみ効果がある。それが正しく提示できない場合、解釈が肥大化してしまいつつも、全体の肯定度合が強いために、表だって「違います」て言えなくなるんだろうなとかそんなことを思ってしまった。
センス・オブ・コンピタンスとかそういったものが紹介されていた。これは、業務にまつわる能力やスキルを高めるセンスのことを言い、自分が十字している仕事や環境に慣れ親しみ、技能が向上することでもたらされる満足感の積み重ねでできあがるものだ。で、ものすごくわかりにくい言葉なんだけど、会社の仕事で役に立った感のことだと私は理解した。
で、この論文の結論は、「各組織によって最適なやり方は違うから毎回考えろ」といったものになるんだと思う。万能なやり方はないことがわかった、という証明というか。で、その次は似た感じの課題の部分があれば、それに近しい形でできるかも! と思ってユースケースの紹介が活発になりつつも、あまりに全部が全部異なるので、ひとつの最適解があるに違いない! と、Y理論がまたもや再登場とか、そんな風にウロボロス的展開をしてもおかしくなさそうなお話だった。上記のようなウロボロス的展開を回避するには、当然のことながら、ユースケースを特化して、その中で数をこなして理論化するのがベターのように思う。
それを実現しているのが、業種特化型のコンサルタントとかなんじゃろかいな。
それにしても、このタイトルは、本来の記事の趣旨が現れ出ていない。この記事の素晴らしいところは、X理論だけでは無理なことがわかり、Y理論が台頭し、しかしながらY理論ですらうまくいかなくなり、そしてX理論とY理論を状況によって使いわけるべきだという結論に達した、といった内容をまとめたものである。X理論→Y理論→コンティンジェンシー理論という、ホップ・ステップ・ジャンプといった進化の段階がある。それを踏まえて、英語では「Beyond Theory Y」というタイトルになっているのだろう。とはいっても日本語に直訳すると「Y理論を越えて」になってしまう。それだけだと、意味がさっぱりわからんので、今のタイトルに落ち着いたんかなーと思った。
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心のゲージ
- 2010-03-09 (火)
- Drafts
心のゲージを自由にコントロールして、環境や状況に対して適応的に振る舞えることが、プレイフルであるということであり、人として成熟しているということではないかと思う。
GTDから畑村洋太郎の失敗学を経て、今教育に関して関心の糸を広げている。これらの3つには「学ぶ」ということが一つの共通点であったのだけれども、私の焦点は若干異なっていた。
私がGTDに見いだしていた価値は若干異なるもので、それの説明がどこにもない、といった点からずっとそれと同じものを探していた。
その探していたものが上述の文章に当たるのだ。
私がGTDに一番見いだしていた内容は、心理的圧迫感がないという点だ。
今までにもいろんな時間管理を取り入れてきてみたけれども、その体にフィットしないものを着ているような、居心地の悪さを感じていた。それがどこから発露するのかは私には理解していなかったが、とにかく首輪を初めてしました野良犬よろしく、その矯正ツールが合わなかった。
なんで、何度も時間管理を取り入れては挫折をするという繰り返しを行ってきた。
GTDはその居心地の悪さがなかった。しかしながら、その自由さに反対に手を持て余していたのも事実である。伸縮のよい服をはじめてきたような、そんな風だが、しばらくしている間に伸びる所は伸びて、使いやすくなっていくのである。
時間管理の何が私に合わなかったのか、といえば、時間を約束するといった、時間管理の本質である。その時間内に仕事を終わらせるためには、人から割り込まれた場合にはどうするのか、といったことが時間管理ではよく議論の的になる。
人のいる中で仕事をいていれば、話しかけられたりして時間が割かれてしまうのはよくあることだ。そんな時に考えられる対応策としては、声をかけられにくいようにうまくしましょうといったようなことがある。だが、この方針を全体的に作用すると、いろいろルールが合わなくなる。
それに何より、自分自身が他人の時間を割いて声をかけることもある。他人が自分の時間を割くのを非とするならば、同様に自分が他人の時間を割くのも非とし、声をかけてはならないということになる。そこで、個人的に論理が崩れてしまい、私には承伏しかねる方針となる。
何がいいたかったのかというと、時間管理からよく聞く方針では、全てを適用できるようなルールを見つけにくい、ということだ。時と場合によって、このルールAを適用するといったような、局所的なルールが散在する。で、私はその局所的な対応が面倒くさくなって、やめてしまう。
それで、いつでもどこでも何にでも使えるような魔法のステッキがないものかと思って、仕事術ジプシーを何度か繰り返したのであった。
その魔法のステッキが今私にはあり、それがGTDなのである。GTDのルールは全体に適用できるものであり、必要最低限の適用できるルールが満たされている。
その根底にある考え方は何かというと、「自分自身への約束」ということであり、一番上で言うなら、心のゲージではないかな、と思う。
心のゲージは自分で決めるものだ。時間管理は自然とできあいのゲージあって、それを自分のフィールドに取り入れようとする。でも、すでに自分なりのゲージあったり、そもそも自分が従いたいゲージのルールとかがあって、なんだか合わないね、ということがよく出てきた。また、状況が異なると、今までつかっていたゲージが合わなくなって、今の状況に合うゲージをどこかから調達しなくてはならないといったことに陥った。
GTDはゴムのように心のゲージを使いこなすことができる。心持ちを切り替えることによって、環境や状況に対して適応的に仕事を併せて行けるのだ。
今私も11月から仕事の状況ががらりと変わってきている。最初にすべきだったことは何か? 私が今まで思ってきた普通を、別の普通に変えることだった。
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GTDとかEmergeneticsとかそこらへんの整理用テキスト
- 2010-03-06 (土)
- Drafts
私がGTDを推しているのは、もちろん自分に効果があって他の人がやってもハッピーになれるからだ、と言うのを信じているからだ。GTDは仕事の中間作業である、仕事の管理作業を楽にしてくれる。本当はこの部分で非常にエネルギーをとられているのに、それには気づかずに仕事をしていて、それで大丈夫だって思っているところがどうにももったいなくて、腹立たしい。せっかくこんなに楽になるツールがあるのに使わないなんて! と思ったりすることがある。これがまず発端だった。
所変わって会社である。会社に所属していることには、メリットもデメリットもある。働く人が会社から得られるメリットは、
- 作業の負荷分散が可能
- 個人じゃできない大きな仕事が可能
- 好きな仕事に積極的に集中できることが可能
といったようなものがある。補足しておくと、(1)は、一人じゃとてもできない仕事量があると、他の人に割り振れたりすることができる。障害があっても、仲間がいっぱいいるので、一緒に対応してくれたりする。(2)は、一人じゃビッグな仕事を取ってきてそれに携わることができる。個人だと仕事を取ることもさばくこともなかなかにできない。(3)は、会社の中の仕事はいろいろあるので、自分が好きな方向に進めるように、努力したらできる可能性があることだ。個人でできなくはないとは思うが、意識して行う必要があるかもしれない。
働く人が会社から得られるデメリットは、下記の通り。
- 間接作業がいっぱい
- 通勤時間がいっぱい
- 会社を運営するための時間が割かれる
(1)は書いといてなんなんだが、個人にも言えることだけれども、仕事を管理するような、とか工数計算とかそういった管理作業が必要になる。(2)はその名の通り、まぁ個人だからといって発生しないわけでもないし、通勤時間をそもそもデメリットと捉えていない場合もあるんじゃないかもしれないけれども、ここでは作業的時間がカットされる、という点でデメリットとしてあげておく。(3)は、(1)とも被る感じであるが、方針を決めたりそういったようなことである。まーこれも個人でやんないわけではないけれども、個人以上に大幅に時間がとられて部門なんぞもできちゃったりしてとかそういうこと指す。
上記は、会社の具体的な利益に直結しない作業が大いに含まれることを指し示している。
そういう様々なメリットデメリットを考慮しつつ、企業で働くことを選んでいる人がいる。私もその一人だ。この時に会社に働く心意気は、私は会社に役に立ちたいし、それに対して給料が払われるべきだと思うし、何より会社という大人数で働いたことによる、ダイナミックな効果を与えたいと思っている。1+1が2以上になる可能性があるのが、大人数で働く醍醐味だろう。その醍醐味を味わいたいと、少なくとも私は思っている。しかし、実際の会社はそううまくいっていない部分が多い。なぜだろう?
私は会社に働くのは嫌いじゃない。ただ、私は会社に働くことでうんざりする気持ちになるのは、とても嫌いだ。働くのは好きだ。お金がもらえる、達成感がある、お客さんに喜ばれる。
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主体的な行動に変わる瞬間
- 2010-03-05 (金)
- Drafts
私は、洗濯を干す作業が嫌いだった。だった、というのは、今はまぁ普通ぐらいに意識が浮上したからだ。私が嫌いな洗濯を干すのは、干す以上に嫌いな状態になるのを塞き止めたいのと、干すことで非常に嬉しい状態になるのを促したいからだ。
干す以上に嫌いな状態とは、洗濯して放置したら、非常にくさい匂いになること、そのままカビが生えてしまうこと。実際そうなったことがあるわけではないが、墨汁を腐らせたことはあるので、推してしるべしだ。何より水の腐った匂いがどうにもダメで! これを防ぐにはすぐ干すことが一番だ。
干すことで非常に嬉しい状態になるのは、干した後の洗濯物がふわふわになることだ。これはいい。非常に嬉しい。が、液体アタックにした途端ふわふわ感が少なくなったので戻そうかと考えている。
これら二つの理由から洗濯物をすすんで干すようにしている。干すようにしているのだが、その作業単体だけというと、非常に嫌いだ。特にこの冬になってますます手はかじかむばかり。
しかしながら、ある日洗濯物を干しながらふと思った。
きっちり理由があって納得づくですることを理解しているのに、なぜこんなにこの作業を嫌う必要があるのだろうか、と。
その瞬間、意識が颯爽と変化した。そして冒頭に戻り、洗濯を干す作業は、今はまぁ普通ぐらいに思えるようになったのである。
思うにこれは、目的と作業とが繋がったんだと思う。
そしてその瞬間、私の洗濯を干す作業に対する気持ちがばさっと変わった。尚且つそれは習慣として根付いた習慣でもあり、意識を敢えて外す作業でもあった。
意識が変わったと言えば単にカッコいいだけかもしれない。それ以上に感じたのは、具体的には、その作業を実行しようとする時のエネルギー量が以前より減った感じがすることだ。
そして、意志が内側から(インサイド)発せられ、外側(アウト)に向けて発せられた。
最初はフィードバック→行動で始まる循環の輪の繋ぎ目が、徐々に行動→フィードバックへとずれていく。
そして、行動は義務から主体へと遷移していった。
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「神の雫」の驚きの表現方法はあながち大げさじゃないかも
- 2010-03-04 (木)
- それ以外のあれこれ
ワインがメインのマンガの「神の雫」には、そのワインの素晴らしさを物語るために、面白い表現方法がある。一滴飲むや、その味について走馬灯さながらの劇場が発生するのだ。ちなみに、私はこの表現は、漫画独自のものだと思っていて、そんなことはありえんだろうと思っていたのだけれども、あながちそうとも言い切れないような気になってきた。
私が大切にしている感覚の中に「Water!」という感覚がある。ここでいうWaterとはヘレン・ケラーが水と認識した時のあの感覚である。私たちは、ヘレン・ケラーではないけれども、大なり小なり似た感覚を経験することがあるだろう。ここでは、その感覚を言語的に定義しておくこととする。つまり、「Water!」という感覚は、ある言葉や状況の意図を、深く理解したり深く合点がいったり場合に、生じる感覚、とする。
その「Water!」という感覚であるが、私も最近経験した。友人がケーキ教室に行ってきて、ミルフィーユを作ってきた。ミルフィーユはパイ記事とクリームとが折り重なった、ちょっと食べづらいケーキである。正直友人が作ってくるまでは、ミルフィーユがどうしてそんな食べづらいケーキをしているのか、というぐらいにしかわかっていなかった。そう、本当にわかっていなかった。
友人の習っている先生は、数十年も仕事に携わっていて、その歴史も汲みながら、生徒たちに教えるのだった。ミルフィーユの授業も同様だ。ミルフィーユの意味は、千枚の葉っぱという意味があるのだとか。そしてこうも言ったという。
「ミルフィーユに、ナイフを差し出すお店がございますけれども、それは恥だと思ってほしいんですの」
先生が言うには、ナイフがいるようなミルフィーユはミルフィーユではないらしい。そもそもミルフィーユとは、フォークをケーキにいれるとサクっと入るぐらいの微妙なやわらかさを持っているんだとか。幾重に重なるパイ生地は、かたすぎず、やわらかすぎず、その按配が難しいのがミルフィーユだそうでございまする。
この話を友人から聞いて、まず思ったのは、フランス人はそんな葉っぱな状態も食べたい程の食いしん坊なのかということだった。よもや、あの千枚の葉っぱの重なったものを食べたらおいしいだろうなーとか考えなかったら、こんなけったいなケーキなんぞ考えもしなかったであろう、というのが感想だ。
そして家には、その先生の作ったケーキがあった。生徒たちには、勉強の意味もあって、先生の作ったケーキの一片を渡される。毎回私も友人がもらってくる先生のケーキを御相伴に預かっているけれども、確かにこの先生の作るケーキは、確かにうまい。今回も先生のミルフィーユがあって、それを食べさせてもらった、そして。
「Water!」だった。なんてこった! 「神の雫」みたいに映像とまではいかないけれども、情景が浮かんできたのだ。秋のさなかの公園の、地面には赤と黄色の葉っぱで覆いかぶさった様子が!! この時理解したのは、ミルフィーユは丁度地面の幾重にも重なった落ち葉のじゅうたんを口にしたいのを再現したかったものではないかということだ。
先生のケーキは、確かにそんなことを思い出すような、タルトではなく、かといってパイでもない、絶妙な合間を縫った噛み具合をしたミルフィーユだった。
まぁそんなわけで、「神の雫」の情景が流れる感動の表現も、あながち間違っちゃいないかもしれないなと思い立った次第。
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HBRR:2010/02 18/アタマ打ちマネジャーの活性術
- 2010-03-03 (水)
- Drafts
はじめに
HBRRとはHarvard Business ReviewのReviewという意味である。そろそろ考え方が打ち止めになってきた感があったのでちょっと新しいものに手をとった。それが、Harvard Business Review。特に考えて選んだわけでもないけど、以前に買った「超MBAの思考法」の文章がよかったので、少なくとも1年間買うことに決めた。
学習の手段として、文章を読んでそれをまとめるという方式をとる。ちなみに2010年では項目としては36個ある。Reviewの仕方は読んで、本に書き込むことを我慢し、それを文章にまとめるという方式をする。書き込まないというのは、まとめるのにステップをとらせない理由からである。小さなおにぎりを5個くっつけても大きなおにぎりとは言えないのと同様に、思考の断絶を今回は許可しない。
そういうかんじでHBRRは進める。よろしこ。
まとめ
マネージャの種類は大別すると2種類ある。ひとつは仕事に積極的に向おうとするタイプと、もう一つは消極的に仕事にはげむタイプ。このタイプに別れてしまうのは、マネージャになる前の、入社当時からの就業した仕事が異なることから起因する。前者は主流の仕事で会社の貢献に直結するような仕事を与えられ、後者は間接的な、そして自分自身が満足していないと思う仕事を与えられる。このような違いから、会社に対する姿勢が徐々にベクトルを別ち、マネージャになるころには、真極端な別な方向へと向いてしまう。
しかしながら、その後者のマネージャでも、そのような姿勢でありながら会社で仕事を全うする責任はあり、立派な経験を有している。しかしながら、そういった人物については昇進についても硬化することも多く、彼らの意欲はますます失われるばかりだ。
それにはどうしたらいいか? 一つは、(1)これからの前途に向けて、率直的に話し合うべきである。そしてもう一つは、(2)彼らにチャレンジングで意欲を掻き立てるような仕事を与えることである。
(1)の前途に向けて率直的に話し合うことはなかなかに難しい。これは、彼らに対してだけでなく、会社というもの自体が、ありとあらゆる状況において誠実に行っていくべきだ。幹部候補生について昇進のスケジュールを話すことも、部下の仕事の達成度と将来性について明解かつ誠実なフィードバックをすることも、昇進が頭打ちになりつつある部下達に向かい合うときも、それぞれにおいて率直的に誠実に話していくべきだろう。
(2)は、たとえば40代・50代の社員の心理状態について考えてみよう。彼らの昇進はなかなか望めないことを、本人自身は承知しているが、それでも自身の成長や貢献はしていきたいと思う。これは、今まで培ってきた技術と専門知識は活用したいと望んでいる。そういった面から考えると、頭打ちのマネージャについては、たとえば以下のような施策を試みるのが有効かもしれない。
- 有意義な仕事を与え続ける
- 意志決定とその遂行に関与させる
- 教師となる、コーチとなることを奨励する
有意義な仕事を与え続けるには、たとえば技術職をコンサルタントとして迎えたり、別の地方の営業部長として異動させるなど、同一分野において仕事を交代させてみるというのがある。
意志決定とその遂行に関与させることには、責任を全うするという上で可能な限りに裁量権を与えることだ。自由度をあげることで、自分がとることのできる選択肢を増やすことができる。同じ立場であっても、できることが増える。
教師となる、コーチとなることを奨励するのは、自分自身の持ちうる技術や専門知識を誰かに教えることで引き継ぐことができる。
感想
(1)は、頭打ちマネージャができないようにするための施策であり、(2)は頭打ちマネージャができた時の対策となっている。
(1)の内容自体は、別にマネージャ云々の話ではなく、会社全体として社員が社員に取り組んでいくべき姿勢について説明している。簡単にいえば、正確な情報を、的確なタイミングでフィードバックし続けよう、という話である。ここで書かれていた社員の不満は、いずれにしても幹部候補生に語られるバラ色の夢が潰えた時や、上から久しく無視されているマネージャでも昇進の夢を抱き続けていてそれがようやく無理だとわかった時である。充ち満ちた希望が裏切られた時、反感を大いに抱く。
(2)については、人員配置を硬化してはならない、というのが共通のポイントであろう。同じ仕事に固執してしまうと、それだけで視野が狭くなるし、何よりその仕事範囲が自分自身のアイデンティティに融合してしまいかねない。
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2月のGTD勉強会もありませんでした。
- 2010-03-02 (火)
- インフォメーション
こんばんは。桜が舞ってもうそんな季節かぁ、と思っていたらもう3月になりました。
2月のGTD勉強会は、なくなりました。安定性がなくて申し訳ない。今まで仕事がゆっくりだったんで対応できてたんだなとほとほと知ることになりました。
3月はやります。たぶん。。 やるとすると、お題は決めています。次回開催分はみっちり収集ステップです。前回の11月では15分間しか収集ステップはせずに、どちらかというと処理ステップに重きを置いてやってました。が、今回はそうではなく、収集ステップをみっちり2時間程度やろうという話です。どうせ一人でやったって早々続かないのと、私も最近棚卸がしてなくって、も一回集めなおしたいという気持ちから、次回は絶対このお題でやろう! と決めています。
やるとすると3月後半あたりなので、よろしくお願いします。
近況とか
ところで、Lifehacking.jpさんのところで、ライフハックブログ賞というのがされていて、投票が終わりました。投票してくれた方どうもありがとうございます! 私は開催当時、それどころではなくてRSSもほっぽりぱなしで特にフォローができませんでした。。 ごみん。
理由は前の記事の通りで、仕事でめいっぱいだということです。自分、本当にキャパは少ないなと思ってたんですが、これだけとは! と、すっかり忘れていたことを思い出しました。くわばらくわばら。
あと、本が出そうです。ですます調で書いてるので、ソフトな感じに仕上がってます。渋川御大がノリノリです。宣伝がんばります! 買ってネ!
3月はとりあえず、書いた記事の棚卸月間の予定です。記事はとっとと登録する方がいいね! 我にかえると恥ずかしくなって、出すのやめとくかーって思っちゃうんですよね。
ひとまず近況はそんな感じです。しばらくは仕事ばかりです。
あと、若干サイトの表示がおかしくなってました。ちょっとプラグインいじくってたらそうなってたみたいです。
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仕事や私事に追い詰められて陥る、硬直した状態について
- 2010-02-12 (金)
- Collection | それ以外のあれこれ
現在私は忙しい。年末あたりからその嵐の波はやってきていが、ここ最近になって大嵐となった。12月から1月にかけて、私はおおよそ二つの種類の硬直状態を体感した。ひとつは執筆に関連して。もう一つは仕事に関連して。
今回は、どのようなレベルの硬直状態があるのか、そしてそれによる自分自身の状況とはどういうものかを記録することに焦点をおく。
というのも、このような状況は本当に内部からは理解しにくいからだ。例えば私は友人と住んでいるので、コーナー場外からタオルを投げてくれるが、一人だと正直いつ「ももうだめだ」というのがわかりにくい。そんなわけで、ちょっとばかし状況を共有できたら、一人でも感知ができるんじゃないのかなと思ったわけだ。
1.硬直状態のレベル
硬直状態は、レベルがある。
(1)危険 - 物理的作業にあぶれた状態。まだ心理的な余裕はある。
(2)致命的 - 物理的作業に溢れた状態。心理的にも余裕がなく、茫然自失。
硬直状態は、作業的レベル→心理的レベルに深刻度合いが増す。(1)はまだ客観的に自分の状況を見れたり、笑ったりすることができるが、(2)になると、笑うにしても表情がこわばっており、笑うことに違和感がある。何より、何を考えているかの感覚があるようでない。
ちなみに私は執筆に関して(1)を、仕事に関して(2)を体感した。
2.各硬直状態での身体的反応
ここでは体験した通りのことを記す。
(2ー1)危険状態での身体的反応
- 上半身内臓が収縮する感じ
- 肩が収縮する感じ
- 全体的に倦怠感
- 周りの状況の音や視界について、何かしなきゃと思うものの結局うまくできてない
(2ー2)致命的状態での身体的反応
- 脳みそが収縮する感じ
- 肩が収縮する感じ
- 顔の表面が強ばった感じ
- 全体的に倦怠感
- ぼうっとしている
- 周りの状況の音や視界を認識できるが認識するだけ
- 顔のバランスの均衡がくずれる
途中で書いてて言うのもなんだけど、これは今回にしか適用できない。
GTDを始めるきっかけになった以前にも、同様の硬直状態を感じたことがあった。その時の状況は、この二つの状態がないまぜになった状態だからだ。 また、の私は二段階しかないが、もう少し他の人を洗い出すと、3段階以上の硬直状態があるかもしれない。つまり、人によって硬直状態の状況は分化しているかもしれない。
3.各硬直状態での心理的・思考反応
次、各状態での心理的・思考的な反応を記述しておく。といっても、渦中から離れてはしまったので、実際のところこのような状況なのか、真芯をついているとは言い難い。ただ、このような考え方に偏る、ということだけは言えるだろう。
(3ー1)危険状態での心理的・思考反応
周りの状況に反応して、何かしなきゃと駆り立てられるものの、行動するが、特に何も考えていないために、いまいち作業が終わらない。次の状況がでてきたら、それに反応するためそれ以前の仕事は放ったらかしになってしまい、結局何もおわっていない。
GTDで気になることを洗い出しすればよいという気持ちではある程度書き出すことは可能。
・洗い出せというけども、2時間も時間とってられるか
(3ー2)致命的状態での心理的・思考反応
何度も言うが、茫然自失。 これはどちらかというと、このときにあらわれ出た言葉を出力しておいた方がわかりやすいかもしれない。
- 洗い出さなきゃ、でも何を洗い出せばいいの?
- 洗い出さなきゃ、でも2時間。2時間?
- まずはこれをやろう。これをやってから、次なんだっけ?
- えーっと
- あー、はい
- とりあえず事務処理
- それから・・・
- なんとかしなきゃ
- どこから手をつけたら
- 洗い出すにも、どこから洗い出せばいいのかわからない
- やんなきゃ
正直言って、このぐらいの言葉しか、そもそも出てこない。思考稼働率が極端に低下していた。
危険状態から致命的状態への心理遷移は、危険状態ならば、怒り・困惑・混乱などといった感情的な状態が非常に露わになる。一方、致命的状態は非常に逼迫しているため、そういった感情の回路か分離するようになって、虚脱した状態に変化する。これが大きな違いだろう。
感情の起伏がはげしい心理状態が何度も続くと、エネルギーが枯渇する。だから、更に致命的状態になると、感情面に使用していたエネルギーも現状維持に費やされて、その結果感情の起伏が少なくなるような気がする。現状維持とは何か。私の予想の一つでは、GTDで言うところのオープンループを保持するために使用している気がする。あれは、内部で決定がされない場合、極力保持しようという方針が流れているように思う。
4.硬直状態からの脱出方法
(1)の危険状態からの脱出方法は、GTDが適用できるかもしれない。1時間もしくは2時間程の問題となっている箇所に関して、突き詰めて不安要素を洗い出すので対応できる。しかし、この作業を信じてできる余裕はなく、そして周りもそれを許されるような環境にはなりえない。従って、強制的な状況に限り、GTDが対策として行われることは少ない。残念なことに、GTDが最大発揮されるタイミングは、このタイミングであるにもかかわらずである。
(2)の致命的状態は、(1)の危険状態から更に深刻である。(1)はまだ項目の洗い出しができる状態であるが、(2)になると茫然自失で正直対応している内容が、自分で対応できる範囲から越えている。外部から巻き取りなどの対応が必要なレベルだろう。
自分自身の限界
最近(2)を体験したわけだが、ある案件に対して担当になったが自分では対応できる範囲を越えていたため、その役割を辞退した。
今回の役割>自分が対応できる役割
ということだったが、上記方程式の判断となったポイントは以下の通り。
- 案件の納期が短期であること
- 案件の内容自体が複雑であること
- その役割に対する私の実績が少なすぎること
- 体力的な問題があること
これが、上部に説明する理由となった項目等である。そして個人的な限界に同意せざるを得なかった。
非常にかつ単純なことだ。私は、情報が過多になるとすぐにアップアップする。とにかく必要最低限の項目しか把握しないことから必要不必要以上の情報がやってくると、すぐに回らなくなる。
今までそれでもなんとかできたのは、自分が担当する周りについてだけ把握をし、それ以外は一切無視する方針を取っていたからだ。その範囲を今回の仕事ではかなり広げることになり、そして情報に溺れた。
こういった溺れる中でも、ある程度の方針や切り捨て等を行って、本来は進むべきなのかもしれない。しかし、できなかった。
私がストレスに感じる状況はかなり多い。人と会うだけでもすぐに体力が削がれる。場所を移動することでも疲弊する。そして情報過多という状況。GTDをやるようになって、ある程度対応できるようになったかと思ったけれども、自分自身の能力が延びるわけではないのだから、結局情報過多をストレスに感じることからは免れなかった。
今回足りないと思った点は、実績による解決策を考えるまでに短い時間で対応すること、担当を割り振る際の誰に何をすればいいのかを決められないこと、タスク分解し実行段階に落とし込むまでの時間がかかること。根本的に思考回路が時間的な制限に対応していないように思う。
どうして決定し、実行できないのか。私もそれが聞きたい。どうして決定し、実行できるのか。その確証はどこからやってくるのか。流れの見えぬままになぜ前に進められるのか。ゴールイメージが具体的でないのに、それでも突き進められるのか。
うずめく理由や原因はどうあれ、簡単な話だ。私はその状況に対応できる技量はなかった。単にそれだけだ。
たったそれだけだ。
硬直した状態から復帰へ
数日たったがまだ感情の整理はできていない。この話を思い出す度に心はかき乱されるし、何より自分自身に悔しさを感じる。
私は私なりになんとか今まで進んできたつもりだ。負け戦で臨むつもりはない。いくら失敗は先にした方がいいと言われていても、そこに付随する責任やリスク、周りへの影響を考えるとそうそうにはできない。自分自身へ赴く破壊を敢えて享受できる勇気も少ない。自分が願い、そして突き進もうとしていた道に大きな足かせ自体が自分自身だったと目の当たりにするのだって。
(2)からの硬直状態からの復帰は本人にとっては簡単に割り切れるものではない。
この世界とかの世界のへりに立って、大きなひび割れの奥底にいるようなものだ。そこには誰もおらず、どこが前で後ろなのかもわからない。そもそも天地すら理解できず、自分が本当に地に降りたっているかすら疑わしい。権力が実績が名誉が自信が感情が剥奪され、それでもなおかつ、世界は変わらずに進むかのように見える。
絶望の澱の、言葉に表すのすら難しい感情が粟立つなかに、たたずんでいる。誰かと話している時や、何かの作業をしている時にはそんなことなど忘れているのに、ふっと何か言われた瞬間に、その場所でありながら奥底に追いやられ、バカバカしいほど、情けないほどに傷つく。
誰も知らないし、誰も知り得ない。誰がどうというわけでもなく、何がどうしたいわけでもなし。
できればこんな状況など来てほしくもないものだ。せめて、誰かが同じ気持ちを味わいながら、次へ進んだかと思うことが、それだけが心の頼りだ。私がこのようによくわからぬ感情に追いやられたのと同様、今までの誰かはそれを享受しつつ成長してきたのだろう。誰にも共有せぬまま、共有できぬまま。孤独を知り、絶望を飲み込み、そして一回り大きくなる。嗚呼、胸がいっぱいだ。
いずれにせよ、立ち上がる時には自分一人で立ち上がるしかない。誰が願おうが、誰が妨げようが、誰が気にしなかろうが、誰が気にかけようが、所詮他人事だ。過去の自分も未来の自分すらも、他人事だ。
このように私がいろいろ書いたとしても、それを同じ時間でわかちあう人もいなければ、同じようにわかちあえる人もいない。未来の自分だって不可能だ。けれども、こうやって書き綴ることで、その片鱗を感じることはできるかもしれない。
落胆し、嘆き落ち込み、悲嘆にくれて、悲しみに身をやつす、恐怖に体を振るわせ外部に牙をむく。孤独に喚き散らし、絶望にうちしがれ、そして最後には慈しむがいい。どんなに否定しようと最後には残るこの塊を放棄することはできない。
孤独と絶望を飼い慣らすのは、いつだって難しい。
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勉強本の先行紹介記事をgihyo.jpにて公開中です。
- 2010-01-30 (土)
- GTD活動連絡
実は第2回目の記事です。主に渋川さんの方でさくさくと紹介記事を書いてくれて、gihyo.jpの方で公開しています。4月に刊行する本は、こんなことを書いてますよー、という感じのものになっています。
第1回目は、参考になった本について
イマドキのエンジニアの勉強事情:第1回 みなさんの飛躍のきっかけとなった本は? |gihyo.jp … 技術評論社
第1回目の紹介記事は参考になった本についてです。これは以前このブログでも紹介したアンケートから話題に上がっていたものを抜粋して紹介しています。個人的にオススメなのは、いつものごとくにGTD本2種類です。それ以外でいうと、『創造学のすすめ』は考え方がスッキリした本です。本当にいい時期に紹介してもらいました。どうもありがとう!
それからオススメなのは、エマジェネティックス。とにかくもう好きで、アソシエイトにまでなったのに全然活かせてないのが残念です。渋川さんにも洗脳は成功して、本の方にも十分な影響が出ています。
「プレイフル・シンキング」は個人的にはもう感銘を受けた本で、私のバイブル的な本になると思います。今年はプレイフルに! とブログに書く予定ですが、今は本の方で手いっぱいです。いつかけることやら。
「人生なんてつまんない、クソくらえだ!」と思っている人にはゼヒ読んでほしい本。うだうだ悩んでるのがちょっとバカバカしくなるような、そんな楽しいことが詰め込んである。「人生をつまんなくしてるのは、自分だ」という意見には、私は激しく同意する。じゃあどうやったら面白くなるの? それの一つの実現解がここにある。
彼のように楽しく人生ができたらなぁと思うし、そのためにはどうしたらいいだろうか、そういう思考は続けるべきだ。そういった思考が止まることこそが、本当の死だと私は思う。ま、そんなことはさておき、普通に読んでも楽しいので、気軽に読んでみてください。
あれ? 単に自分のオススメ本の紹介になってしまいました。記事の方もよろしくです。
イマドキのエンジニアの勉強事情:第1回 みなさんの飛躍のきっかけとなった本は? |gihyo.jp … 技術評論社
第2回目は勉強会の種類について
イマドキのエンジニアの勉強事情:第2回 勉強会の種類 |gihyo.jp … 技術評論社
第2回目の記事では、勉強会の種類について紹介しています。
勉強会デビューはどんなタイプがいいの?
えー、勉強会の種類は私が知っている以上に多いらしく、みんないろんなスタイルを編み出しているようです。これから勉強会デビューな人は、どこから参加したらいいの?! とおろおろするかもしれないぐらい、いっぱいですね。
勉強会デビューな人は黙って以下をオススメします。
- 第1候補 ワークショップ型の勉強会
勉強会は、どちらかというと受動的な態度より、能動的な態度で参加する方が満足感が得られます。何より、勉強会に行った、勉強会よかった! と思うことが、勉強会ビギナーにとって最大の目的だと思うわけです。でないと、ここで「勉強会ってこんなもんか」と思ってやめちゃうのはもったいないじゃないですか。それは悲しい。
なので、私はワークショップ型で手を動かすタイプの勉強会に参加するのがいいと思います。
勉強会はどこで探せばいいの?
私が初めて勉強会に行った時に探したのは、mixiです。
mixiで探すメリットは、参加する際に誰が参加するのかわかる点です。誰が参加するのかはイベントのページで確認でき、そこから実際に参加する人のページにとんで、どんな人なのかを予習することができます。また、その人の参加しているコミュニティから、どんなものが好きなのか、というのも垣間見れるので、まるで知った風な感じになって、参加しやすかったです。
一度勉強会に参加したら、あとはあんまり気にしなくなるんですが、なかなか初めての体験は敷居が高いものです。それに、知っている人が参加している勉強会だと、更に気楽になるものです。思い立ったが吉日! で参加するのはとてもじゃできない! というようであれば、mixiで探すのをオススメします。
GTD勉強会も上記を踏まえてmixiで展開することに決めました。途中、記事で紹介しているATNDやこくちーずに切り替えようかとも思ったんですが、プロフィールまでは確認できなかったので断念しました。
mixiで「勉強会」と名のつくコミュニティで1130件ありました。まずはここから行ってみたい勉強会を探してみるのもいいかもしれませんね。
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